緋の希望絵画 | ナノ

▽ 彼は少年でいる・4




うっすらと聞こえる声は、幼稚な言い争い以外の何者でもない。

「負け犬ほどよく吠えるという……いい加減そんな格好で珍走したり暴力に身を任せているのは……根性が無いせいだと気付くべきなのひゃ!努力をしないキミたちはすでに負け犬なのひゃ!」
「聞き捨てらんねーなぁ……自分の物差しで語ってんじゃねーぞゴルァ……俺にはチームを引っ張っていく責任ってモンがあんだ……“暮威慈畏大亜紋土”。死んだ兄貴から引き継いだ大事なチームだ……」

数十分が経過して、言い争いはそんな内容の話へと変わっていった。

「……正直、俺んちは自慢できるよーな家庭環境じゃねぇ。そんな中、兄貴は頼れる……憧れの存在だった」
「そうか……キミは兄を……」

私は目を閉じて、黙って話を聞く。
大和田くんが他人と話しているというのが、よく考えてみれば貴重だった。
なんだかんだ、大和田くんは仲間がいても友達は少ないから。

「それに……チャックは負け犬なんかじゃねぇ……」
「?」
「マルチーズだ!頭もいい!」
「……」

……コイツはやっぱりバカだった。
少し感傷に浸った私もバカだった。
石丸くんは大和田くんが犬を飼ってたなんてこと知らないっての。
石丸くんが言った負け犬って言うのはそういうんじゃなくて…………あー、まぁいいか。

「しかしキミのような不良が動物を可愛がるとはな……」
「毎日、新聞を取ってくんだぜ?そんで褒美に散歩をねだるんだ」
「……そうか……それは利口ひゃな……」
「だろう!?」

……なんだ。この空気は。
仲良しか。

「だけど……そのチャックももういねぇ……」
「す……すまない……」

大和田くんがずびーと鼻をすする音が聞こえ、私は苦笑いを浮かべる。
本当に犬好きなんだから……と微笑ましくなるというか、呆れるというか。

「分かるか……?俺にはもうチームしかねぇ……。兄貴を継ぎ、越した今……俺の肩にはチームの存続っつー責任があるんだ!生半可なモンじゃできねーんだよ……!」
「……しかしずっと続けられるものでもあるまい」

「……んなこたァ分かってんだよ……」

……分かってるんだ。初耳だ……。
しかしその後の言葉を大和田くんは濁してしまい、石丸くんに話を振った。

「……てかよォ、オメー自分は凡人だとか言ったなぁ……?……てっきりオメーは自分を天才と言うタイプだと思ってたがよー……」
「―――そんなモノといっしょにするのはやめてくれ!」

急な大声に私は驚き、きょとんとしてしまった。
たぶん大和田くんも同じようにきょとんとしているのかもしれない。
一瞬、不自然なまでな静寂が訪れた。

「僕は天才なんかじゃ……ない……天才なんて……こっちから御免こうむる……!」
「……聞いたことはないか……“石丸寅之助”……。かつて総理大臣だった男……。僕の祖父ひゃ」

……す、すごい人じゃないか。
政治には興味ないからよく分からないが……とにかくすごいんだろう、総理大臣というのは。

「外務大臣、内閣官房長官を歴任し、内閣総理大臣まで登りつめた……努力せずとも何事もこなしてしまうまさに天才と呼ぶに相応しい人物。そう……彼は天才だった。それ故、挫折を知らず世の中をなめていたのだろう……汚職事件を起こし、それを口火に一気に転落していったよ」
「……」
「……事業の失敗も相まって、彼は一気に落ちぶれた。……そんな祖父の借金はいまも僕ら家族を苦しめる!分かったか!だから天才など努力知らずの怠け者……一緒になどしないでくれ!最後に報われるのは努力した者なのだ!僕は必ず努力のもと、この国を変えてみせ……―――」

そこで一旦、言葉が止まった。
不思議に思って、私は扉の小さな窓から様子をうかがう。
窓は若干曇ってよく見えないが、大和田くんが石丸くんの肩に手を置いたのはかろうじて分かった。

「テメーも大変だったんだな……!」
「!キミは、僕のために泣いてくれるのか!」

……泣いているのか。
いや、私も正直なところ涙ぐみそうにはなったよ?
だけど何かこう……大和田くんと石丸くんだって思うと、暑苦しくて泣けないな……。

「……こんな身の上話を人と互いに打ち明け合ったのは初めてだ。キミは優しい男だな……だから仲間もついてくるんじゃないのか?彼女……戸叶くんがキミを信頼するのも分かる……」

ふいに私の名前が出てきて、どきりとする。
自分がいないところで自分が話題にされる……妙な恐怖感を与えられた。

「ああ……流火は、俺がいないとダメだからな……」
「だろうな……彼女は精神面が弱いと言っていたが、キミと一緒にいると安心しているみたいだ」

そして大和田くんは、石丸くんに言うわけではなく、本当に小さく小さく呟いた。

「流火には……俺が付いててやらないと……」

確かにそう言った。
……どうして聞き取れたのかは分からない。
ただ、その言葉が呪縛のような効果を持って、私の動きを止めた。
少しだけ、私は怖いと思ってしまった。

「流火は昔っからそうなんだよ。何かあれば俺を頼った。俺に甘えてきた。兄貴たちがいない時はなおさら、俺が流火を守ってやらなきゃならねぇ……流火は弱いから……俺がいなきゃ、壊れちまうから……」

……『そんなことない』。
私がそう言ったとしたら、大和田くんはどうなるのだろう。
私がいない……それこそ、大和田くんの方が壊れるんじゃないか?

「大切な妹分なのだな……」
「妹分……そうだな。大事な大事な妹……だ」

大和田くんの表情は、見なくたって分かる。
笑ってるんだ。私に必要とされているという自分の価値を見出して、喜んでいる。

大和田くんは、私に依っている。

そんな危うい関係だと自覚があるのは、おそらく私だけ。
現に石丸くんは「羨ましい」と述べる。
羨ましいものか……私は脆いと感じている。……側面を見れば、いいものに見えるのか?

「僕はこんな性格だからな。友人というものが出来たためしがない。友人との会話とは、こういうものなのだろうか……?」
「は……オメーにダチがいねーだ……?俺がいんじゃねーか」
「!」

……あ、あれ?
この二人って……ケンカして勝負してたんじゃなかったかな?

「お……大和田くん……キミってヤツは……じつはいいヤツだったのだな!」

私は苦笑を隠さない。
な、何て単純なんだろう……。
風紀委員と暴走族?
……交わらなそうな色じゃないか……。

「別にそーいうんじゃねー……って、……お?」
「……?」

大和田くんが不思議そうな声を出した次の瞬間。
ゴッ!と鈍い音が響いた。
何かが地面に尽き落ちる音だ。

「お……オイ!!大丈夫かぁ!?」

大和田くんが叫ぶ。
まさか、と私は全身が震えた。

「石丸くん!?」

私は勢いよくサウナの扉を開ける。
大和田くんが大丈夫かと聞いているのだから、倒れたのは石丸くんだろう。

「……流火ッ!?」

サウナに飛び込んだ私を見た大和田くんがギョッとした顔をする。
大和田くんは本当に制服フル装備だった。こんな暑い場所でそんな格好で、よく1時間以上も倒れなかったものだ。

「石丸くん!大丈夫!?」

とにかく、今は石丸くん。
大和田くんの体も心配だが……地ベタに伏せているのは石丸くんだ。
思いっきり顔面を打ちつけたのか、鼻からは血が流れている……。

「大和田くん!石丸くん、運ぶ!!」
「お、おぅ……?つーか、流火……何でここに……」
「いいから早くーっ!!」
「あ、あぁ!」

大和田くんが倒れた石丸くんを担ぐ。
早々に脱衣場に引き上げて、石丸くんはベンチに下ろされた。

「えっと……スポーツドリンクとか……とにかく冷たいの、いっぱい持ってきて!!」
「お、お前は、」
「石丸くん介抱するから!タオル!」

慌ただしく私は脱衣場をそんな広くない駆け回る。
大和田くんは私に追いやられるようにして大浴場を出て行った。
食堂はしまってしまったから、ランドリーの自動販売機か倉庫に行くのだと思う。

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