雪が解けた天空へ・1





倒れたテュケーを初めて見たのは、名前を与えられたその直後だった。
何の脈絡も伏線もなく、突然テュケーは倒れた。

「……おい、ガキ?」
「……疲れちゃった」

何だと思って声をかけてやったところ、そんな答えが返ってきた。
“疲れた”などとテュケーは笑うが、テュケーの様子はどう見ても疲れたソレではない。
顔は濃い赤が増し、呼吸は荒い。
肩で息をしている状態で、苦しそうだ。
よく分からないが、これは“高熱”というやつではないのだろうか?
貧しい知識で考えて、そうではないかという結論に至る。
しかし、どうして急に?
高熱とはこんな突拍子もなく起こるものなのか?
いや、そんな事を考える前にバルカンを呼んだ方がいいだろうか?
こうしている間にも、目の前のクソガキは胎児のように丸くなって、息を小さく吸っては大きく吐くのを繰り返していた。

「……ううっ……」
「クソガキ、お前……どっか悪ぃのか」
「……いつも、だから。へいき、だよ」
「いつも?」
「……う、ん……」

丸くなっていたテュケーは起き上がり、辛いくせに微笑んだ。
いつも、と言うだけあってやはり慣れているのかもしれない。
テュケーは何でもないように身を起こし、自身の指を刀身に乗せた。
僅かに震え、汗ばんでいる手に触れられて、変な気分になった。胸がざわつくような、チクリとするというか、痛々しいというか。
……痛みを感じるような胸など心などないのに。
当時はまったく理解できなかったが、それはヒトの心で云う「心配」というやつだった。

「原因は分かるのか」
「うん……運命の輪、廻したから……」
「……はっ?」

一瞬、テュケーが何を言っているのか理解が出来なかった。

詳しい事はまだ知らないが、テュケーは運命の女神。
運命の輪を廻すのは当然だろう。
なのに、どうして、運命を廻して体調を崩す?

……そう質問してみたところ、テュケーはとんでもない事を言ってのけた。

「わたしの生命力で、運命の輪……廻してるから」

時間が止まった……気がする。
沈黙が長く続いて、テュケーが不思議そうに首を傾げた。

「どうかしたの?」
「どうかしたの……って、お前な……。お前はそれでいいのかよ?」

―――……はっ?何だ?何だ、これは?

何かおかしい。

どうしてこのクソガキを気にかけてしまっているのだろう。
自分には必要ないものなのに。
名前を与えられた事で、情でも湧いてしまったのだろうか。
だとしたら、自分はかなり単純で愚かである。

「……わたし、別に死ぬとかどうでもいいんだ」
「……へェ」
「それにね、生命力を削って運命を廻しても、死ぬことはないから……」
「どんな原理だよ……」
「運命を廻すとね、その運命に感謝する念を捧げられることがあるの。感謝の念は運命神への祝福みたいなもので……それで生命力が回復するんだ」
「……」

何かおかしくはないだろうかと思う。
そもそも運命を廻さなければ生命力を削られる事はない。
なら廻さないでいいではないか。

「廻す運命が大きければ大きいほど、削られる生命も大きいけどね」

運命を廻す代償―――何せ神も人も逆らえない運命を紡ぐのが運命神というやつだ。
そこには不条理と理不尽しか感じられない。

「運命神ってね、死ぬその瞬間にも運命を廻せるんだって」
「仕事熱心なもんだな」
「どんな運命でも廻せるんだ。それこそ、世界の滅亡でさえ」
「……世界を滅ぼすのが楽しみなのか?そりゃ随分といい趣味だな」
「違うよ。例えの話。死の代償はそんなにすごい運命も廻せるってこと」

まだどんな運命を廻すか決めていないけどね、とテュケーは付け加える。

今思えば、自分と共に居なかったとしてもテュケーには素質があった。
狂気の素質。
きっと、キッカケを与えてやれば彼女はすぐに狂気に目覚める。

だから、堕としてやりたいと思った。

テュケーを好いてしまったから、傍に置いておきたかった。

その為に何が必要か。
自分を理解できる『狂気』だ。
呼んだら、来るだろうか?
此処に……。
共に、堕ちてくれるだろうか。

愚かだとは思わなかった。

運命を廻して生命を削るより、自分と在った方が幸せだと。信じて疑わなかった。
それが間違いであったと気付いた現在でも、認めたくなどない。
テュケーは自分と居る事が何よりの幸せだ。
狂気に堕ちる彼女を見ても、後悔はしない。
後悔をすれば、その瞬間に彼女の不幸に繋がってしまうから。
だからこそ。

堕ちる事を、やめなかった。



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