風魔小太郎 過去捏造

はじめて、ひとをころしたときのはなしをしよう。



汚い手が、おれの服を掴んだ。其れは今にも消えそうなほど小さく、儚く、仄かな脈を放っていた。払い除けることは簡単だった。片手に握るクナイでそのか細い喉を貫くことなど容易いことだった。赤に塗れた室内、ぽつりと人だったものの前に立ち竦むおれに近付いてきた其れは、怯むこともなくおれに近付いた。すぐに、ああ、殺さなければ。殺さなければと、思ったのに。見られてしまった。忍失格だ。おれはまだ忍として未熟だからまだ任務は任せられないと長が首を振ったと言うのに反対を押し切ったおれへの懲罰だろうか。それにしても、こんな場面に出くわして悲鳴ひとつ上げない其れが不思議でならなかった。だからかもしれない、咄嗟に息の根をとめられなかったのは。


「……あなたが、やったの」
「…………」


それに応える声は出ない。とうの昔、生まれた直後に潰されたから。抜け忍となり情報を漏らさぬようにとのことらしい。だからおれは字も読めないし、書けない。じいとこちらを見上げてくる丸い眼球を直視することに耐えられず視線を逸らした。未熟者。―言葉が、 言葉が   過ぎる。ああ、殺さなければ、殺さなければ。 いけない と。頭では理解できると、言うの に。


「…………泣いてるの」
「……」
「あなた、泣いてるの。忍者さん。怖いの。恐ろしいの。人をころしたのは、はじめて?」
「…… …………、 …」
「…私はね、私はね、あるよ。私ね、生まれてきたときね、おっかあを殺したの」


珍しい話ではない。農民の女は弱いから。出産で体力を使い果たし息絶えることは珍しくない。其れを自分が殺したと思う農民の子供は、珍しいかもしれないが。鉄の匂いが、鼻をつく。ああ、ああ、嗚呼。頭の中が可笑しくなってしまいそうだった。今すぐに目の前の其れの喉笛を掻き裂いて、そうすれば、そうすればおれの平穏は戻ってくるのだろうか。


「…あれ、おとう。………あなたが殺したの、わたしの、おとうなの」


おれの装束を掴む反対の手で、物言わぬ屍となった床に転げる物体を指差す瞳に色はない。悲しみも怒りも、なにも感じられなくて、おれは底知れずそれが怖かった。僅か、装束を掴む手の握力が増した。相変わらずこちらを眺める其れに、長い前髪の奥から視線を返す。ぱちりと、視線が重なる。


「………おとうも、おっかあも、居なくなっちゃった」
「………」
「…あなたは、怖かったのでしょう。ひとをころすこと。それでいいの。ずっとね、それをね、わすれないで。人をころすことは、恐ろしいこと。そのひとだけでなく、そのひとに繋がる全部、奪うことなの。だからね、それをね、わすれないで。―――……わたしをね、忘れないで。」


おれを見るその瞳は、瞳は。おれを、逃がさぬようにと、おれを捕らえて離さなかった。