パルフォン | ナノ

言葉なんかなくても愛し合うのは簡単なのに

仕事終わりの居酒屋で、わたしはちびちびとオレンジジュースを飲む。今日も今日で三刀屋さんの奢りでごはんを食べに来たのだが、肝心の三刀屋さんは今ここに居ない。つい先ほど三刀屋さんのスマホに着信がかかってきて一旦外に出てしまった。外に出るということはわたしにあまり聞かせたくない話題ということだ。思いつくのは仕事関係。まあわたしが深入りできるものじゃないのならば大人しくしておこう……とオレンジジュースの甘味に浸っていると、どたどたと荒々しい音を立てながら三刀屋さんが個室に戻ってくる。

「あーくそ……クソうぜえ……」

いきなり暴言だ。いきなり何を言っているんだという訝しげな視線を向けると、三刀屋さんは「いいやお前じゃない」といつか聞いたような言葉を放った。座ってようやく一息ついたといった雰囲気の三刀屋さんはこの数分間の通話でかなり参っているようだ。仕事の厄介事だろうか。それとも他の厄介事だろうか。

「三刀屋さん、誰だったんすか?」
「お袋だよ」
「あー、把握です」

だらしなく頬杖をついてぶすくれている三刀屋さんは珍しい。こんな反抗期の中学生みたいな態度を取る相手は確かに三刀屋さんの親御さんしかいないだろう。三刀屋さんはご両親の前だと未だ反抗期息子のような風体だ。ちゃんとわかり合おうと歩み寄っているだけ、勘当同然で家出したという過去に比べればマシなのかもしれないが。

「……はあ、やっぱり実家に戻って縁なんて戻すんじゃ無かった」
「あっ、なんつー親不孝発言っすか!それ、中指の指輪に向かって言えますか!」
「さよはこの指輪と真衣を同一視するよな?なんとなく気まずい気持ちになるからやめてくれ。冗談だから……」

肩を落として困ったような顔をする三刀屋さんはビールを呷りながら、飲む度に息をつく。

「喧嘩でもしたんすか?」
「いいや……喧嘩までいかない。ただ口うるさく言われて」
「何を?仕事っすか?オカルトサイトなんて怪しい仕事やめろとか」
「それ言われるのも嫌だな。残念ながら違う」
「じゃあ」
「そろそろ身を固めろだと」
「……あー」

再度、わたしは納得してしまった。確かに、と言い返す言葉も無い。どちらかというと三刀屋さんの親御さんの味方をしてしまいそうで、わたしは口を開かないようにオレンジジュースを飲む。飲み干して間が空いてしまわないように、ゆっくりと、少しづつ。さっきまで甘かったはずのオレンジジュースはなんだか酸味が強くなった気がする。
結婚しろと言われるのは、子供であれば避けられない宿命みたいなものだろう。長男、長女、ひとりっこは特にその被害に遭いやすい。幸福の価値が多様化された現代社会でさえ、結婚や出産についてのマウント合戦は消えない。それを選ばないという幸せが理解されにくい。マイノリティだから。
三刀屋さんは特に長男だろうし、みんとさんが失踪という結論に落ち着いたことで実質ひとり息子になってしまった訳だ。娘を行方不明の一言で亡くしてしまった彼の両親のことを考えると、結婚した姿が見たい、お嫁さんを連れてきて欲しい、孫の顔が見たいというのは当然といえば当然なのかもしれない。親心、というやつで。勿論実際にその選択をするのは三刀屋さんだし、強制されている訳でもなさそうだ。そして、他人のわたしでもここまで考えられるのだから、三刀屋さんがご両親の思考に辿り着かない訳がないのだ。親の考えが、心が、みんとさんを失った空虚で膨れた心配が。きっとそれは三刀屋さんの方が分かっている。

「つっても、うちの職場は男所帯だし仕事は常に忙しいし私生活は個人的な趣味で忙しい」
「なに個人的な趣味ってかっこつけてんすか。ただのオカルト巡りじゃないすか」
「……そっちの方が俺は良いってことだ。大切なものこれ以上増やしてもな、怖いだろ」

そっちが本音じゃないか。三刀屋さんの大切なもの、あるいは人。それはCULTOの人間だ、わたしも含めた職場の人間。正社員だバイトだと見境をつけずに職場の仲間を大事にしてくれている。他の人たちにはなかなか伝わっていない様子だが。

「だからこうしてさよと駄弁ってメシ食べてる方がずっと良い」
「それって」
「あ?」
「わたしじゃダメなんすか」

三刀屋さんが目を見開いた。その瞬間、あれわたしは何を言っているんだろうと顔中に熱が集まるのを感じる。居酒屋の個室は適切な温度で空調が設定されているはずなのに、何故だかとても熱い。

「ちがっ、違いますよ!例え話です!三刀屋さんがわたしと駄弁ってた方がいいって言うから!なら、わたしをお嫁さんってことにしといて親御さん安心させたらどうですかって事です!わたしも三刀屋さんなら別にいいなーって思うし……いや、違う、なんか墓穴を掘り続けている気がする。いや、いや、穴があったら入りたいから墓穴を掘るのは間違いじゃないのかも……?」

自分の失言に頭を抱える。時を戻せるのなら、戻して欲しい。三刀屋さんも三刀屋さんでわたしがまさかこんなことを言うとは思っていなかったのだろう。唖然とした様子で目を見開いて黙り込んでいる。

「な、なんか言って下さい!」

いつもはそこそこ良いテンポで会話が出来ていると思うが、今回ばかりはそうもいかない。わたしはその言葉と共に三刀屋さんの右肩をぐわしぐわしと揺すって、三刀屋さんを現実に引き戻す。

「……さよがそういう事言うとは思わなかった」

開口一番、感想。これ以上ない簡潔な。
わたしだって自覚している。まさかわたしがそんなことを言うとは思わなかった。けれど、どうせ三刀屋さんが何かしら変わるつもりがないのなら、と考えてしまったのだ。
どうせ三刀屋さんの失われた左腕は戻ってこない。三刀屋さんが結婚に前向きにならないのはまずそれがある。自分ひとりならばなんとも思わないが、一緒にいる相手がなんて思われるかが恐ろしい。一緒にいる相手に迷惑をかけるのが恐ろしい。結婚指輪は左手の薬指につけられないし、もしも子供が生まれたとしてひとりでは抱いてあげることもできない。三刀屋さんのことだ。考えていないはずがない。
そんな相手のことばかりを気遣う思考が変わらず結婚に前向きにならないのであれば、みんとさんのような清廉とした聖女と奇跡的に出会わない限り三刀屋さんが身を固めるなど無理だ。それなら、誰を選んでも同じなら、わたしでいいじゃないかと思ってしまった。三刀屋さんの左腕がなくなった理由も知っている、三刀屋さんという人間のことを理解もしている、つもりだ。そのへんで出会った女性よりもわたしの方が、と思うのはこれは嫉妬だろうか、恋なのだろうか。愛と言うには自分本位な気がする。

「さよもなんつーか……結婚したいっていうキャラじゃないだろ」
「長女なので既に初孫の期待に胃が痛くなりますしどっちかというと女の幸せが結婚と決めつけられると顔を顰めるタイプの人間っすよ」
「だよな」

三刀屋さんはどことなく安心したような顔をした。わたしがらしくないことを言ったものだから、目の前のわたしが本当に藍堂さよりであるか疑ってでもいたのだろうか、失礼な。

「でもそうか、利害は一致してる訳か」
「利害って。なんか取引みたいっすね、まあ結婚ってあれも契約みたいなもんだから似てますけど」
「俺もさよと一緒にいるの嫌いじゃないしな」
「そこで嫌いって言われたらさすがのわたしも落ち込みますけど」
「ああ、むしろ居心地は良いんだろうな」

三刀屋さんも恋だの愛だの、そういうものがよく分からないと言いたげだ。わたしと同じ。人を、何かを大切だと思う慈しみの心はあれど、異性間で事情についてはまるで分からない。それに時間を使うよりも自分の好きなことに充てたくて。そういった意味でもやはりわたしと三刀屋さんは似たもの同士で、価値観が共通している。利害の一致で一緒になったとしても、なんとなく、幸せになれるような気がした。
これは両想いだろうか。恋ですらないのかもしれないこの感情に、わたしも三刀屋さんも名前をつけられないでいる。

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