(多分、俺は真っ直ぐ惹かれつづけるんだと思うよ) 橋を渡れば広がった景色は、見慣れたものだ。青々と茂る木々が山を覆っている。夏の虫の声も聞き慣れて、ぎらりと照り付けるお天道様に湿っていく肌を、今度は温い風がゆるゆると包み込む。風とともに流れてくる小さな虫たちを通り過ぎながら、さあと足を進めようとしたその時だった。既に踏み出した右足はぎゅうと草を踏み締めていた。 「あれ、ハチじゃない」 見慣れた景色に、聞き慣れた音が重なる。振り向けば俺の回りの空気がくるりと風になり、かさかさと髪を揺らす。そして目に映るのは、優しい、穏やかな声から頭で予想した通りの彼だった。おそらく彼もまた、お使いの帰りであったのだろうと予想する。普段着る青色のそれとは違った私服に身を包んだ彼は、左腕に何かを風呂敷で包んだものを抱えて、にこりと笑んだ。その表情に俺も自然と頬を緩ませる。 「頼まれごとか?」 「うん、まあ、そう」 「……?」 曖昧に苦笑いを浮かべて答える雷蔵に首を傾げる。そして次には「帰りながら話そう」と荷物を持たない方の手で俺の腕をひいて眉を下げた。自分よりも細い指に捕まれる手首。不覚にも、脈が、少しだけ速くなった気がした。今まで鮮明に見えていた景色が眼に入らない。風の柔らかさも、照り付ける陽射しも、小さな虫のささやきも、すべてが朧げになっていく。雷蔵に触れられると、そうだ、胸がいっぱいになる。そんな俺の気を知ってか知らずか、手を引く相手は口を開いた。 「三郎がね……、」 続く言葉におおかたを理解した。どうやら雷蔵が頼まれたものは学級委員長委員会の三郎が頼まれたものだったらしい。だけど三郎は「こんな暑い日に私を外で照り焼きにするつもり!?」だとかなんとかあーだこーだ文句を零したあげく変装を使って何処かに逃げた、それで仕方なく雷蔵が引き受けた、というわけだろうか。雷蔵も人が良いというかなんというか。まぁ分からなくもないな、そう思って苦笑いをすれば雷蔵も同じように。多分、俺も同じ立場ならそうしていただろう。兵助も、だ。俺達は皆、結局、変な意味とかじゃなくてそんな三郎がかわいくて甘やかしてしまうから。 「雷蔵が行くって言えば三郎も行ったんじゃねーの?」 「多分ね」 「いやいや絶対だって」 「あはは」 そんな級友の話に花を咲かせながら、気づけばひとつの山を越えていた。いつの間にか夕焼け色に色づいた空が木々を黒く染めはじめて。未だに繋いだ手が温かい、そう思った瞬間、ふわふわとした笑い声が途切れて少しの間だけど、足が土を踏む音だけがした。 「ねぇ、ハチ、僕が腕を掴んだ時」 少しどきどきしたでしょう? 唐突に。俺は思わず足を止めてしまった。遅れて足を止めた雷蔵は振り向いて、髪を揺らした。 「うん、まあ、した……けど、」 目を見開いて呆気にとられた表情で答える。嘘はついても仕方ない。だって、その通りだから。俺のそれより少しだけ低いところにある瞳はくりくりと俺をとらえたままだ。 「……あー……、えっと、雷蔵は……どきどきしなかった?」 聞くのがちょっと照れ臭くて、それでも聞かなければ平等でない気がして頭をがしがしとかきながらも俯いて尋ねれば。 「凄く、どきどきした!」 笑顔で答える雷蔵が眩しすぎた。ふわふわな笑顔も、柔らかな髪の毛も、すぐにそんな風にかっこ良く答えてしまうお前のすべてを。夕陽が照らして、俺の目に焼き付けた。 「ハチ、」 「ん」 「帰ったらおまんじゅう!」 「おう!」 風呂敷を持った手を少しもちあげて呟いた後のことだ。優しく微笑んで、また俺の手を引いて歩き出すのだ。 (不器用な蝶々結びに縛られた風呂敷を片手にほら、一歩、一歩) |