「好きですよ」
「………またかい」


重苦しい溜息を吐きながらも正座した私が断言すれば、中禅寺さんは本を閉じてこちらに視線を向けてくれる。これはかなりの進歩なのだ。初めて会った時は、そう、忘れもしない。まるでこの世の終焉を呼ぶ害虫を目の当たりにしたかのように陰気で醜悪な物を見る視線で一瞥された。本気で泣きそうになったのは秘密である。―今では、そんな視線すべてを愛せる自信が、私にはある。


「好きですよ、大好きです。愛しているといっても過言ではありません」
「…何度も言っている気がするがね、僕には妻が居ると」
「知っています。さっき干菓子をもらいましたから。美味しかったです」
「君に言わせれば恋敵なのだろう。仲良くしてもいいのかい」
「いいんです。千鶴子さんを愛している愛妻家なところも含めて、私は中禅寺さんがすきなんです」


我ながら狂っていると思う。恋に狂うとは正にこのことなのだ。彼はとても、愛妻家だ。普段から現すようなことはしないけれど言動の節々に明らかに妻への労わりや愛情が見える。きっぱりと言い切った私を最早奇特の感情すら込めて、しかし同時に奇異な物体を摘むように彼の視線は刺さる。そんな視線を向けますけどね、中禅寺さん。私は思う訳ですよ。


「そんな私に好かれて、それを受け止めてしまう中禅寺さんもどうかしていると思います」
「……………」
「似た者同士、ですよ」


珍しく押し黙る中禅寺さんの眉間は、爪楊枝が一体何個乗るだろうと好奇心を擽られる程に深く皺が刻まれていた。そうなのだ。彼は口先では辛辣な言葉をいくらでも吐き出すけれど、私を追い出したりしない。それで脈があるなんて思う程、私は恋する乙女になりきってはいないけれど。どうせ面倒くさいだとか動くのも億劫だとかそんな理由だろうから。それでも、私はそれだけで十分なのだ。


「好きですよ」
「そうかい」
「大好きです、愛してます」


この感情を、彼へと吐露できる間は、私はそれで満足。結ばれたいだなんて思わない。古びた本に囲まれて、六畳弱の縁側の部屋で、ぽかぽかとした陽射しを受けながら。どこまでも凄絶で怪奇な感情を彼に伝えられる、ならば。




(実らなくていいの) (独り善がりな、愛情)