パルフォン | ナノ

永遠を問わずとも夢の中に

恋人同士になってからもさよりは特別変わったところはなく、良くも悪くもさよりのままだった。付き合う前よりも少しは素直になっただろうか。まあさよりは以前から思ったことはすぐに口に出すような奴だったが。そうではなく。恋人らしい遠慮のなさのような気がする。恋人なんていたことがないからよく分からんが。

「さよ」
「はい、なんすか、三刀屋さん」
「……」
「え、なにその梅干し食べたみたいな顔」

さよりに対してこれといった不満はない。仕事でもプライベートでも俺のことをよく支えてくれていると思う。唯一不満点を挙げるとするのなら、今のように呼び方がいつまで経っても「三刀屋さん」であるということだろうか。
俺はパルフォン様の一件以来さよりのことを「さよ」と呼んでいるが、さよりは恋人になってからも三刀屋さんという以外に呼んでくれたことがない。

「お前、いつまで俺のことを三刀屋さんって呼ぶつもりだ?」
「え。編集長って呼べってことっすか?」
「阿呆。何で遠ざかる」

さよりは馬鹿ではないはずなのだが、やはり阿呆だ。何かが足りていないというよりは、勘や察しの良さが全てオカルトに向いていて、世間一般とほんの少しずれているような感覚。俺も人のことは言えないが。

「名前」
「なまえ?」
「何をそんな初めて聞きましたみたいな顔してんだお前は。まさか俺の名前知りませんとか言うんじゃねえだろうな」

まさかとは思うが、さよりならありえない話ではない。しかしさよりがとんでもないと言わんばかりに拗ねたような顔をしたということは、まあちゃんと知っている、覚えているらしい。少しだけ安心した。

「俺とさよは恋人同士だろ?」
「んっ、そ、そうっすね」
「いつまで俺のこと他人行儀に名字で呼んでんだと思っただけだ」
「……なんだ三刀屋さん、名前で呼んで欲しかったんすか?可愛いところあるんすね……ってあいたたたたたたた!痛い!頭掴まないで三刀屋さんっ痛い!パワハラ!これはいけませんパワハラ上司!」

俺は右手をさよりの頭上に覆い被せるようにして置くと、ぐっと力を込める。さよりは悲鳴を上げるがそれも気にせず数秒はそのまま力を込め続けた。さよりが泣きそうな顔をしたところで力を緩めて頭を撫でてやる。DV彼氏かよという囁きが聞こえたような気がするが、一旦無視だ。

「名前で呼ぶ練習しないと後々困るのはお前だろ」
「は、なんでっすか」
「なんでってお前な。お前も三刀屋になるからに決まってんだろ」

呆れたような顔で言えば、さよりも同じように呆れたような顔をした。いや、一見呆れているようにも見えるが実際には「マジか」という戸惑いにも似ている気がする。

「三刀屋さんって男の人なのにちょいちょい結婚を匂わせてきますよね。男の人なのに。珍しい」
「そりゃ偏見だろ」
「まあそれ自体はいいんすけど……」
「いいのか」
「結婚したらわたしは三刀屋さんのことをもう三刀屋さんって呼べなくなる訳じゃないっすか。今だけなんすよ、それでも三刀屋さんはわたしに名前で呼んで欲しいっすか?」
「ああ」
「即答!?そこは今しか味わえない貴重な三刀屋さん呼びを堪能するところでは!?」
「いや別に。名前で呼んでもらった方が嬉しいが」

むしろさよりが何故そこまで名前呼びを拒むのかが分からない。今のやりとりから察するに俺と一緒になることに関しては嫌がっている様子はない。

「何でそんなに嫌がってんだ、お前は」
「い、いやあ、だって」

さよりは言葉を濁している。最初は恥ずかしいのか愛いやつめとも思っていたが、さよりの曇る表情から察するに、単に恥ずかしいという理由ではなさそうだ。きっと、もっと、真面目な理由なのかもしれない。

「名前って、怖いじゃないっすか。一番簡単な呪いっすよ」
「……ああ、なるほど。お前、パルフォン様みたいな怪異に出会ったらって仮定してんのか」
「怪異に個の名前を知られるってそれだけで連れて行かれる危険性がぐっと上がる訳じゃないっすか。人間の名前は己の存在を確立するのに必要っすけど……簡単に奪われちゃうものです。昔有名な神隠しの映画にもあったじゃないっすか」

だからって、それは気休めにしかなりませんけど。と、さよりは苦笑する。その通りだ。怪異に名前を知られれば、確かにあちら側に取り込まれる可能性はぐっと高くなる。しかし、怪異なんてもんは理不尽の塊みたいな存在だ。名前だなんだと関係なくこちらを巻き込んでくる時は巻き込んでくる。さよりの考えはあくまで枝分かれした可能性のひとつだ。
だが、そんな小さな可能性であっても、危険の芽を摘もうとしているさよりはとても可愛く思えた。子供の心配のようで。好奇心の猫であるさよりは、怪異への恐怖よりも未知を埋める快楽を求めがちだ。そんなさよりが怪異と触れ合える機会よりも安全を取ろうとしているのは、それだけで俺がさよりに大切に想われている証拠だ。

「可愛い奴だなあ、さよ」
「あっ、わたしは結構真面目なのに!茶化さないでください!」
「悪い悪い。……でもまあ、思いの外理由がちゃんとしてたな。そう言われると、さよの心配を無碍にも出来ない」
「そうっすよ。それでもいつかはわたしが三刀屋さよりになって、そしたら大人しく真司さんって呼ぶんですから。その時まで待ってて下さいよ」

三刀屋さより。真司さん。長い言葉の中に自然と混ざる単語が、名前が、とても愛しいものに思えた。

「明日にでも籍入れてえ」
「わたしが大学卒業したらって約束どこやったんすか」

さよりは今度こそ呆れたような顔をするが、同時に笑っている。穏やかなさよりの笑みを見ていると、俺の方こそさよりをあちら側へ連れて行かせないという気持ちが大きくなっていく。

「さよ」
「はい、なんすか、三刀屋さん」
「……この原稿。早引きしたやつのなんだが、悪いがお前これを呼んでおかしいところ書き直してくれないか?たぶん全部書き直したほうが早いんだがな。今日飯奢ってやるから、頼むぞ」
「今日も、っすよ。三刀屋さん」
「……そうだな」

顔を見合わせて笑い合う姿は、ただの上司と部下というには近すぎる距離で、こうした時に俺はさよりと恋人同士であるという優越感を覚える。なら、もう少しの間くらいは名前を呼ぶ呼ばないだけで大人げなく拗ねなくてもいいのかもしれない。

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