神楽坂が泣いたところをはじめてみた。落とされた瞼から流れ伝う涙が頬を濡らす曲線。こんな綺麗な涙を、俺はみたことがない。

 どうして。その一言が出てこなかった。伸ばされる腕のままに包まれて、縋る様に抱きしめられる。どうして、なんで泣くんだ。その一言が、出てこなかった。

「かぐらざか」

 振り絞った言葉が辛うじて音になる。返らない声に不安になって、それでも包む力が弱まることはない。神楽坂、そう名前を呼ぶだけで精いっぱいなんて、どうかしているだろうか。

 蚊の鳴くように響くのは。

「くるしい」

 くるしい、くるしい。そう言ってひたすらに涙を零すんだ。どうして、なにが、なんで、聞けない、聞けない、言えない。ほんとうに伝えなくちゃいけないことは分かっているはずの彼が言葉にできない感情をあえて問うことなんて、できるはずがない。

 本当は。

「俺も、苦しいよ」

 ゆっくりと持ち上げられる瞼から覗いた瞳がきらきらと光って。

「……お前が、好きすぎて、苦しいよ」

 笑顔と言葉にすれば、自然に涙があふれた。



ああ、こうゆうことだったのかと心に刻まれるその想いは

「七海」

 落とされる唇、途切れる言葉。ああ、この想いは果たして。
「……七海も、苦しい」
「……、」
「ごめん、七海」
「なんで謝んだよ」
「……だって、嬉しい」
「は、」
「苦しいのに、嬉しい」

 その優しい笑顔も綺麗な涙も。知っているのは世界中で俺ひとりだったらいいのにと思うくらいにはお前が好きだ。

(“おそろいだ”って言うお前を抱きしめ返したくなるくらいには、)