五年生の長屋。ここは僕と三郎の部屋の前だ。だけど縁側に腰を下ろすもうひとりは、僕と同じ容姿などはしていない。僕のものとはまったく違う容姿を身につけて、そらを飛ぶそれを一生懸命目で追っていた。

「あれ、なんていうの?」
「ああ、トンボトンボ…………、あ、えと、そうじゃなくて名前か。夏茜って言って、赤トンボの一種なんだ、っと」

 嬉しそうに説明を始めるハチが人差し指を立てると、そのトンボは迷いもなくくるりと回ってその指先に身をゆだねた。ゆっくり羽根を開き、そしてひゅうっと羽根を閉じる。それの繰り返し。

 僕はハチの指先に止まるそれに見入ってしまっていた。

「ほら、眼まで真っ赤なんだ」
「わあ、本当だね」
「……別に特別珍しいってわけでもないんだけどさ!」

 綺麗だろ?ニカっと笑むハチは「それ」と言いながら手を上に振り上げて、トンボを空へと誘う。ハチの指から離れたトンボは、また僕らの近くを自由に飛び回っていった。僕らを取り巻く赤に、夕焼けの赤が交わってまるで赤一色の世界にいるみたいだった。僕とハチまで真っ赤でなんだかさっきのトンボみたいだなあなんて思ったりして、口元に手をあてて小さく笑みを零す。

「え、どうしたんだ雷蔵」
「だってさ、ほら、僕も、ハチも、真っ赤なの」

 僕の言葉にハチは「おお」といまさら気づいたように僕と自分の腕やら体やらを見て「本当だなぁ」と感心しているようだった。

「俺も雷蔵も夏茜みたい?」
「それなら、僕らも空を飛んでどこかに行っちゃえたらいいのにね?」
「あはは、空なんて飛べたら楽しいだろうなぁ!」

 笑い合う僕ら。いつのまにか、トンボは姿を消してしまっていた。

「……ほんとに、どこかに飛んで行けちゃえばいいのにね」
「雷蔵がどっか行ったら、三郎が泣くぞ?」
「そうかもしれないね」
「おいおい」
「大丈夫、三郎には兵助がいるもの」
「いいや!!私には雷蔵しかいない!!」

 雰囲気がしんみりとしかかったそのときだった。腕を思い切り僕の首に巻きつけていきなりそう叫んだ人物。言わなくても分かると思う。その様子を数歩離れたところで見守るのは兵助だ。

「おお、三郎、兵助。おかえり!」
「おいてめえハチ!雷蔵とどっか行ったらただじゃおかねえからな!」
「いやいやいや、俺にそんなこと言われても!!」

 僕から離れないまま、ハチをにらみつけるとハチの反応を楽しむように、三郎は言葉を続けていた。

「雷蔵、あのさ」
「兵助?」
「もし、お前らがどっかに飛んでいくなら、そのときは」

 俺らも一緒だろ?ぽすんと頭に手をおかれ、思わずきゅっと眼をつむる。三郎の、雷蔵に気安く触るなよなんて声が聞こえて眼をあけると、兵助を思い切りにらみつける三郎がいて、僕とハチは顔を見合わせて笑った。