FNAF | ナノ

レムの記憶


「本当にごめん。急な仕事が入って、」
「いいえ、大丈夫よ。理解しているから」
「今度、ちゃんと埋め合わせをするよ。約束する」
「ええ、期待しないで待っているわ」
「すまない」
「だから、大丈夫よ。こうして連絡してくれただけでもありがたいわ。……仕事、戻らなくて大丈夫?」
「あ、ああ、うん。じゃあ、戻る。……早く終わったら、連絡するからな!」

耳元に響く恋人の声と、機械特有の雑音。
プツリ、と私と彼の世界が途切れたところで私は大きなため息をついた。
分かっている、大丈夫……そんな言葉を並べてみたところで、本当は少し寂しいし悲しいし、本当にほんの少し、ほんの少しだけ、腹だって立つ。
約束を破られるのは、気持ちが良いものではない。
ずっと前から約束していた事ならば、尚更。
けれど、約束が果たされないのにはれっきとした理由が存在しているものだから、子供のように不機嫌になって、拗ねるだなんて事はまさか出来ない。
私は大人なんだから。
仕事は優先するべきものだし、私が彼の立場であってもきっと仕事を優先したことだろう。
今日の約束は別にどこかへ出かけるというものではなかったし、ただ一緒にご飯を食べようなんていういつでも出来るような内容だ。
ああ、会うことなんていつでも出来るだろう。
永遠の別れでもない限り、嫌と云うほどに逢瀬は続く。

「ああ、でも……もう何日?何週間会ってないのかしら?さすが、ブラック企業ね」

ここ数日の彼とのやりとりは電話でしか行っていない。
電話のやりとりも毎日ではなくて、日にちをおいて、数分だけ。
私と彼は本当に付き合っていただろうかと自問自答をして、そんな自分が嫌になってしまう。
子供っぽいワガママに、会いたい、だなんて。
お互いにいい歳を迎え、それなりの地位も持っている仕事人間だ。
学生のような甘くとろけるようなおとぎ話らしい恋愛など期待するだけ無駄だ。
そもそも期待もしていない。

「あー、ボニー!私の味方は貴方だけね!貴方はいつだって私の側に居てくれるわ!電話しか寄越さない電話の男とは大違い!!」

ベッドの上に電話の受話器を放り投げた私は、人形が沢山置かれている棚の前まで移動して、一番のお気に入りであるボニーの人形を手に取った。
人形のふわふわとした生地は抱きしめていて心地が良い。
このまま毛布にくるまって寝てしまえば、きっとすぐ温かくなって寝てしまうような気がした。

「……やっぱりこうも会えないと、寂しいものは寂しいわね。ね、ボニー」

地元ピザ屋がそこまで忙しいのかと追求したくなるが、あそこはアルバイトの賃金も最低で、そんなだから常に人員不足に悩まされ異常な少人数で店を回さなくてはいけない確実なブラックだった。
上層にいるとはいえ、彼は彼で大変なのだろう、きっと。
接客業をした事がない私には、よく分からない世界だ。
記者もなかなか大変だと言いたいところだが……、そんなのは仕事だからという理由で片づけられてしまう。
大変で当然だし、その中で楽しめる事があれば最高。
大人というものは労働然り、社会で生きる為に自由が制限されている。
その限られた自由が重なったからこそ、約束をしたはずなのだが……それも急な仕事という言葉で破棄されてしまうのだから残酷だ。
久しぶりに会えると楽しみにしていたからか、想像以上にショックは大きかった。
正直、自分が驚いている。

「ねえ、ボニー。どう思う?酷いと思わない?もう別れちゃおうかしら」

ボニー人形に話しかけながら、私はクスクスと笑った。
しかし、すぐに虚しくなって、我に返る。
別れてやろうかなどと言ってもそれは、本気はおろか冗談にすらならない言葉だ。
冗談にしたって笑えない冗談だろう。
別れるだなんて、とんでもない。
私は周囲が思うよりもずっと、もしかしたら彼が思うよりもずっと、彼の事が好きなのだ。
でなければ、あんな約束を破ってばかりの最低な人とっくの昔に別れを告げている。

「恋なんて面倒……というより、人間が面倒だわ。人形への恋心なら一方的に愛を注ぐだけで十分なのに。人間同士になると、駄目ね。愛してもらえた嬉しくなるし、愛してもらえなかったら悲しくなるわ」

誰かが、愛は見返りを求めるものだと言っていた。
その言葉を聞いた当時の私は、その意味を全くと言っていいほど理解していなかったのだけれど、今ならば分かるような気がした。
特に彼の。
電話男さんの愛は深くて心地好い。
私の事が好きで、一途に愛してくれていると伝わるものだから、余計にそれが恋しくなる。
人間というのは本当に面倒臭い生き物だ。

「電話男さん……、早く仕事……。仕事、終わってくれないかしら……」

ボニーの人形とベッドに倒れ込んだ私は、放り投げたままの受話器を見つめる。
早く終われば連絡すると彼は言っていたが、期待はしていない。
彼へ急に入った仕事が早く終わる訳がないと、分かっているのだ。
今日中に、電話が鳴り響く事はない。
しかし心はそれを待ち望んでいるようで、何だか酷く疲れてしまう。
腕に抱いたボニー人形の温もりもあって、私はうとうととし始める。
目を閉じてしまえば、私はあっさりと夢の世界へと飛んだ。
いいや、正確には夢を見ていてかどうかなんて分からないので、夢の世界に落ちたと言っていいのかも定かではない。
ただ、心地好い感覚であったのには間違いない。
とても温かくて、いつまでも寝ていられるような感覚だった。

「恋人が死にもの狂いで仕事を終わらせてきたっていうのに、爆睡か。いいご身分だな、記者女さん」
「……!?」

ただ、目覚めも同じようによかったかと言われると、そうだとは言い難い。
聞き慣れた恋人の声が雑音混じりではなくとてもクリアに聞こえたものだから、私はその言葉通りに飛び起きてしまった。
私が彼の、電話男さんの声を聞き間違えるなんてありえないと思ったが、しかし彼がここにいるのもありえない事だと思った。

「あ……悪い。起きちゃったか。起こすつもりはなかったんだけど……ごめんな、ヴェスナ」
「電話、男さん……?」
「ん?何だい?」
「ほ、本物?それとも夢?私まだ夢の世界になんているの?」

ベッドから起きあがった私の目の前に飛び込むのは、急な仕事で会えなくなったはずの電話男さんで間違いない。
軽いパニックを起こした私は自分の頬を思い切りつねる。
なかなか痛かった。

「あっ、おいこら、腫れちゃうだろ、やめろ」
「痛いわ。夢じゃない」
「夢じゃないよ。現実だ」
「夢じゃないわ……」

呆然と私は呟く。
彼は薄く微笑んでいて、その様子はどこか安心しているようにも見えた。

「仕事、頑張って早く終わらせたんだ。なのに君、電話に出てくれなかっただろう?何度も何度も電話したのに、出てくれなくて」
「……ごめんなさい、寝ていたわ」
「ああ、それはさっきの幸せそうな寝顔を見てたら分かったよ。でもさ、分かるだろ?会う約束をしていたのに、俺はそれを破ったんだ。さすがに今回ばかりは愛想尽かされたかなって、不安になったんだ。電話出てくれないなんてさ……迷ったけど、君の家に行こうと思って」
「鍵は、」
「合鍵。くれただろ。俺の誕生日に」
「ああ、なるほど……」
「不安いっぱいのまま君の家も入るだろ?そして君がリビングにいないし、また不安になって。で、寝室に入ってみれば、すやすや眠っていた訳で」

ちくりちくりと刺さるような言葉に私は返すことばもない。
最初に約束を破ったのは彼の方なのに、何故か私が悪いみたいではないか。
確かに何度とかけてくれた電話に気付かず眠りこけてしまっていたのは悪かったかもしれない。

「あー、ははっ……特に問題なさそうで良かった」

電話男さんがまた安心したような表情を浮かべて、私の頭を撫でる。
よく見ると、彼のシャツはよれよれで皺だらけだった。
仕事が、大変だったんだろうか。
私のことを考えて早く終わらせようと、ここまでへとへとになってくれたのだろうか。
落ち着いている彼の呼吸音に耳を澄ませて、私も落ち着いた。

「電話男さん」
「ん?」
「ええっと、お疲れさま」
「ん……、うん」
「それから、おかえりなさい」
「うん、うん」

ここで「寂しい」だの「悲しい」だの言えたら、私はもう少し可愛い女性になれるのだろうか。
……この年齢になって可愛いも何もないか。
無理がある。

「貴方……明日もどうせ仕事なのよね。ここにいて大丈夫なの?帰って休んだ方が、」
「いや、せっかく来たんだ。もう少し居させてくれよ。泊めてくれとまでは言わないからさ」
「泊まってくれてもいいけど、リビングで寝てもらう事になるわね」
「おい、俺は君の恋人なのにそんな扱い?そいつの方がずっと良い扱いを受けてる」

電話男さんはベッドの上に転がるボニー人形を示して苦笑した。
私だって別に彼をここへ招いたって良いと思って……、思っては、いるのだが、偏愛に歪んだ身体が拒絶反応を示すのだから仕方ない。
人形と違って意志を持つ他人と一緒に寝るだなんて恐怖そのものだ。

「君は明日仕事か?」
「仕事よ」
「休めない?」
「どうして?」
「いいから」
「まあ、貴方の所みたいなブラック企業とは違うから……休めない事はない、けど」
「じゃあ、休んで」
「だから、どうして」

彼はただ笑っている。
その笑みの意味が、私には理解できない。

「とにかく休んでくれよ。そしたら、絶対君はハッピーになれる。約束するよ」
「まあた、約束?」
「信用できない?」
「また破りそうだわ」
「耳が痛いな」

すると彼は何を思いついたのか、右手の小指だけを立てて、私へと突きつけた。

「何て言うんだっけ?これ。ゆびきり、だっけ?」
「え……」
「君のお婆さんの国の習慣?なんだよな?約束する時にするんだったか。で、約束を破ったら、……指を切る?」
「違うわよ、針千本飲ませるの。私が、貴方に」
「怖いな。破らないようにしないと」

けらけら笑っている彼に私は何とも言えない表情を浮かべた。
その表情のまま、私も小指だけを立てる。
そして、彼の小指にそれを絡める。

「明日は君と一日一緒にいるからな」
「嘘つき。針千本用意しなくちゃ」

絡めた小指はしばらくそのまま、なんとなく離れない。
離したら何となく、……彼は素直に家へ帰ってしまうような気がした。
よく考えれば、彼とは久しぶりの再会なのだ。
ずっとこのままで居たいななんて思ってしまった。
一体この小指はどのタイミングで離せばいいのだろう、こちらから離してしまった方が良いのだろうか。
彼から離してくれた方が、私としては良い。
私からは離すつもりがなかった。

「指切りげんまん。嘘ついたら針千本飲ます」
「指切った」

指切ったのその彼の一言で、彼は小指を離した。
元々は遊女だか娼婦だかのやりとりとしてのそれを、異国であり恋人同士の私達がしているというのは変な話だった。

「じゃあ、また明日。俺は帰るよ。じゃあな、記者女さん」
「あっ……」
「大丈夫。またしばらく会えなくなるなんて、そんな事はないからさ」

だから今日は安心しておやすみ。
電話男さんは私の額にそっとキスをする。
それで、私は何となくこの状況に答えを出した。
やはりこれは夢のようだ。
痛覚ははっきりいしていたが、感覚までリアルな夢なのだろう。

「夢の中の貴方は仕事より私を優先してくれるのね」
「夢みたいだろ?」
「ええ、夢だものね」
「夢じゃないって言ってるのになあ」

夢だと思うと、一気に眠気が襲ってきた。
夢の中で眠くなるなんておかしな話だったが、これはむしろ現実に目覚める為の合図か。
ああ、それじゃあ、目が覚めたら一番に上司へ連絡をしようか。
休みを貰う為に電話をするなんて、学生の時以来かもしれない。
もう今日は、明日は、働く気力もなくなってしまった。
目が覚めたら、彼がいない寂しさにまた虚しくなったりするのだろうか。
もしも夢が続くのであれば、ずっと一緒に居られたらいいのに。

「おやすみ、俺のヴェスナ」

彼の優しい声と微笑みを最後に、私は安息へと落ちていく。


レムの記憶
(結び絡めたのだから、命に代えても守ってあげましょう)
(守れなかったのなら、命を投げ捨ててあげましょう)

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