夢を、みた。 優しい、夢。

そっと瞼をなぞる指先はまるで日溜まりのように暖かくて、ボクを眠りの床に沈めていく。ゆっくりと閉じる意識の幕の向こうで、微笑うわらう、キミ、は。






「N」
「名前」


稚拙な滑舌で、その声はボクを呼んだ。空色によく映える白のワンピースを翻して、彼女はボクに微笑む。鼓膜に届くのは彼女の声と線路を這う玩具の電車の音、それだけ。それ以外はしんとした静謐な世界でボクと彼女はふたりきり。小さい頃もよくこうして二人で居たけれど、大きくなった今彼女とこうしてボクの部屋で向き合うのは久しぶりだった。それでも、何も変わってはいない。空色に映える白も、どこか幼い口調も、ボクも、キミも、この世界も。敢えて言うならキミもボクもこの世界に収まるには少し大きくなってしまったことくらいか。


「N、……N」
「悲しい目をするんだね」


今日は今までで一番楽しい日になるはずなのに。ボクも、キミも、トモダチも、みんなが幸せになるための日なのに。白に包まれた彼女は微笑みを口元に湛えたまま悲しそうな瞳を、した。それが何を現すかなんてボクには到底理解することはできないのだろうけれど。早々に思考を放棄して、足元に転がるバスケットボールを手に取り、投げる。呆気なくゴールへと入ってしまうそれは、とてもつまらなく思えた。そういえばこの遊び方を教えてくれたのは彼女だったと、ぼんやりと考える。与えられた玩具は与えられただけ。遊び方なんて知らなかったから、それら全部は彼女が教えてくれたものだった。当の本人、彼女は数回拍手を響かせて、わらう。


「うまく、なったね」
「こんな短距離からあれだけ背の低いゴールに入れられない様じゃ、英雄は務まらないよ」
「英雄、」


冗談、というものを言ってみせても彼女が反応を返したのは後半の部分のみで、少し面白くなかった。トントンと、数度跳ねて彼女の足元に転がっていったボールに視線を移して、しばらく。彼女が拾い上げたそれはボクに既視感を与える。ああ、昔もこうやって―思い出に浸ってみれば容易に口元は弛む訳で。大事な運命を決める時が迫っているというのに、まるで夜の海の波のようにこころは静かで、この世界は相変わらず静寂に満たされていて、ずっとこのままでもいいかもしれないなんて、理論から外れた妄執にも似た思考に囚われそうになる。ぼんやりとしているうちに彼女の放ったボールはゴールに届くことなく地面に落ちて、数度転げて視線の外へといってしまった。妙な沈黙の後、ボクが我慢し切れなくて噴き出すのと同時に彼女はふいと拗ねたように顔を背けてしまう。ああ、ああ、可愛い。ボクはどうやら物覚えがいいらしくて、教えてくれた彼女よりもすぐにうまくなってしまうから。昔から失敗して拗ねる、そんなパターン化された彼女の行動がとても愛しい。愛しい彼女と愛しい世界と、その中で流れる穏やかな時間を失ってしまうのは、―なぜだろう。とても、勿体無く思えた。


「…いつまで笑ってるの」
「ごめん、もう笑わないからさ」
「まだ口元、笑ってる」


―捨てて、しまいたい。
ふと、そう思えた。英雄だとか、ハルモニアだとか、そんな柵を全部捨てて、このまま彼女と小さなこの世界に留まって居れたらと。それは、今までボクのしてきたことを否定する行為なのだと解るのだけれど。


「……今なら、まだ、逃げれるよ」


ふと、瞳を細めて、彼女がそんなことを言うものだから。
ああ、そんな世界もあってもいいのかもしれないと―理屈や理論じゃ説明しきれない感情を抱いてしまう。トモダチを助けたいと、人間からトモダチは解放されるべきなのだと、そのためにはボクが英雄とならなければいけないのだと。その気持ちは変わらないのに。目の前にくいと差し出されたてのひらを、取ってもいいのだと無償に差し出されたそれに、縋りそうになる。


「………なんて、ね」


だから、また笑いながらてのひらをひっこめた彼女に安堵したのは、結局ボクの惰性が導いた答えなのだろう。



(この小さな世界で) (息絶える、本望)