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「知らなかった?
訓練兵団教官シャーディスはエルヴィンの一つ前、12代調査兵団団長だよ。
私達も会うのは久しぶりだ」
ハンジの言葉に耳を傾けながら、わたしたちは3年間をそこで過ごした地へと馬で駆けながら向かっていた。
そして着くや否や、エレンは馬から降りて訓練兵たちを見ているキース教官に声をかける。
「シャーディス教官」
教官が首だけをわずかに動かしエレンへと顔を向けると、エレンは彼に敬礼をしてみせた。
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「どうしたブラウス、座らんのか?」
わたしたちが椅子に座り机を囲んでいる中で1人だけ立ちっぱなしのサシャに教官はそう声をかけるが、本人であるサシャは落ち着かない様子だ。
「いいえ、私めはこちらで結構です...!」
「...確か、お前はこの教官室に呼び出されてはよく絞られてたな...。
...あれからたった数ヶ月。皆、見違えるように変わった」
教官は決して目を皆に向けることなく、下を見つめたままそう言う。そう言った教官には3年前、当時のような厳格とした雰囲気を感じられなかった。
重たい雰囲気が続く中、リヴァイが口を開く。
「あんたを最後に見たのは確か、5年前だったか.....。
あんたも...その...、変わったな...」
5年前。5年前の教官を知らないのは、きっとわたしが彼と入れ替わるように調査兵団に来たから。リヴァイやハンジの知る教官の姿と、わたしたちの知る今の教官の姿は違うのだろう。
「調査兵団結成以来、団長が生きたまま交代したのは初めてだ。
無能な頭を自ら有能な者にすげ替えたのだからな。私の残した唯一の功績と言えるだろうな」
「シャーディス団長.....いえ、教官殿。
ウォール・マリア奪還を目前に控えた我々が今ここに詰め寄る理由を察しておいででしょうか?」
ハンジの言葉に教官はようやく伏せていた目を上げ、エレンを見つめた。その目は少しだけ悲しげに歪む。
「エレン...。お前は母親のよく似ているな。
だが...、その瞳に宿す牙は、父親そのものだ」
教官は知っていた。エレンの見た記憶の通りに、エレンの父親のこと。過去のことを。
教官の発言にエレンは勢いよく立ち上がり、彼に詰め寄った。ガタッ、と椅子が無機質な悲鳴を上げる。その音がやけにわたしの耳に響いた。
「.....話して下さい!!知っていることすべて!!」
「何も知らない。結論から言えばな。
だが、人類の利にはなり得ない話でよければ聞いてくれ。
傍観者にすぎない、私の思い出話を.....」
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教官が語った内容。それは、まだ彼が団長ですらない、調査兵だった頃。その時のとある壁外調査の帰路で、彼は壁の外にいた一人の男に出会った。それがエレンの父親である、グリシャ・イェーガーだということ。
彼は自分の家や出生の記憶が一切なかったが、その中で覚えていたのは自分の名前と『医者』であったということ。
それからも教官はグリシャ・イェーガーと交流を持ち続けた。そして当時の団長が殉職したため、次の団長が教官へとその責務が移行した時、グリシャ・イェーガーととある酒場で働いていたカルラとの結婚の知らせを受ける。
教官が団長であった時、調査兵団の成果は酷いものであったという。民衆は不満を抱き、同じことの繰り返しだ、と口々に言った。
凡人は何も成し遂げなかった。特別な人間はいる。ただそれが、自分ではなかったとういうだけのこと。
それに彼が気づいた時、彼は団長という立場を今の団長であるエルヴィンへと譲った。いや、譲る他なかったのだろう。
そしてウォール・マリアが突破された時。それは教官が最後の任務であった時だった。教官はトロスト区へと来ていたグリシャと合流し、彼が家族が避難所にいるだろうと思い、教官と共に家族を探した。
ようやくグリシャはエレンを見つけ、気を失っているエレンを起こした。目を覚ましたエレンが告げたのは、母親、カルラが巨人に食われたということだった。
それを聞いたグリシャは、エレンに母親の仇を討つように言い、森へ連れて行こうとする。自分で仇を討てばいい、エレンは選ばれし者ではないかもしれない。そうグリシャに告げたが、彼はあんたとは違う、関わらないでくれ、と言い残しエレンと共に森へと消えた。
しばらくして、森の中から雷のような光が見え、その場へ行くとそこには倒れ込んでいたエレンたった一人の姿しかなかった。
「私はお前を寝床に戻した。それが私の知るすべてだ」
「...それだけ...、ですか?」
エレンの言葉に教官は目線を再び目線を誰に合わせることもなく、どこか違うところを見るような目をする。
「他には何も.....」
「...あなたほどの経験豊富な調査兵がこの訓練所に退いた本当の理由がわかりました。
成果を上げられずに死んでいった部下への贖罪
.....ではなく、他の者に対する負い目や劣等感。自分が特別じゃないとかどうとかいった...。
そんな幼稚な理由で現実から逃げてここにいる」
「...ハンジ、やめよう」
そんなわたしの言葉も虚しく、ハンジは教官へ言葉を続けた。
「この情報が役に立つか立たないかをあんたが決めなくていいんだ。あんたの劣等感なんかと比べるなよ。
個を捨て公に心臓を捧げるとは、そういうことだろ?」
感情が昂ったのか、ハンジは敬礼をしながら立ち上がり、椅子がまた雑な音を奏でる。
「やめて下さい、ハンジさん」
ハンジを制したのはエレンで。エレンに目を向けた時、彼は暗い顔をして続けた。
「教官の言う通り.....俺は、特別でもなんでもなかった。
ただ...特別な父親の息子だった。俺が巨人の力を託された理由はやっぱりそれだけだったんです。
それがはっきりわかってよかった...」
エレンのその言葉に教官は一度したようにまた、悲しそうな苦しそうな目をして口を開いた。
「お前の母さんは...、カルラはこう言っていた」
『特別じゃなきゃいけないんですか?絶対に人から認められなければダメですか?
私はそうは思ってませんよ。
少なくともこの子は.....
偉大になんてならなくてもいい。人より優れていなくたって...。
だって.....、見て下さいよ。こんなにかわいい。
だからこの子はもう偉いんです。
この世界に、生まれて来てくれたんだから』