▽ 傍観者・1
俺の名前は戸叶那由多だ。
正直変な名前だと思うが、親が付けたものなので仕方ない。
そして案外気に入っているので、変とか言われても気にしない。
心理学オタクと妹は俺に呆れる。
まあ、否定しない。
俺は人間というやつに興味を抱いている。
心理学の参考書を開けば、理論も状態も答えとして全てそこに記されているにも関わらず、それらが必ず当て嵌るとは限らない。
分厚い参考書の中身を丸暗記したとしても、それらが役に立つかどうかはまた別の話。
人の心は千差万別。
まさしくそれで、だから、人の心というのは面白い。
「ねぇねぇ、那由多くん那由多くん」
妹の流火がスケッチブックに絵を描きつつ携帯電話の画面を見ながら俺に話しかけた。
携帯の使用理由はおそらくメール。相手は誰と聞かずとも分かる。
返信し終えたらしい流火は携帯を横に放ると笑った。
「大和田くんねー、また女の子に振られたんだよー」
「へぇ……今何連敗?」
「んーと……確かまだ10回は言ってないけど、そんくらい」
「……重い記録だな」
大和田紋土―――流火が現在メールをしているであろう相手。
奴はとにかく女に告白してはその度に玉砕する。
そろそろトラウマになるんじゃないかってくらいの告白玉砕記録。
呆れも笑いも通り越して、そろそろ憐れみを覚える。
「那由多くんも大和田くんを見習った方がいいよ。手当たり次第女の子に告白するくらいの気合いというか」
「あのなぁ、流火―――女性恐怖症って云うのは立派な病気であり、お前の火恐怖症と症状的には大差なく、お前は火を見なければそれで済むんだろうが、分かるか?俺は女性恐怖症なんだ。そしてこの世界の半分は女であり、図らずも女は俺の視界に入ってしまう訳であって、とにかく足が竦むんだ。女を見ると」
「……な、那由多くん気持ち悪い」
女性恐怖症の中で唯一例外な存在である妹はドン引きしていた。
「…………それはまあ、置いといて。紋土の奴は何をそんなに女に告白してるんだ?短期間ですごい記録じゃんか」
「さぁ?高校生になれば彼女が欲しいって思うんじゃない?」
「私には関係ないさ」と冷たく言い切って、流火は再びスケッチブックと向き合う。
携帯がメールを受信すれば、1分もかからずに返信をして絵を描き出す。
ひたすらその繰り返し。
「……」
その様子を見て、俺は「こいつらは一体何なんだ」と思う他なかった。
“幼なじみ”と一括りにしてしまえばそれまでだが、こいつらは何か違う。
“共依存”という言葉が出てきたが……何だかな。それでもない。
「なぁ流火。紋土と何の話してるの?」
「ん?昨日の宿題の話ー」
「紋土が女に振られた話じゃないのか」
「さっきまでしてたよ。残念でしたって言ってやったー」
「そんだけ?」
「うん」
「そっか」
俺は流火が拾ってきた猫たちにエサをやりながら、自分の携帯電話を取り出した。
「……」
流火とメールをしているのだから、電話をかけたらアイツは出るだろう。
「流火。兄ちゃんちょっと外出るよ」
「えっ、夕ご飯は?もう夕飯時ですよ、お兄さん!」
「すぐ戻ってくるって。てか、家の前にいるし。ちょっと電話してくるだけ」
「誰に?」
「あー……アルバイト先の店長?」
「ふーん……?」
流火は少し気にしていたが、結局はどうでもよさそうに絵を描くことを再開した。
ひたすらスケッチブックと向き合って、アイツからのメールに数秒対応。
そんな妹に苦笑しながら俺はアパートの外に出る。大和田紋土に電話をかけながら。
「……………………」
しかし、ムカつくことに出やがらない。やがて、プツンとコールは止まった。
「……ナメてんな、こいつ……」
流火のメールには即返信のクセに、俺からの電話は無視か。
人がせっかくお前らを心配しているというのに。
「ぶっ殺してやろうか、あのクソ弟……」
俺の怒りの念みたいなものが伝わったんだろうか。
俺が諦めて家に戻ろうとしたところで、面白味のない着信音が響いた。
「……」
小さく舌を打ち、俺は電話に出る。
聞こえてきた声はどことなく気だるげだ。
「……何の用っすか……」
受話器越しということを除いても、その声には覇気がなかった。
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