「翔、これが四ノ宮那月。美大に通ってて、歳は言った通り俺たちの二個上。これから翔の雇い主になるんだよ」
「…………どうも。」
「で那月、このこがモデルを頼んだ来栖翔だよ。オレと同じ大学で、同い年なんだ。」
「はいっ、よろしくお願いしますね、翔ちゃん。僕の事は是非なっちゃん、と呼んでください!」
「いや、呼ばねえから!」


しかもいきなりちゃん付けか!


あれからいくら呼び掛けても揺さぶっても目を覚まさないこいつを音也となんとか2人でベッドまで運んで。起きてくるまでに音也にこいつについての話を聞いた。なんでもそっちの世界では天才で、学生だけど幾つも賞を穫っていてスポンサーもいるらしい。でも本人は穏やかで天然でどっちかっていうと抜けている。小さくて可愛いものや、小動物なんかが大好きで、だから俺を紹介しようと思ったんだとか(勿論、音也を一発殴っておいた)。今までは女の子を描くことが多くて、男を紹介するのは初めてとのことだった。


「ふふっちっちゃくて可愛いなあ」
「翔のこと気に入った?モデルは、翔でいいかな?」
「はい!とっても気に入りました。こんなに可愛い翔ちゃんの絵を描けるなんて嬉しいです」


音也と四ノ宮那月はお茶を飲みながらほわほわ話を進めていく。正直、俺は付いていけない。いきなり、抱きつかれて、可愛い可愛いを連呼されて。悪意を持って言っているとは思わないが、やはりムカつく。俺は小さいと言われるのも可愛いと言われるのも、嫌いだ。しかもそれを俺より遥かに背の高い奴に言われるとコンプレックスを益々刺激される。だから、雇い主になるだろう人に対する態度ではないけど、ムスッとして黙っていた。無言の抗議ってやつだ。


「じゃ、紹介もすんだし、オレは帰るねっ!詳しい話は2人でしなよ」
「は!?おい、音也!」
「えぇ音也くん、わざわざありがとうございました」



俺が止めよう立ち上がるより早く、音也はまたね〜と手を降って出て行ってしまった。四ノ宮那月と、2人きりになる。まともに口を利いていなかったら、気まずくてどうしていいかわからない。お茶のおかわりは如何ですか、なんて聞いてくるから取り敢えず席に座り直してお茶に口を付ける。



「じゃあ、お仕事についてですね。」
「ああ…頼む」


四ノ宮はそんな俺の空気に気付いているのかいないのか、音也がいたときと変わらずにこにこ微笑んでいた。天然ってのは本当かもしれない。


「翔ちゃんには絵のモデルをしていただきます。隣の部屋に作業部屋があるのでそこで半日ほど。あと、僕が忙しい時とか代わりに買い出しとかに行ってくれると嬉しいです。」


部屋はあとで案内しますね、あとお店の場所とかも教えます。
取り敢えず作業部屋とやらに移動することになり、後ろに付いて歩いていく。先程、コイツが倒れていた廊下の更に先の部屋だった。ちなみにコイツはお客さんがくるからと、何日か物を食べていなかったのに風呂に入って、出たところでぶっ倒れたらしい。お風呂の中で倒れなかったのが、不幸中の幸いだと笑っていた。コイツにとっては、食べないで倒れるのはよくあることらしい。
部屋はさっきまでいたリビングより更に広くて、ベッドがひとつとパレットや紙なんかが置かれた椅子がいくつか、壁にはでかいキャンパスがいくつも立てかけてあった。あと壁に直接、コイツが描いたんだろうか絵が描かれていて、床にも壁にも絵の具があちこちに飛び散っていた。散らかっててごめんなさい、取り敢えずベッドに座ってと言われ、絵の具まみれの部屋の中、唯一と言っていい汚れていないベッドに座り込む。当たりを見回すと独特な画材の匂いがして、高校を卒業して以来入ったことのない美術室を思い出した。
何か質問とかありますか、と聞かれたので、俺はずっと疑問だったことを聞こうと漸く顔を上げて、


「ええっと、四ノ宮、」


はじめて、名前を呼んだ。音也の友達だけど、二個上で雇い主だし、本当はさん付けをした方がいいのかもしれないけど。なっちゃんはあり得ないとしても、相手はちゃん付けで呼んでくるし、呼び捨てでいいかなと思ってのことだった。


「名前で、呼んでください」


しかし、いつの間にか近付づいていて腕を掴まれて、あの緑の瞳に見つめられ次の言葉を続けられなかった。逸らすことは許されない、真っ直ぐな視線。暫し見つめ合ったままになる。掴まれた、箇所が熱い。呼び方なんて、大したことじゃない筈なのに、その表情がやけに切なげで悲しそうで懇願するみたいに見えてドキリとする。


「……那月、」
「はい、なんですか、翔ちゃん」


なのに名前で呼んだらさっきの表情が嘘みたいにぱっと明るくなる。演技だったんじゃないかと疑う程、素早い変化だった。腕もすぐに離される。
なんなんだコイツ…。会った時から振り回されてばかりいる。捕まれていた箇所にまだコイツの熱が残っているかのようで、振り払うように言いかけた言葉を繋げた。


「えっと…、絵のモデルって何すればいいんだ?」


ポーズとかとるのか?
正直、絵のモデルなど初めてで、したことも見たことも無いから何をすればいいのかわからない。同じ体勢で何時間も保つ、とかなのだろうか。だったら、結構キツそうだ。


「そうですねぇ、ポーズを取ってもらうこともありますが、基本的にはそのベッドに居てくれればいいです」
「……そんだけ?」
「はい、一時間に50分モデルをしてもらって10分休むって感じでしょうか。疲れたら言ってくださいね」


やってみた方が早いですよね、と那月はイーゼルとそこらへんの椅子の上にあったスケッチブックを持ってきた。那月がごそごそ準備している間、俺は何をしていいかわからなくてただ那月の姿を目に追う。なんか、緊張してきた。初めてのことってのは、それだけで何でも少し緊張する。気が引き締まって、嫌なものじゃないけど。ベッドに腰掛けた脚をふらふらとさせ、準備が整うのを待った。
お待たせしました、とイーゼルにスケッチブックを置き、椅子に腰掛けた那月に声を掛けられて顔を上げる。そこにはほやほやした笑顔があって、一気に緊張が解かれるというよりも毒気を抜かれたようで少し脱力してしまう。そして、お茶のおかわりを尋ねた時と同じ軽い口調、声音で





「それじゃあ翔ちゃん、」
「服を、脱いでください」








そう言った。