パルフォン | ナノ

あの夜を忘れるためのキスをしたい

大学の在学期間も終わりが近づいている。そこそこ優秀な成績を修めている自覚はあるし、出席日数も問題はないが、卒論を書き上げなければ結局それらも意味がなくなってしまう。それが大学生活の集大成とでも言うように。適当でもいいから何かしらの論文を書き上げてこい、というのは文学部の常套句。わたしの場合、民俗学や古典学についての卒論を書き上げなければいけない。上手いこと筆は進まないが、まあなんだかんだ提出期限までには間に合うだろう。CULTOの原稿もいつも思い通りにならずとも定められた期日までには更新できるレベルのものを提出できている。
そういえば、最近は卒論があるからと気を遣われているのか有給を入れてもらっているが、休む直前から三刀屋さんはわたしに執筆方面での仕事を任せるようになっていた。あれももしかしたら、わたしが卒論を書くのを見越して長い文章を書かせる練習をさせていたのかもしれない。三刀屋さんは何も言わなかったから、実際には違うかもしれないが。
三刀屋さんは、今何しているのだろう。ほぼ毎日一緒にいたし、半同棲みたいな状態だったのに、最近は顔を合わせていないどころか声も聞いていない。たぶんわたしがいなくてもCULTOは上手いこと回っているだろうけど。わたしが居なくなって回らないのであればそれは組織としてかなりまずい。

「……いつもならこの時間は、もう三刀屋さんは家にいるはず」

なんとなくスマホの画面に目を向ける。目に飛び込んでくるパルフォンは、結局あの日からも普通に通話アプリとして使用していた。……消せない、という方が正しいか。アンインストールも出来ないものだからいっそ開き直った三刀屋さんは基本的にパルフォンを使ってわたしに連絡してくるのがほとんどだ。アプリの用途としてはとても正しいが、あんなことがあったのに普通に使うのはなかなかメンタルが鋼というか、なんというか。

「!?ぎゃ……!?」

そう思っていると、スマホが無機質な着信音を鳴らしながら震える。パルフォンが立ち上がっている。画面に表示された名前を確認すると「三刀屋真司」とあった。……都合が良すぎないか?いいや。三刀屋さんは案外寂しがり屋なところがあるのかもしれない、わたしが三刀屋さんが恋しいなと思ったタイミングで同じように三刀屋さんにも限界が来たのだとしたら別に不思議なことではない。
通話のボタンを押すと、画面いっぱいに三刀屋さんの姿が映し出される。なんだか久々に見た気がする。

「お、出た。さよ」
「こ、こんばんはっす、三刀屋さん」
「ああ、……今大丈夫だったか?」
「卒論書いてるとこっすよ。でも、いい加減休憩しようかなって思ってたとこなんで。どうしました?」
「いいや、用って言うほどの用があるわけじゃねえが」

三刀屋さんは少しだけ視線を逸らす。変なところで分かりやすい人だ。

「寂しかったんすか?」
「うるせえな」

わたしは自然と口元が緩むのが分かる。三刀屋さんの顔を見れたのが嬉しい。三刀屋さんの声を聞けたのが嬉しい。三刀屋さんと話せるのが嬉しい。自分が思っていたよりもわたしは三刀屋さんが不足していたらしい。沢山話したいと思いつつも、何を話せば良いのか分からず、言葉が舌の上で渋滞する。三刀屋さんの近況とか、CULTOの様子とか、聞きたいことも沢山あるはずなのに。

「あー、さよ……卒論、どうなんだ?終わりそうか?」

それは、もしかしたら三刀屋さんも同じなのだろう。名前を呼んでからの沈黙が少し長かった。そうしてようやく出てきたのは無難な話題。けれど、わたしと三刀屋さんが会えない一番の原因。

「ああ、まあ……進捗は正直良くはないっすけど。提出期限にまでは間に合いますよ、三刀屋さんが執筆任せてくれたおかげで文章書くのも慣れてきましたし」
「そりゃそうだろ。なんの為にお前をライター共に貸してたと思ってんだ。短期間とはいえ連載だって持たせてやったんだ。卒論なんて余裕だろ?」
「簡単に言いますねえ」
「さよに会えないのが意外と堪えるんだよな……、早く卒論上げてもらわんと困る」

前半はまるで独り言のような声音だったが、しっかりと聞こえてしまった。室内の温度は適温のはずなのにわたしの体温は少しずつ上昇しているような気がした。三刀屋さんはわたしの様子など気がつくこともなく、「なあ、さよ」と呼びかける。

「お前、どうせうちに就職するだろ?卒論なんて書き終えなくても、卒業なんて出来なくても、うちで面倒見るんだからよ……卒論投げ出さないか?」
「はっはあ、さては三刀屋さん結構寂しかったんすね?」

三刀屋さんにしてはかなりバグった思考だ。それでなければ悪酔いか。わたしが一緒にいないからタバコもお酒も一日にどれほど摂取しているのか分からない。わたしが一緒にいると自然と健康体に近づくのに、わたしがいないとこれだ。気を遣う人間が周りにいないということか。

「三刀屋さん。三刀屋さんうちの親に挨拶に来たとき、なんて言ったか覚えてます?……わたしが卒業したら籍を入れたいって思ってるって言ってたじゃないすか。わたしが大学卒業しなかったら永遠に籍入れられませんけど?いいんすか?」
「……お前明日までに卒論書き上げろ。絶対に卒業してもらわんと困る」
「明日は無理ですが!?まだ一ヶ月くらいは提出期限ありますし!」

三刀屋さんのパワハラ節をまさか大学の課題でも味わうことになるとは思わなかった。事務所にいた時はおどけ半分にうげえなんて思っていたものだが、何故か謎の安心感がある。三刀屋さんのパワハラで安心する日が来るとは思わなかった。
三刀屋さんは小さく息をついて、冗談だと肩を落としていたが一体どこまでが冗談なのか。わたしに会えないことでだいぶ参っているというのは伝わった。なんだかんだ愛されているようで、嬉しくなる。三刀屋さんと会えないことで物理的な距離が開いてこのまま心まで離れてしまうのではなんて心配もしなかった訳ではない。わたしだって、三刀屋さんに会いたかった。

「三刀屋さん、卒論書き終わったら……つーか、卒業したら、どっか行きません?」
「……?新婚旅行か?」
「ちげーですけど。スピード感おかしいでしょうが。わたしの卒業旅行です!あっ、曰く付きとかそういうのじゃなくて普通のですからね!ちょっと良い旅館行きたいっす!」
「……そうだな……、ああ分かった。探しておく」

三刀屋さんは小さく微笑んで、右手を画面に向ける。それは頭を撫でるような動作に似ていた。擬似的ではあるが、撫でたつもり、なのだろう。わたしも思わず自分の頭のてっぺんに触れてしまった。

「良いところとっといてやるから。ちゃんと卒業しろよ。お前」
「わたしを誰だと思ってるんすか?三刀屋さんに散々いびられて育った三刀屋さんの左腕っすよ!卒論くらい余裕です。……筆が進まないので時間はかかりますが」
「俺に会いたいならそこは早く終わらせろ」
「あっ、わたしの方が三刀屋さんに会いたいみたいに言って!三刀屋さんもわたしに会いたくて仕方ないくせに!」

スマホのスピーカーから、三刀屋さんの落ち着いた笑い声が聞こえてくる。それはやはり無機質な電子音交ざりなものだから、クリアではない。現実の声とは異なる。三刀屋さんに言った手前、言い直す事なんてできないが、……そりゃあわたしだって会いたくて仕方ない。素直に言うときっと三刀屋さんは調子に乗るから言わないけれど。

「……三刀屋さん」
「何だ、さよ」
「……なんか話してください、三刀屋さんの声を作業用BGMにするんで」
「お前、俺が上司だって分かってるか?まあ、いいけどな」

三刀屋さんの声を聞きながらわたしは再び卒論と向き合う。三刀屋さんの話は、ほとんど怪談話とCULTOの近況報告だった。

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