夕闇に染まる空の下。
 すぅっと小さく空気を吸い込んだ一之瀬は左足を軸にして右足を大きく振り上げる。蹴り込む玉が足の甲とぶつかる音、気持ちの良い程、渇いた音がグラウンドに響いた。

 カゴから次のボールを取り出すと地面に置いて、またそれを蹴ろうと足を振り上げた時。誰もいなかったはずのグラウンドに一之瀬の目の前に風のような影がすり抜ける。照明に反射したゴーグルが光り、目の前にあったボールは消えていた。

「不意打ちは酷いな」
「遠藤じゃあるまいしこんな時間に練習か?」

 目を細めた一之瀬の前で鬼道は右足でボールを軽く押さえ腕を組んでいた。

「今日は試合もあったんだ、休んだ方がいいんじゃないか?」
「心配、してくれてるんだ?」

 ニッと瞳を光らせた。
 今度は体勢を低くした一之瀬が鬼道からボールを奪うと素早いステップでゴールにボールを打ち込む。ボールは力強く地面と平行に飛んで、ポストの右上の隅に掠るように当たりネットを揺らす。相変わらずのコントロール力に鬼道は感心した声を出した。

「……大丈夫だ、と言いたいわけか」
「まぁね、」

 立てた二本の指を頭の横に添えてから横に反らしながら笑う。そんな一之瀬をみて鬼道もしょうがない奴だなとつられるようにして笑った。





 空はもう真っ黒だった。真っ黒な空に点々と星が散らばる、その下をゆっくりと歩く。

「結局付き合わせちゃってごめんね」

 鬼道は試合で特別疲れているだろうしと付け足した一之瀬に鬼道は気にするなと笑った。

「別にかまわない。それより一之瀬、お前」
「ん?」

 にっこりと首を傾げる一之瀬。

「……いや、何でもない」
「何だよ、気になるじゃないか」

 拗ねたように一之瀬がまた笑うと鬼道はゆっくりと進めていた足を止める。それに気付いた一之瀬も何歩か遅れて足を止めてから後ろを振り向いた。

「一之瀬、本当に、何もないのか……?」

 あまりに真剣な声色に少し驚いて、けれど一之瀬は下を向いて眉を下げてまだ、笑う。

「あはは、なに言ってるのさ、鬼道。そんなに俺、しょぼくれてみえるの?」
「茶化すな、俺は、」
「鬼道、俺、風丸や吹雪みたいに我慢強い方じゃないんだ。辛い時は辛いって言うし、苦しい時は苦しいっていうから安心してくれていいよ」

 言葉とは裏腹に。胸に込み上げる感情に一之瀬自身が戸惑っていた。それを隠すように鬼道に背を向けると先程まで進んでいた方向に歩きだす。これ以上何を言っても仕方ないと諦めたのか、鬼道も後に続き歩きはじめた。

「……星、綺麗だね」
「……ああ、そうだな」
「…………鬼道俺さ、時々思うんだ」



俺はまだ大丈夫だから、どうかこの弱さにまだ気付かないでいて欲しい。どうか気付かないフリをしてほしい

(もし、あの怪我をしていなければって。もしあの時怪我をしていなければ俺はもっとうまくなれたんじゃないかって。俺が“サッカーをできなかった”あの時間はもしかしたらかけがえのないものだったんじゃないかって。でもそんなこと言ったって仕方なくて、だから俺は失った時間を取り戻すためにボールを蹴ることしかできなくて)

「……あー、やっぱり何でもないや」
「……そうか」
「鬼道、」

 また、なんだと問い掛ける鬼道に悪戯に呟いた。

「手、繋ごうかっ!」
「っ、ばっ」
「あはは、照れてるっ」