パルフォン | ナノ

茜屋敷の彼女

パルフォン様の脅威が消えてすぐ、事務所近くの公園に彼女を呼び出したときに、三刀屋は尋ねた。「こんな厄介事に巻き込まれるくらいなら、オカルトの仕事なんて辞めるか?」と。彼女は三刀屋からの問いに、ただ笑っていた。「辞めませんよ」と。「オカルトの仕事が好きだから」と。その言葉に三刀屋は安堵を覚える。安心した。嬉しかった。同時に彼女がオカルトの世界に居る限りは怪異の脅威から守ろうと決めた。
そんな。そんな誓約を己に立ててから、数年。

藍堂さよりは、怪異に取り込まれて、死んだ。

彼女が、20歳の誕生日を迎えた次の日のことだった。三刀屋は、彼女の誕生日の前に交わしていた何気ない会話のことを思い出して、表情を苦くさせた。

「さよ、今年のクリスマス予定あんのか?」
「えっ、三刀屋さんと年末恒例心霊特番見ますけど」
「……20になるってのに寂しいやつだな、お前は」
「正真正銘アラサーのくせに大学生ひっかけてる三刀屋さんに言われたかないっすよ!」
「ひっかけてねえよ、本気だ」
「ん?なんすかそれ、どういう」
「……」
「あっ、三刀屋さんっ、それどういう意味っすか!わたし勘違いすんの恥ずかしいから嫌なんすけど!」
「勘違いでもねえって」
「え」
「……まあ、24日にちゃんと話してやる」
「……ほ、本当?」
「ああ」

そんなことを話していたのが遠い昔のようにも思えるが、まだ数日しか経っていないことを考えると、時間の感覚は既に狂っているのではないだろうか。
この会話の次の日に、藍堂は姿を消した。最後に送られてきたメッセージには、「みとやさん」という言葉だけ、綴られている。一緒に添付されていた写真は夕陽というには真っ赤すぎる血のような色の空だった。たぶん、異界に誘う系統の怪異なのだろうと冷静に分析してしまう自分が、三刀屋はなんだか嫌だった。
伝えようと思っていたことを伝えることも出来ず。あの日守ると誓ったことさえも果たせなかった。
藍堂さよりは、怪異に囚われ、魅入られ、消えた。それはこの世では無い場所に連れて行かれると云うことでは、死と同じだ。藍堂の捜索願が出されていることは、編集部内でも話題になっていた。

「さよちゃん、心配ですねえ」
「それより三刀屋だよ、あの落ち着きよう……さよちゃんと結構仲良かったと思うんだけど」
「なんか冷たいですよね」

藍堂について一過性の話題として消費する編集部のライター達に睨みをきかせて、三刀屋は不機嫌そうな顔のままパソコンの画面と向き合う。冷めているのは、どちらだ。どうせお前らは数日としたら彼女のことを忘れてしまうくせに。
三刀屋のパソコンの画面にはめぼしい怪異や都市伝説について記載されたページがこれでもかというほどブックマークされている。端から見れば、三刀屋はいつの通り記事を書くための資料集めやネタ探しをしているとしか思えないのだろう。藍堂からの最後の便りが絵の具の赤色を塗ったような空だなんて、誰も知らない。自分しか知らない。
それにしても真っ赤な空とは。情報が少なすぎる。もう少し風景を切り取ったような写真はないのかと思ったが、その時の藍堂にはこれが精一杯の行動だったのだろう。彼女が怪異に魅入られている時に側に居られなかった自分は何も文句を言う資格など無い。

「赤い空……赤い空……、逢魔ヶ刻……」

それらしいものをピックアップしては、少しでも藍堂の手がかりを探す。既に手遅れであると頭のどこかでは分かっているのに、三刀屋は諦めきれなかった。パルフォン様の時に妹を助けてやれなかった後悔か。それとも好きな女ひとり守れないことへの苛立ちか。
ふと、右手中指にはめられている指輪が視界に入る。……守られているのは、無事なのは、いつも自分だけだなと自嘲気味に三刀屋は口元を歪めた。じくじくと、体のあちこちが嫌な音を立てている。

「三刀屋さん、最近寝てます?つーかなんか……痩せました?」
「うるせえな」

家に帰るよりも、事務所に泊まり込む方が多くなった。ただでさえ少なかった睡眠時間はもっと少なくなり、まともな固形物を口にするのも減っていた。眠気冷ましの珈琲は、飲み過ぎもあるのか、最近はまるで味がしない。

「三刀屋さん、最近どうしたんすか?なんか一心不乱にひとつのことを調べてるって感じっすけど」
「……さよのことだ」
「へえ、……わたしの」
「……は?」

三刀屋は、顔を上げる。編集部の誰かだと思っていた聞き覚えのない声は、何より渇望していた人間の声だった。彼女の声を忘れていたというのだろうか、いいや、まさか。忘れるわけが無い。こんなに鮮明に姿がある愛しい者の声を、忘れるはずがない。
藍堂が。藍堂さよりが目の前に立って、困ったように笑っている。

「さよ……っ!」

三刀屋はデスクから身を乗り出して、すぐ目の前の藍堂へと手を伸ばす。触れられる距離だ。触れられる。はずだった。触れて、触れたと思ったら、消えてしまった。溶ける訳でも無く、霧散する訳でもなく、最初から存在していなかったかのように。藍堂の姿はそこには無かった。

「……クソッ。とうとう幻覚まで見るようになりやがったか」

あるいは、望んでいる未来だろうか。都合の良い夢だ。夢や幻を自覚できるだけ、自分はまだまともなのかもしれない。藍堂のことを諦められないこと以外は。

「……もっと、探そう。もっと。まだ足りない。俺の努力が、知識が、必死さが。なら、もっともっと調べねえと……寝る時間だって惜しい。飲み食いしてる時間だって惜しい。こんなんじゃ、さよに辿り着かねえ……」

味のしない珈琲を三刀屋は一気に飲み干した。藍堂が見たら、嘆きながら「死にますよ」と言ってくれただろうか。それでもよかった。そう言って欲しかった。今の自分を止められるのは、藍堂だけだから。三刀屋真司は今日も此の世に居ない黒猫の影を探し続ける。

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