突然告げられた言葉に、進めていた足が、鞄を持っていた肩が硬直した。バカみたいだろ、と掠れた声でいう相手を振り返る事ができない。分からない、分かりたくもない、なんでそれを俺に言うんですかと問えばうんなんでだろうなと言葉が返った。知るかよ、そんなこと。

「慰めてほしかったのかもしれない」

 弱い言葉が背中越しに聞こえて、ああ、そんなのあんたじゃないそんなのは、違う。ひゅる、と風の音だけがした。

「先輩、俺は、」

 俺はそんなに優しくはないですよ。だってこの感情は、あんたを慰めるために存在しているわけじゃない。そんなことのために、俺はここにいるわけじゃない。心に薄暗い感情が湧くのを抑えることはしなかった。

「そうかな」

 優しくなんてあるわけがないのに。

「俺は違うと思うな」

 なんであんたが分かるんだろうか。知ったふうな口を叩く、だから嫌なんだ、あんたみたいな人は。

「狩屋」

 ふいに、手が引かれる、反転した身体、いきなりの相手の行動についていけなくて無意識に先輩と視線が重なる、吸いこまれそうになる瞳だった、視線をそらそうにも、動けないんだ。

「なら、なんでお前が泣くんだよ」

 落ちる雫が頬を伝って、地面を濡らした。なんで、俺、違う、あ。これは、そうだ俺の涙じゃない、違う。そんなのあんたが泣かないから、あんたが泣くのをやめたせいだ。酷く泣き虫なあんたの想い人のために、あんたが泣くことをやめたせいなんだ。彼のために流さなかった涙、流せずにいた涙は想いが届かなかった今も変わらずに頬を伝うことはない、そしてそれはこれからもきっとそうなのだろう、そんなの、まったくおかしな話じゃないか。

 あの人が泣くから、あんたは泣かないなんて、泣けないなんて。

 あんたは馬鹿だ。だから苦しいんだろ。本当に馬鹿だ、そんなに苦しいのが好きならもっともっと、苦しければいい。そうして苦しくなって、もういっそ泣いてしまえれば良かったのに。

「くそ、……んで、俺が泣かなきゃいけないんだっ」

 困ったように笑う、髪をそっと撫でる掌にぎこちなさはなく、ああ、あんたは今までもあの人のことをそうやって守ってきたのだろうと。

「狩屋」

 笑う、先輩は笑う。

「お前は、言うなよ?」

 好きだなんて、絶対に言うなよ、と。なんだよそれ、なにそれ、勝手だ、勝手すぎる。き、と先輩を睨んでも、それを崩すことはせず。

「……なに、言ってんの、あんた」
「ほんと、何言ってるんだろうな、結構まいってんだよ、これでも」
「……、霧野、先輩」
「ん、」

 失うものなんてないのだ、俺にはあんたと違って失うものなんてない、貴方の様な意味合いでそんな感情は持ち合わせていないから大丈夫なんだってきっと分からないんだろうな、根本的に違っているから。

 だから、教えてやるよ、本意ではないけど。

「霧野せ」

 怖くはない、答えはもう知っているから、恐れなど抱かないのに、言葉を遮られて、手をぎゅっと握られる。怖い事なんて何もないのに、どうしてあんたは震えているんだ。どうしてあんたが震えてるの。

「狩屋、たのむ、から」

 それ以上言わないでくれという彼のなんて弱弱しいこと。そんな先輩は知らないけど、なんとなく分かっていた。案外この人は弱いひとなのだ。強さで弱さを塗り固めるような人を、俺は他に知っているから、気づいていた。

 なぁ、先輩、言っただろ。だから俺は優しくないって。

「好き、ですよ」




この涙は媚薬だ、泣けば泣くほど貴方への想いがつのる

 くしゃり、笑えば、涙が零れたのはやはり先輩ではなく俺のほう。苦しくはない、つらくはない、痛くもないし、もう、何もない。

「お前は、馬鹿だな」

 あんたに言われたくないって思ったのに、言葉に詰まる。声が出なかった、苦しそうに笑う先輩に、声がでなかった。そうしてお前は馬鹿だと繰り返す先輩は続ける。

「馬鹿で、優しいよやっぱり」

 そんな言葉を吐くくらいなら、笑う必要なんてなかったのにどうしてあんたは泣かないのだと問うことのできない自分が惨めで、どうしようもなく。

 そんな言葉はいらなくて。俺はただあんたに泣いてほしかっただけだったのに。握られる手が緩くなる、離されると思った手のひらを、離してなんかやらないと今度は俺がつよく、つよく握った。