▽ ほんとう天使だね・1
私たちは寄宿舎エリアをウロウロしていた。
落とし穴に落ちた江ノ島さんを捜しているのだ。
「江ノ島さん、いないね……」
「そうだな」
「落っこちたから、下かな……」
「だろうな」
「でも、下に行く階段とかないよね……?」
「ああ……」
大和田くんの欠伸が聞こえて、私は立ち止まる。
「君、やる気ないでしょ」
大和田くんがバツが悪そうに目をそらした。
なんだかすごく眠そうだ。
「……江ノ島さん、心配じゃない?」
「そんなことはねーけど……睡魔がな……」
「疲れてるの?」
「ああ、なんか……」
そしてまた、欠伸。今にもパタリと倒れて寝ちゃいそうだ。
このまま廊下で寝られようものなら校則違反になってしまう……。
「部屋、行ったら?ちゃんと寝なよ」
「ああ?流火はどうすんだよ」
「私ひとりで捜すから」
「……ダメだ」
ダメとか言われたって、大和田くん眠そうじゃないか。
「お前は俺がいないとダメだろーが」
「別にそんなことないし!平気だし!」
「ムキになんな。ガキみてーだぞ……ああ、ガキか」
「同い年です」
大和田くんは笑いながら私の頭を乱暴に撫でた。
そして、ため息とも欠伸ともとれるような息を漏らす。
「……ね、大丈夫?やっぱり疲れてるんでしょ?」
「ちょっとな」
「休みなよ。ていうか休め。寝なよ寝な」
私は大和田くんの背中を押す。
手で押しただけでは意味がないから、全身を擦りつけるように押す。
「だからお前は」
「私、食堂でおとなしくしてる」
「本当かよ」
「うん、ちゃんと約束する。指切りしようか?」
「……いや、いい」
観念したように大和田くんは自分の部屋に向かって歩き出す。
やっぱり、どこか疲れているみたいに見えた。
大和田くんは、これでいて結構悩む。意外と考えてる。
でも……頭がカラッポだからいくら悩んで考えたって答えが出ない。
それで、堂々巡りのようになってしまう。
知恵熱でも出るんじゃないかってくらいに考える。そして、答えは見つからないまま。
結果考えてみたところで行動するしか能がないのだから、考えるなんて止めてしまえばいいのに。
「君って、ほんとバカだなぁ……」
「ああ!?なんか言ったか!?」
「言ってませーん」
部屋についた大和田くんは、すこしかがんで私に目線を合わせた。
「いいか?何かあったらすぐ俺んとこに来いよ?部屋の鍵開けとくから。それから、他の奴ら……女ならまだいいが、男にはホイホイついていかな―――」
「わーかったから!うっさいなー!君は私の保護者ですかっ!」
「心配してんだろ!」
「平気だから!ちゃんと食堂いるし!飽きたら君のとこにでも行くよ!」
私は大和田くんに背を向けて数歩進む。
それから顔だけ振り返った。
「心配性!」
捨てるようにそんな言葉を吐いて、私は走った。
食堂までの距離はそんなないから、走る必要だってなかったけど。
なんか、大和田くんに心配されるのが恥ずかしかったから。
心配されるのがイヤなわけじゃない。むしろ嬉しいし、幸せなことだっていうのも知ってる。
だけど、大和田くんは少し過保護すぎる。私への、他者に対する警戒心が強すぎる。
病的なほどに。
「……もしかして、私のことで悩んでる?」
まさか。
それは自惚れすきだ。
ないないと笑い飛ばして私は食堂に入った。
「……不二咲さん?」
「……あ。戸叶、さん」
食堂には、不二咲さんがたったひとり。
彼女は俯いてティーカップを見つめていたが、私の姿を確認するとにこりと笑った。
「さやかちゃんの話、終わったんだね。どうだった?」
「え、えっと、そのぉ……苗木くんは、信じるって。桑田くんも、他のみんなも、大丈夫かなって言って……」
……そっか。
さやかちゃん、ちゃんとみんなに話して、それで受け入れてもらえたんだ。
じゃあ後は腐川さんと十神白夜……は、無理だな。少なくとも、仲良しこよしとできる相手じゃないし。私、十神白夜嫌いだし。
「君も、さやかちゃん、信じてあげられる?」
「う、うん……もちろん!」
不二咲さんは愛らしく笑って、でも、すぐに表情を曇らせた。
「……戸叶さんは、すごいんだねぇ」
「え?」
「だって、舞園さんを止めたのは戸叶さんなんでしょ?……そんなケガを負ってまで……すごく、強いなぁって」
「向こう見ずなだけだよ」
私のは、強いとは違う。と、思う。
だって、殺人が起きそうなら止めなきゃと思うし……人が死ぬなんて、嫌だし……。
だったら、私は死んでもいいから何とかしたいって思うだけ。
結局、無鉄砲なだけ。
「なんか、申し訳ないなぁ……みんなは頑張ってるのに、全然役に立ててないなんて……」
「いや、そんな事はないと思うけど……」
「ううん……本当のことだから……どうせ、パソコンがなければ何もできないし……」
「で、でもいつか不二咲さんの能力が必要な時が来るんじゃないかな。ていうか、絶対来るよ。だから、そんなに落ち込まないで」
「そのとき……じゃあ、その時になったら、役に立つように頑張るね……コンピューターなら、任せて」
コンピューター……そうだよね。
なんていったって、彼女は超高校級のプログラマーなんだから。
「すごいよね、不二咲さん。私、ローマ字打つのだって精一杯なのに」
「そ、そんなことないよぉ……」
私は彼女の目の前に座って、興味津々に尋ねてみた。
「何かキッカケとかあるの?」
「キッカケ……?」
「うん。プログラミング?っていうやつ、始めるようになったキッカケ」
すると不二咲さんは小首を傾げながら、話してくれた。
「キッカケは大したことないんだ」と最初に告げながら。
「子供の頃から体が弱くて、外で遊べなくってさ。だから、暇つぶしに家にあるパソコンをいじったら、それが思った以上に楽しくってさぁ……それでね、お父さんがシステムエンジニアなんだけど……まだ作成途中のプログラムを見つけて、勝手に改造して遊んでたんだよ。そうやってできたのが、最初に自分で組んだプログラムだよ」
「どんな?どんなプログラムだったの?」
「自動応答システムだよ」
「……自動……応答、システム……?」
「ユーザーとの対話を通じて言葉を理解し、ユーザーが求める情報を見つけ出すシステムだよ」
私は何度も首を傾げる。
まったく分からない私に、不二咲さんはクスクス笑いながら答えを教えてくれた。
「音声入力なんだ」
「……あ!うん、分かる!聞いたことある!へぇ〜、不二咲さんが作ったんだ!」
「でも、ちょうど完成させた頃、勝手にプログラムを改造してたのがお父さんに見つかっちゃって。怒られると思ったんだ……でもね、逆にすっごく褒められたんだよ!あのシステムは自然言語理解にも取り組んでて、それによる対話型の情報絞り込みをやってたんだけど……その操作性がすごく良かったみたいでさ!情報検索の歴史が変わるぞとまで褒められたんだよ!それ以来、プログラミングに夢中になったんだ。こんな自分でも人を喜ばせられた事が嬉しくって!」
不二咲さんはとても生き生きしていて、本当にコンピューターが好きなんだと分かる。
すごく鮮やかなその色を、私はもっと見たいと思った。
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