パルフォン | ナノ

感情の産声を煽る

噂というものは日々新しいものが生まれ、常にその不気味さと探究心への刺激を更新していく。文明が進み、技術科学が発展してなお、怪異というものも時代の流れに沿って適応していく。現代社会だからこそ、情報の伝播は早い。基本的にSNSやコミュニケーションツールを通じて広がっていくものだから、最初の噂からはいくらか誇張されているなんてのもよくある話。まあ匿名性の高い情報は、きっと掲示板時代からそうだった。怪異が、都市伝説が伝え広がる「友達の友達が言っていた」のルーツは今なお続いている。そうして今日も、噂から生まれた怪異たちは誇張された新しい「設定」を得てアップデートされていく。
今日もわたし達が食べていくためのネタには困らない。オカルトサイトの編集部には優しい世界だ。

「今回は本当にライターさんが記事を落としちゃったんすねえ」
「今回はってなんだ。俺がいつもそれを理由にお前に調べ事をさせてるみたいな言い方しやがって」
「いやあ、パルフォン様の時みたいに記事を書く体でまた厄介事に巻き込まれてるのかと」

こんな真夜中に三刀屋さんが運転する車に揺さぶられて、現在向かっているのは都内某所に存在する地下通路だ。最近SNSで話題になっていた。黒コートを着た血濡れの男が現れるという地下通路。今時そんな怪異がいるのかという話だ。人面犬や口裂け女が流行していた時代ならまだしも。
普段ならば「時代にそぐわん、却下」と三刀屋さんが一刀両断して記事にもならなそうな内容なのだが、今回は明日更新予定の記事をライターさんが落としてしまったらしいので四の五の言っている場合ではない。えり好みできる立場ではないのである。とりあえずは現場に行ってそれらしい写真を撮って、検証を行わなければいけない。三刀屋さんは「とってつけたような記事だからアクセス数は伸びないだろうな」とタバコ代わりに飴を噛みつぶしながら不機嫌そうに言っていた。

「いいか、さよ。地下通路にはお前一人で行ってもらうが何かあったらすぐに叫べよ」
「あーい。確か、女の人の前にしか現れないんでしたっけ?男性、複数だと出てこないで、単独の女性を狙う。女好きっすかね?」
「男型の怪異なんてほとんどがそんな逸話だろ。基本的に狙うのは女子供じゃないか」
「はー、いやだいやだ。怪異も令和に合わせて男女平等にするべきっすよ」

三刀屋さんと軽口を叩き合っていると、車の動きが止まる。送ってくれるのはどうやらここまでらしい。三刀屋さんはここに来るまでに散々言っていたことを再度繰り返す。

「ちゃんと通話繋いでおけよ。何かあったらすぐに、」
「わかってますってばあ。ていうかなんか起きてくれなきゃ困るでしょうが、わたし達からしたら。大丈夫です、三刀屋さん」

わたしは三刀屋さんを安心させるように自分のスマホ画面を見せる。何かあればすぐに助けを求められるように、三刀屋さんが駆けつけられるように、三刀屋さんとの通話を繋いだままにしている。
三刀屋さん曰く、わたしは怪異に対しての知識や敬意はあるものの、圧倒的に畏怖が足りないとのことだった。恐怖心を持つというのは、つまり自分の身を守るための防衛機制みたいなものだ。わたしの場合、恐怖心が欠如している訳ではないものの、好奇心が勝っており、身を守ることが疎かになっていると三刀屋さんは日頃から苦い顔をしている。失敬な。わたしだって好奇心よりも恐怖心が勝ったことがあるというのに。三刀屋さんがパルフォン様に連れて行かれるのではないかと思ったときはすごく怖かったのに。言わないけれど。

「じゃあ、行ってきますね、三刀屋さん」
「ああ。地下通路の出入口にいるからな」

そう言っておいて三刀屋さんはなんだかんだ階段の途中までやって来そうだが。しかし、心配性とはいえ、さすがに仕事ともなると「さっさと行け」という雰囲気もどことなく醸し出している。難儀だ、面倒くせえ大人だ。
たったひとりで薄暗い地下通路に放り込まれたわたしは、半分くらいまで進んだところで立ち止まる。わたしひとりが歩くだけでも、足音がこつこつと反響する。温度は、さすがに地下だからか肌寒いくらいが普通。わたしは周囲をくるりと見回して他に誰もいないことを確認してから、すうと息を吸い込む。怪異を呼び出すのには、儀式がいる。今回は、呼ぶだけで良い。

「黒コートさん、黒コートさん。赤い色のコートがこちらにあります」

SNSで話題に上がっていた黒コートの血塗れ男……名付けるのであれば、そのまま安直に黒コートさんらしい。怪異の名前は分かりやすくて良い。
反応が何かしらないかと反応を待つ。……呼び出す言葉を間違えてはいないはずだ。ちゃんと黒コートさんの話題についてはひと通りいいねを飛ばしたし、読み漁った。主に女子高生達がやばいこわいと盛り上がっていた記憶がある。

「やっぱり単なる噂っすかねえ」

わたしは服のポケットの中に突っ込んでいるスマホに届くように少しだけ声を張る。わたしの声が、地下通路に響く。それで終わりだ。何も無かった。仕方ない、単なる噂ならば、どうしようもない。そういうこともある、というか、そういうことのほうが多い。
わたしはため息をついて、地下通路の写真だけ撮ることにした。そこそこ雰囲気があるおかげで、記事のサムネにはぴったりだろう。そして、カメラを取り出そうとした時だった。
カツン、と金属が落ちたような音がする。
後ろからだ。

「……みと、」

三刀屋さんだろうか、と思って後ろを振り向く。きっとこういうところが三刀屋さんの心配性を加速させてしまうのだと思う。完全に油断していた、完全に気が抜けていた。

「え」

立っていた、真後ろに。黒いコートの、「人間」が。なんの面白みも神性も不気味もない、ただの人間が立っていた。黒いコートを着込み、黒帽子に黒マスクという不審者の記号をコンプリートしたような、そんなお手本の不審者が立っていた。辛うじて見える瞳は野暮ったく、にも関わらず、わたしのことを爛々と見つめているのを悟ってしまう。ああ、これは。なるほど。「単独の女しか狙わない」とは、こういうことか。嫌でも分かってしまう、わたしはこの男の獲物であることをはっと思い出す。
なんだ、ただの人間か、では終わってはいけない。人間の男だ。男だ。力関係では圧倒的に不利。しかも怪異同然の噂として流れるような不審者だ、何か凶器を持っていてもおかしくない……と目線を下げたところで気がつく。鈍色にくすんでいる、先端の鋭い刃物。あ、いけない、と血の気が引いたところでわたしはようやく口を開く。叫ぶために酸素をいっぱい吸い込んで。

「三刀屋さ――ッ!」

しかし、わたしが三刀屋さんの名前を呼ぶことは叶わなかった。
わたしの叫び声は、それ以上の焦り声とも怒声とも捉えられるよく知った声に掻き消される。

「頭伏せろ、さより!!」

その声を、言葉を聞いた瞬間にわたしは何かを考えるよりも先に体が言うことを聞いていた。その言葉通りに、頭を伏せる。体を縮ませる。しゃがんだ折りに視線に飛び込んできたのは、三刀屋さんの姿だった。
苛立ちと怒りと不機嫌さと、そういったマイナスの感情をひたすら詰め込んだような顔をして、三刀屋さんの人相の悪さに磨きが掛かっている……と、思考の隙間が出来たところで、わたしの耳に届いたのは「ぐええ」と潰されたカエルのような聞くに堪えない程かわいそうな短い悲鳴だ。
少しだけ視線を上げて見てみれば、急いで駆けつけてくれた三刀屋さんは、そのまま不審者の男に重たい蹴りを繰り出していた。男の腹部に刺さるように三刀屋さんの足がめり込んでいる。思わずわたしの方が疼いてしまった、これは痛い、しかも容赦がない。

「さより!無事か!?」

もう一度男に蹴りを入れた三刀屋さんが、わたしの肩を掴む。わたしの様子を見て何も変わりがないことを察すると、三刀屋さんは小さく息をついて安堵していた。男は三刀屋さんの蹴りによって情けない声を上げながらその場に転げてしまった。

「……三刀屋さん、よくこんなナイスタイミングで来てくれましたね……、わたし、呼んでないのに」
「ああ、地下通路の周囲を見てたらそこの変態が降りてくのが見えたからな、慌ててこっちに飛んできた。……たぶん、黒コートの噂を流したのもそこの奴だろうな。それっぽい噂を流して、好奇心に煽られた女を自分のテリトリーに誘って襲う。ああくそ、明日の更新が迫ってるのに、時間を無駄にした……俺とさよの貴重な時間を邪魔しやがって」

今にも人を殺せそうな目つきをしている三刀屋さんはもう一度倒れ込んでいる男に蹴りを落とす。急所を狙った、性格が悪い。不審者の男の泣き出しそうな声を聞きながら、わたしは同情心の方が大きくなってしまう。いや、所持しているものが物騒すぎるから、これくらいは正当防衛に含まれるのだろうか。

「行くぞ、さよ」
「え、こ、この人このままにするんすか?凶器とか持ってますけど」
「通報ならうちの奴がする。さっき連絡した」

三刀屋さんは右手を伸ばしてわたしの手を掴む。固く握られた手から感じる体温と少々の手汗は三刀屋さんの焦燥感が伝わってきて、ここにきてようやく、わたしも安堵を得る。安心を自覚する。

「……三刀屋さんって、足技使えるんすねえ」
「片腕しかないからな。いざって時にさよを守れなきゃ意味ないだろ」
「物理だから怪異に効くとは限らないっすけどね」
「今回は役に立っただろうが」
「あはは……はい、恰好良かったっすよ」

わたしも安心からか、やっとまともな笑顔が出る。それでも不安だったらしい、というの体が素直に示してくれて……わたしは三刀屋さんの手にぎゅうと縋りついていた。地下通路にはわたしと三刀屋さん、二人分の足音。そして、……黒コートの正体である不審者の男は倒れているはずなのに、カツンカツンと金属が落ちるような音が未だにどこからともなく響いていた。

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