パルフォン | ナノ

縁取っただけの舌は苦い

三刀屋さんに夕飯を奢ってもらった日は、基本的にそのまま三刀屋さんの住んでいるマンションへと連行されることが多い。三刀屋さんの部屋で最近話題の都市伝説の話をしたり、いわく付きと言われている映像を見てこれは本物っぽいこれは偽物っぽいと言い合ったり、インスタントコーヒーを飲んで、そしていつの間にかわたしは寝落ちしている。
起きた時には三刀屋さんのベッドの上で、当の三刀屋さんは「ああ、起きたか、さよ」なんて言いながら窓際で煙草を吸っている。わたしに煙が届かないようにという配慮だろう。わたしは煙草の匂いが好きではないから。

「……いつの間にか寝ちゃってました、おはようございます、三刀屋さん」
「ああ、おはよう」

まだそこそこ長い煙草を三刀屋さんは灰皿の上で潰す。煙草は高いのに勿体ない、とわたしは苦言を落とすがそれを無視して三刀屋さんはこちらへと近づいてくる。ベッドの上に座っているわたしと、ベッドに腰掛ける三刀屋さん。普段はわたしより背の高い三刀屋さんを見上げるのが当たり前なのだが、こうして座ると同じ目線になって変な感じがする。朝だというのに黄昏時のような瞳を向けられると、なんだか気が抜けてまた眠気が襲ってくる気がした。

「さよ。もう少しこっち来い」
「ん、隣っすか?」

わたしはベッドの上を膝でずりずりと歩いて、三刀屋さんの隣にぴったりとくっついた。うっすらと、煙草の匂いがする。煙草の匂いは嫌いなのだが、三刀屋さんの匂いは落ち着くから非常に悩ましい。禁煙しろとは思わない。父親もそうだが、煙草や酒は無理矢理やめた方がきっと不健康になる。
すぐ隣にやってきたわたしに三刀屋さんは満足気な顔をして右手を伸ばしてきた。右手の指先がわたしの左頬を撫でて、くすぐったい。時々中指の指輪が皮膚に触れて、金属特有の冷たさに震えて肩が上がる。

「さよ」

名前を呼ばれて、微笑まれる。普段仕事中は見られないような優しい顔をしている三刀屋さんは、もしかしたら多重人格なのではとこの恥ずかしい雰囲気に耐えきれず冗談交じりにおどけて疑ってしまう。いいや、しかし実際に仕事中の三刀屋さんとプライベートの三刀屋さんは違いすぎる。私生活でも冗談めかしてパワハラ紛いなことを言ったりはするけれど。そうではなくて今のように、恋人としての姿を見せてくれる時はまるで人格が違う。温度差で風邪を引いてしまいそうだ、グッピーだったら温度差で死んでいたかもしれない。

「さより」

名前を呼ばれて、顎に手を添えられる。親指の腹がわたしの下唇をなぞり、三刀屋さんが何を望んでいるのか嫌でも理解してしまう。恋人ならもっとフランクにするものなのだろうが、わたしと三刀屋さんはいつも何故か妙にかしこまってしまう。はじまりが上司と部下だったからだろうか。わたしが彼の妹さんの代替品であった時期があったからだろうか。なんだかんだ今の恋人の形に落ち着くまでも、わたしたちはぎこちなかった気がする。今もちゃんと一般的な、普通の恋人を出来ているのかは分からない。まあ、普通の恋人でなくてもいいのだが。わたしは三刀屋さんが好きだし、三刀屋さんはわたしが好きだから。
顎に添えられた手がわたしの顔を少しだけ上に向けて、わたしは三刀屋さんと目が合う。黄昏時の瞳の中にはわたしがいた。わたしの苗色の瞳にも三刀屋さんが映っているのだろうか。どちらにせよ、わたしが目を閉じたことでわたしの瞳の中の三刀屋さんはまぶたの裏に閉じ込められてしまったが。
わたしが目を閉じたのを合図に、三刀屋さんの顔がこちらに迫ってくるのが分かる。三刀屋さんの呼吸が鼻先を掠めて、唇の皮を擦れる。やがて重なる唇同士が、これは恋人しかしない行為だと言わしめるように固く、強く、押し付け合う。
三刀屋さんの生暖かい舌がわたしの口をこじ開けて、口内を貪ろうとした瞬間にわたしはハッとして目を見開く。どうやら三刀屋さんはずっと目を開けていたようだ。わたしが大きく目を開いたのに驚いて、反射的に顔を離した。細くて薄くて頼りない糸がわたしと三刀屋さんの口を繋いでいたが、余韻もそこそこにわたしは叫ぶ。

「三刀屋さんのキス不味いの忘れてた!苦いぃぃ!」

雰囲気を台無しにするような言葉であることは自覚している。しかし言わずには言われなかった。顰めっ面のわたしに負けないくらい、三刀屋さんも顔を顰めていたが……苦いものは苦いんだから仕方ない。美味しくないのだ。いや、キスが美味しいのかは知らないが、よく「ファーストキスはレモンの味がする」と聞いていたからそれくらいの幻想を見るくらいにはわたしだって女の子だ。

「……飴舐めるからもう一度するぞ、さよ」
「いや何名案みたいな顔してるんですか?普通にわたしに飴舐めさせてください」

三刀屋さんは小さくため息をついてから、枕元に置かれている徳用飴の袋からひとつ飴玉を出してわたしの方に投げる。キャッチして手元に収まっている飴玉の包みはオレンジ色をしていた。色のイメージそのまま、オレンジ味だ。わたしがみかんが好きだからと気を使ってくれたのかもしれない。

「はぁぁあ……三刀屋さんとちゅーするのは好きですけど、煙草の苦さだけは克服できません」
「……ちゅー、するのは好きなのか」

わたしの言葉に釣られて、ちゅーなんて言ってしまう三刀屋さんになんとも言えない愛しさが胸を込み上げてしまう。これがキュンとするというやつだろうか。自分よりも10年ほど長く生きている人なのに、時々可愛い人だなと思ってしまう。

「そりゃ好きっすよ。三刀屋さん、わたしのカレシでしょ」
「……禁煙、するか」
「い、いや、別に。煙草吸う人って煙草吸わないとやってられないんでしょ?むしろ不健康になられそうなんで制限はしないでほしいんですけど」
「じゃあ、これからキスする前に飴でも舐めとくか」

ぽん、と頭の上に置かれた三刀屋さんの右手がわしわしと乱暴に撫でてくる。ただでさえ寝起きであちこち跳ねているであろう髪の毛がさらにぐちゃぐちゃになり、文句を言おうとすると三刀屋さんの右手はそのまま後頭部を押さえた。頭を引き寄せられて、額に柔らかいものが当たる。少しの湿っぽさを感じて、それが唇であると理解するまでに時間はかからなかった。

「これなら苦くないだろ」

得意げな顔をしている三刀屋さんに見惚れてぽかんとした後で、わたしは恥ずかしさから視線を逸らした。身体中がぽかぽかしている。陽だまりの中にいるみたいだった。

「……煙草の匂いはしますけど」

苦い苦い匂いだ。苦手な匂いだ。でも、この匂いを嗅いでいると三刀屋さんの存在を感じてしまって、何故か安心する。煙草なんて吸っていないのに、わたしの方が煙草の匂いに焦がれているような。いいや、厳密には三刀屋さんの匂いと煙草の匂いが混ざり合った、知っているのはわたしだけでいい匂いに焦がれているのだろう。
クセになる、とはきっとこういうことだ。

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