パルフォン | ナノ

無毒の舌先

同じ苦いでも、煙草の苦いと珈琲の苦いは違う。珈琲はブラック派。珈琲の苦みは美味しく頂ける。でも煙草のにおいは苦手だし、煙草味のキスはいつまで経っても慣れる気がしない。けれど煙草味のキスは、あの人のキスの味だ。大好きなあの人の味だ。
三刀屋さんが煙草を吸っているところを見るのは結構好き。男性が煙草を吸っているのは格好良いなと思う。わたしがお酒や煙草を知らない年齢だからそう思うのだろうか。一種の憧れみたいな。三刀屋さんの匂いに混ざる煙草のにおいもそこそこ好き。男性的なにおいで、心拍数が上がって、体が火照る。高校の時の年上の社会人の彼氏がいるのだと自慢していたことがあるのを思い出して、ああ確かにこれは自慢したくもなると理解する。

「三刀屋さぁん」

部屋のテーブルの上に大量に乗っているビデオテープの仕分け作業を手伝いながら、わたしは三刀屋さんに声をかける。円盤型の記録媒体が主流となった現代社会でVHSのようなテープ状の記録媒体は廃れている。だから中には掘り出し物があるらしく、本物か偽物か分からない映像を三刀屋さんは飽きもせずに見続けていた。わたしが声をかけると三刀屋さんは一旦テープを止めてこちらを見る。テレビにうっすら映る青白い肌の女性もこちらを見ている気がするが、そこはスルーしよう。

「あー……えっと、なんだろ。今日って、煙草吸いました?」
「そりゃ隙があれば煙草なんていくらでも吸うが」
「ヘビースモーカー」
「なんだ?匂いでもするか?一応お前が来る前に換気してスプレーしといたんだけどな」

はて、と不思議そうな顔をする三刀屋さんにわたしは申し訳ないような情けないような気持ちになる。三刀屋さんはわたしが煙草を苦手なのを知っていて、出来るだけの配慮をしてくれている。一緒に居る時は距離をとって吸っていたり、窓際で吸ったり。副流煙が来ないように風の向きを気にしてくれていたり。だからわたしが三刀屋さんの家にお邪魔する時にはほとんどが三刀屋さんっぽくないフローラルな香りがする消臭剤の匂いだ。まあそれでも日常的に吸っているともなれば完全にその匂いが消えるわけではないけれど。少しでも和らぐようにと行動してくれるその心が嬉しい。

「あーっ、いや、そうじゃないんっすよ。その、なんつーか……三刀屋さんの言葉で言うのであれば、口寂しい?」
「お前煙草吸わないだろ」
「ごもっともです」

苦笑する三刀屋さんの顔を見て、わたしは項垂れる。わたしはまだ18歳だ。お酒の味は知らないし、煙草の味も知らない。法律で禁止されているし、同級生にはそんなの無視して既に味わっている人もいるけれど、わたしはなんとなく手を出すつもりにはなれなかった。
お酒を飲んだことはない。煙草を吸ったことはない。でも、そのどちらの味もわたしは知っている。

「さよ?」

三刀屋さんが教えてくれた。三刀屋さんの唇に教えられた。お酒を飲んだ後のほろ苦いキスも。煙草を吸ったあとの悶えるほど苦いキスも。
わたしの視線は自然と三刀屋さんの唇に向く。あの皮の薄い唇に、散々教え込まれた。三刀屋さんの唇を見つめながら左手の人差し指を自然と下唇に当てる。それは擬似的な接吻のようだが、無味だ。そんな小さく疼く恥の感情に揺れるわたしの様子に気がつかないほど三刀屋さんは鈍くない。むしろこの人は察しが良い方だ。きっと妹さんがいるから、編集長として下の人間をよく見ているから、他人の変化に敏い。

「なんだ、さよ。お前キスがしたかったのか?」

生暖かくて、男性的で、それでいてほろ苦い圧が目の前に迫る。面白そうに黄昏色の瞳を細める三刀屋さんが憎たらしい。余裕なのはこの人だけみたいで。
わたしの返答も聞かないまま、三刀屋さんは悪人面の笑みを浮かべてわたしの後頭部に右手を添える。あっ、と声を上げた瞬間にはもう遅かった。なんの合図もなく、くっつくことがさも当然と言わんばかりに、わたしの唇に三刀屋さんの唇が重なる。指先を口元に当てた時のような擬似的な接吻とは違って、体温がある。味がある。匂いがする。自分以外の。

「ふっ……」
「ぇあ……っ」

上唇と下唇の狭間を生暖かい舌でなぞられると、気の抜けたような声が出た。三刀屋さんは声を出した瞬間を見逃さず、うっすら開いた口に舌をねじ込んでくる。三刀屋さんの意思を持った舌はそういう生き物みたいにわたしの中を貪って、それでも呼吸だけはできるように息継ぎのリードをしてくれる。優しい人だ、と思う。しかしやはり、三刀屋さんのキスの味は優しくない、不味い。この不味さを知っているはずだった。もしかして、なんて何を期待したのかも忘れるくらい、苦くて苦しい。ファーストキスはレモンの味だなんて言ったのはどこのどいつだろう、そんなジンクスを信じている訳じゃないがどこがですかと喧嘩腰になってしまう。そういえば三刀屋さんと初めてキスをした時も「もう三刀屋さんとちゅーしない!」と高らかに宣言したはずだったけれど。結局今だって、この状況を望んだのはわたしの方だ。三刀屋さんはわたしの意思を汲んだに過ぎない。

「……は、あっ」

わたしに煙草の味を練り込むだけ練り込んで、三刀屋さんの顔が離れた。どちらの唾液とも区別のつかない銀の糸がわたしと三刀屋さんの口を繋いでいたが、それもやがて途切れる。惚けて肩で息をするわたしに、三刀屋さんは満足そうに笑っている。先と変わらず、悪人面だ。

「……お前、煙草吸ってないくせにすっかりクセになってるんだな。成人過ぎてから依存症にならねぇか不安だ」
「煙草に依存するかはわかんないっすけど……三刀屋さんとちゅーするのは依存症になってる気がします」
「可愛いこと言うじゃねぇか。もう一回するか」

鼻先に三刀屋さんの唇が掠る。不味いのは分かっているし、苦しいのも分かっているのに、何故か抵抗する気は起きなかった。これは依存症だろうか。本当に嫌なら抵抗すればいいのだ。三刀屋さんは優しい人だから、嫌がれば無理強いはしないだろう。

「さより」
「みとやさん」

それが分かっていながら重なる唇は、救いようがないほど虜になっている。煙草味のキスよりも珈琲の方が美味しいのに、三刀屋さんからの口づけはこれっぽっちも甘くないのに、苦しくなるほど優しくて甘ったるくて、わたしの脳を麻痺させた。ああなんだか。これって麻薬みたいだと思いながら、わたしは煙草のにおいがする方に身体を倒していった。

prev / next

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -