おはよう、教室に入って席の前まで行きいつものようにそう言おうとした俺をまるで存在しないように、目も合わせないで席をたった。一瞬の出来事で、俺には今何が起こってるのかってまったく理解できなかった。なんだよこれ。え、だって俺、普通に挨拶して……俺、なんかあいつの怒らせるようなことしたっけ。まだ会って半年も経ってなかったけど、拓矢の性格は大体理解してるつもりでいたんだ。そもそも俺は拓矢と(もちろん柑子とも)喧嘩なんてしたことがなかったから、本当にどうしていいかわからなくなってしまっていた。それというのも拓矢は基本的に俺が何かをやらかしても、笑って見過ごしてくれるようなやつなんだ。それなのに今日のあの態度。確実に、おかしかった。 「粟田くん?」 「……うー」 「何唸ってるのさ」 自分の席に座って頭を抱える俺に声をかけてくる。助けてくれって表情でみたんだろう、無意識だった。そんな俺を至極めんどくさそうな目でみてくる。 「俺、拓矢になんかしたかな……」 「……喧嘩でもしたのか?」 「……無視された」 その言葉にちょっと驚いた顔をした柑子を確認して、そしてまた顔をふせる。 「またどうして」 「……そんなもん俺が知りたいわ」 「心当たり、ないの?」 「あったら謝ってる」 「とりあえず謝ってみたら?」 「……理由も分かんないのに謝るなんて適当なことできっかよ」 「…………ちょっと待って粟田くん」 「……なんだよ」 「僕、わかったかもしれない」 「は、なんで」 柑子の言葉に思わず顔をあげた。なんで柑子に分かって俺に分かんないんだ。それっておかしくね……っつうか、じゃあ、なんで?ぐるぐるした気持ちが抑えられない。いらつく気持ちをどうにかしまいこんで問う。 「誕生日」 「……は?」 「粟田くん、こないだ、誕生日だっただろ?」 「あ?そりゃ何日か前……っつうかなんでそれが関係あんの?」 「……分からないならいい」 「っえ、なんだよそれ!最後まで教えろよ」 「授業はじまるし、静かにしてくれ」 「冷たっ」 そしてはじまった一日。拓矢とは碌に顔も合わせないまま、授業にもいつも以上に身が入らなかった。 今日はサッカークラブはなかったものの、天体観測の約束はしてた。いつもは一番に来る柑子がここにいないのは、電話でちゃんと仲直りしなよ、そうじゃないと僕のほうが気まずいよなんて、本当は優しい友人の気遣いに、少し照れくさかったけどありがとうとだけ告げた。 「……」 「……」 沈黙。流石に何も喋らないなんてことはなかったけど、柑子は?そう問われた言葉を適当にあしらうようにして答えると、ふうんって、気のない返事を返された。あれ、なんかこれ、まずくね。 「拓矢」 「……」 「拓ちゃん」 「……」 「拓矢くん」 「……」 「なしもと」 「……なんだよ、って、」 「〜〜っ」 膝の上に手をぎゅっとにぎって俯いて、唇をかんだ。でも、ぼろぼろにあふれる涙が止まってくれなくて、拓矢が凄い驚いてるのが分かった。なんだこれ、なんだこれ、いやだもう。なんで口聞いてくれねーんだよ、なんでそんなにそっけねーの。 「っなんなんだよぉ、くそーっ……」 「ちょ、何泣いて」 「っるせぇばか……ばかぁー……」 「あああもう分かった!俺が悪かったよ、お願いだから泣くなよ」 「うー、そんなの、……理由になってねぇんだよーーーー!!」 「うわ、わ、やめろって謙ちゃん!っていうか鼻水つくからっ!!」 涙で顔をぐちゃぐちゃにさせながらそう言ってくる拓矢の髪の毛をぐちゃぐちゃに掻きまわして暴れた。もうわけわかんなくて、でも口聞いてくれたことに凄く安心してる自分がいて。暫くして落ち着いた俺は改めて問う。 「無視とか、酷いんだよ」 「うん、ごめん。子供みたいだった」 そんなふうに言ってくる拓矢に、ばか、子供だろと悪態をつく。だって子供だよ、俺もお前も子供なのに、なんでそうやって自分ばっかり一歩引いて。そんなの、おかしいじゃないか。 「……なんで」 「ん?」 「なんで無視とか」 「あー……」 むくれていう俺に今度は拓矢が俯いて頭を掻いて。誕生日だと教えてくれなかったことが、俺の誕生日を知らなかったことが、祝えなかったことが、悔しかったんだと照れくさそうに呟いた。ああ、いつもそうやって人のことばかり考えるんだね、素直で優しいお前は。重なる面影、浮かんだ笑顔は。 鳴くや 哀しと 白夏は逝く 小さくてやわらかい、白い手を握ると、嬉しそうに微笑んだ。頬に感じた温かさに、疑問なんて湧くはずもなく。数日前、誕生日、手紙が届いた。懐かしい字だった。綺麗な、細い線が、“けんすけくん、おめでとう”という文字を形どって。膝に顔を埋めた俺の頭を撫でてきた拓矢は、改めて流した俺の涙の理由を聞くことはなかった。 (title:夜風にまたがるニルバーナ) |