その行為は、言葉とはまったくと言っていいほど噛みあっていなかった。思考が追いつかないというのはもや言い訳にもならない。考えないようにしていたことだった、考えても、俺にはそれ以外どうすることもできなかったむしろそうすることが俺にとっても最善の行為であったからだ。

「好きだ」

 それは確かに好意を告げる言葉だった。けれど縮まっていた腕が伸びるとトンと押し返される胸。痛んだのは物理的な問題だったんだろうか、それだけじゃないことは分かっていた。胸が痛い。

「晴矢、?」

 動揺する額から冷や汗が滲んで流れて、それでも平静を装った。好きだと突き放す彼をもう一度繋ごうと手を伸ばした、けれどその手は宙に舞った。

「俺はお前が好きだよ」

 真っ直ぐに俺の目を捕える瞳、そらすことができずに固まることしかできない。その言葉は愛を伝える術。なのに止まらない悪寒が体中を駆け巡る。

「晴矢、俺も、」

 言おうとした瞬間に胸倉が掴まれた、その瞳に溢れそうな涙があってごくりと唾を飲む。痛い、痛い、痛いのはなんで。

「それ以上言ったら俺はお前を嫌いになる」

 なんでそんなことを言うんだ等、知っていたのだ、白々しく問うなんてできるほど、賢くできていない。動じないように見えたんだろうか、まさか。きっと晴矢にはお見通しなんだ。次第に力が抜けて震える指が離されるとぎゅうと握られたシャツが皺を寄せていた。

「……ごめん」

 小さく小さく消えそうなほどだった。ぽつり堕ちた言葉。落ちたのは言葉だけじゃない。涙が零れていなくても俺には分かるんだ、泣いてる、泣いてる。

「ごめん、茂人、ごめん本当は俺がいけなかったんだ俺がお前の優しさにつけこんだから」

 ごめんと好きだを繰り返す相手を抱きしめる資格が、好きだに好きだと返す資格が俺にはなかった。なぁ晴矢、優しくなんかないんだって、どうしたらお前は分かってくれるんだろう。こんなにも俺はお前を想っているのに。

「晴矢に、だけだ」

 俺が優しくしたいと思うのは優しくありたいと思うのはお前にだけなんだよと、どうしたら伝わるんだろう。

「っなんで、なんでお前はそうやって、」
「……好きだって言ったら、怒るんだろう?」
「分かってんなら、」
「それでも、どうしても、ごめん晴矢、晴矢、好きだよ、どうしたって好きだ、好きなんだよ傍に居てくれ、離れて行かないでずっと、」
「茂人、」

 ささやかな拒絶。好きだと言う唇がだめだと俺を突き放した。こんなにも好きなのに、それなのに。

(違う、分かってるんだ。悪いのはほかでもない、自分自身)

 気づいていた、はじめから。俺と晴矢の好きは同一線上に存在していなかった。俺は彼を親友のように家族のように愛していたし、それ以上に思っていたけれどそれは恋慕と言う感情にいきつくことはなかった。それでも俺を好きだと言ってくれた晴矢を拒絶する理由がなかった俺は彼の想いを甘受した。大切にした、それは大切にほかならなかったからだ。俺は彼が大切で愛していた。いずれそれが恋愛というものに発展することもあるだろうと思っていた。何より俺は彼の気持ちを受け取らないことで彼がそばから離れていってしまうという不安から逃れることができない苦痛に耐えうる精神を持ち合わせていなかった。

「……離れ、ねぇよ?」

 俺の優しさにつけこむなんて、それを言ったら俺の本当に目を瞑っていてくれたお前のほうがずっと優しいだろう。自分のほうが辛いに決まっているのにそんなふうに泣きそうに馬鹿だなって笑うお前のほうがずっとずっと優しい。

「馬鹿、何泣いてんだよ」
「……え、俺泣いて」
「ほら」



ねぇ、明日もまた変わらず君に触れられるなら。少し位の焦燥も、次には易しく愛してみせるのに

 呆れたように笑って零れる涙を拭ってくれる指先が温かくて温かくて、離れることを掴もうとする手を食い止めようとぎゅっと拳を握った。

 止めようにも、止まらなかった。多分、だめだ、これ。だめ。

(晴矢が好きすぎて、止まらないんだ)

 暖かい色に包まれるよう。晴矢が俺を抱きしめると、自然と零れる涙は止まってくれた。それはまるで魔法だった。それでも好きで好きでたまらないという感情までは止めることができなくて唇を合わせると反射的に綴じられた目尻から雫が伝う。逃げる舌を追いかけて絡ませれば苦しそうに漏れる息に泡立つ肌。その行為は、事実とはまったくと言っていいほど噛みあっていなかった。思考が追いつかないというのはもや言い訳にもならない。考えないようにしていたことを考え始めた途端、答えがとうに出ていたことに気づく。俺にはそれ以外どうすることもできなかったから拒絶の君を振り払って、獣のように君を求めたのだ。

title by ニルバーナ