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ゴールデンタイム



新聞記事の原稿と向き合っていると、隣の同僚がいきなりため息をついた。
それは控えめに言ったとしてもわざとらしくて、どうしようとも大袈裟なため息で、いかにも気に掛けて欲しいというのが丸分かりだった。
ヴェスナはちらりと隣でぐったりとしている同僚に目を向け、小さく息をついた、……これはため息ではない、彼女と会話をする為に必要な気合だ。
その同僚はここ最近恋人が出来たのだと嬉しそうに語っていた。
もし愚痴を聞いて欲しいだなんて事になれば、どうせ彼女の恋人の話になる可能性が高い。
同僚の恋愛など、有名人とは違ってスクープにならなければお給料にだってならない。
社内新聞にだったら、まだ酒の場でネタに出来る程度のものを書き上げるくらいはできるかもしれないが。
そんな事を頭の中で一通り考えてみて、ヴェスナはうんざりしながらもそれを表情には出さず穏やかに微笑んだ。

「どうしたの?」

どうせ原稿の見直しをしている間は暇なのだ。
ならば彼女の愚痴に付き合ってあげるくらい、何て事はない。
ヴェスナに声をかけられた同僚は待ってましたと言わんばかりに瞳を輝かせながら、しかしどこか憂いを演出しながらヴェスナへと振り向く。
その表情や瞳の変化を見て、ヴェスナは女性とは本当に強かであると苦笑した。
構ってもらえて嬉しいと思いながらも、あくまで自分が可哀想なのだと訴えておくのを忘れない。
女性というのはしばしば悩みを聞いてもらえて嬉しいのか、構ってもらえて嬉しいのか、目的が定まらない事がある。

「ヴェスナ、聞いてくれる?」
「ええ、いいわよ」

まあ、この同僚は後者だろうなとヴェスナは思う。
別に勘繰り深い訳でも性格がひねくれている訳でもなく、同僚の日頃の行いを見続けた冷静な意見だ。

「あのね、ほら、私最近彼氏ができたじゃない」
「ええ。素敵な人なんでしょう?」
「そう、素敵な人!背は高くて顔はいいし、私より頭もいいの!それに、お金も持ってるし、とても優しくて……ああ、それから、料理も上手なのよ!」

何度聞いたか分からない同僚の恋人の説明にヴェスナは当たり障りなく微笑んでいた。
昔は、独り身の自分に対しての嫌みか自慢かと内心思う事もあったのだが、ここ最近は心にゆとりでもあるのか何とも思わなくなっていた。
むしろ、一周回って穏やかで微笑ましい気持ちになる。
ああ、そういえば彼女の恋人はたとえ変わったとしても、いつだって「背が高い美形でお金のある優しい料理が出来る人だなぁ」なんて思いながら、続きを聞く。

「そんな素晴らしい人なのに文句があるの?」
「文句っていうか、なんていうか。別に普通の不満だと思うんだけど」
「ええ」
「会ってくれないの……」
「ええ?」
「ええ?じゃなくって!会ってくれないの!彼!最近ずっと仕事が忙しいって!」

ヴェスナはああそう、と返事をしながら同僚の目を盗み、上司の方を見た。
一応上司という存在になる編集長は、ヴェスナと目が合うと方をすくめながら「頑張れ」という意味を持つジェスチャーを送る。
ヴェスナもヴェスナで、同僚に気付かれないよう肩をすくめながら原稿にも目を通していく。

「ヴェスナ、聞いてるの?」
「聞いてるわよ。何日くらい会ってないの?」
「今日で一週間くらいになるかな……」
「たった一週間じゃない」
「一週間も、よ!ヴェスナはもしも自分に恋人がいたとして、一週間も会えなかったらどう思う?」

同僚の質問が明らかに自分に恋人がいない前提で進んでいる事にヴェスナは一瞬だけ何か言ってやろうと思った。

「……そうねぇ、」

しかし、否定できた事ではなかったので、何も言わない事にした。
実際、恋人はいないのだから同僚は何も間違えちゃいない。

「仕事が忙しいのかなって思うわ。学生の恋愛じゃないんだし、お互いにいい大人でしょう?電話でやり取りできるのもひとつの形じゃない?」
「電話やメールだけじゃ足りないの。会いたいの」
「……電話だっていいものよ?」

ふと、脳裏に浮かんだ“彼”の事を思い出してヴェスナはくすくすと笑う。
そういえば、“彼”と直接会ったのはいつが最後だっただろうか。
一ヶ月はもう過ぎているような気がする。

「……なぁに、ヴェスナ、その反応。……もしかしてあなた、恋人がいるの?」
「まさか。恋人なんかじゃないわ」
「そうよね!ヴェスナに限ってそんな、」
「……でも、イイ人、かもね?」

ヴェスナの言葉に、それまで饒舌だった同僚が絶句する。
同僚だけではなく、仕事場にいた全員がヴェスナの言葉にざわついたような気がしたが、ヴェスナはあえて気にしないようにした。
気にしたら、負けな気がする。
確かに生まれてこの方独り身ではあったかもしれないが、その反応はあまりにも失礼過ぎないだろうか……だなんて。
その時、ナイスタイミングというべきか、あるいはバッドタイミングというべきか。
ヴェスナの通信端末から無機質な着信音が響く。

「……噂をしていたら、そのイイ人、から。ちょっとごめんなさい」

相手は見ずとも分かった。
“彼”だ……電話男さんだ。
彼だけはあえて着信音を変えていたから、分かる。
通話を受ければ、受話器越しに彼の声が聞こえた。

「ハロー、ハロー!?元気かい!?」
「……あー、元気よ。今日は、貴方の方が元気そうだけど」

仕事場は今までの自分と同僚のやりとりのせいですっかり静まり返っている。
彼の声が受話器から漏れて聞こえてしまうのではないかと思ったヴェスナは徐に立ち上がり仕事場を出ていく。
止める者は誰もいなかったが、廊下に出た自分の声に聞き耳を立てる同僚や後輩達が目に入り、ため息をつきたくなった。

「どうしたんだい?元気ないのか?」
「いいえ、元気よ。元気だけど、ちょっと仕事中だったからね」
「あ、そうか。それは悪い事をしたな……どうする?かけ直すか?」
「大丈夫よ。どうせ今は忙しくないから」
「そうか!なら、ちょっと話させてもらうよ!」

……電話男さんは今、とびきりの笑顔なのだろう。声からでもそれが伝わり、ヴェスナは口許を緩める。
何故だか今なら恋人と会えないと嘆く同僚の気持ちが分かったような気がした。

「じゃあヴェスナ……、聞いて驚くなよ!実はな、明日からしばらく休みなんだ!」
「……えっ?……あ、貴方の所のピザ屋が?また臨時休業?それともとうとう営業停止?何か問題でも起きたの?人形は?それって私のお給料になるような話?」
「違う違う!またとか、とうとうとか、君って本当容赦がないな。普通に、俺自身の休みだよ」
「……まさか。それでも冗談に聞こえるわ。だってとんでもないブラックじゃない、貴方の店」
「それは否定しないけどな」

どうやら彼の話によると、さすがに休みが無さすぎて方に触れる所まで来たらしい。
上の方から休みをとってくれと夢のような言葉を告げられ、休みを得たというのだ。

「君のところはまさかうちみたいにブラックじゃないだろう?」
「そうね。実力主義だけど、そういう面に関してはとてもホワイトだわ」
「今日、何時に終わる?」
「……ええと、18時まではかからないと思うけど」
「そうか、良かった!それは丁度良いな!……迎えに行くからさ、今日一緒しないか?」
「え?今日?いきなり過ぎない?」
「ああ!君に拒否権はないからな!俺はOKしか認めないから!」
「それ、私に訊く意味ないじゃない」

ヴェスナはくすくすと笑った。
それが答えである事は、彼にも伝わったようだ。
そこまで明るく声量を持っていた言葉が、低く落ち着いたものへと変わっていく。

「ちゃんと、待っててくれよ?逃げられたらショックだぜ?」
「大丈夫、逃げないわ。……会えるの、楽しみにしてるから、私も」
「ああ……それじゃあ後で、迎えに行くから」
「ええ。後で」

別れの言葉は告げたものの、お互いなかなか電話を切ろうとしない。
最終的にはヴェスナが切れるのを待ち、彼が切ってくれるというのがいつもの事だった。
ぷつりとノイズ混じりの音が聞こえてから、ヴェスナはようやく端末を耳元から離す。
そして、ずっと聞き耳を立てていたであろう同僚や後輩達へと目を向けた。
いつの間にか上司や先輩まで加わっている。

「……ちょっと皆さん、御揃いで何なんですか?仕事をなさい、仕事を!」

ヴェスナがぱんぱんっと手を叩けば、慌てたように皆がおどけて散っていく。
最後までヴェスナを見続け、その場に留まっていたのは、はじめに話を持ちかけてきた同僚だった。
彼女は何も言いはしなかったが、何か言いたそうにしているのが非常にもどかしい。
しかしヴェスナは言葉を待つ程優しくはないし、言葉を言い当てる程余裕を持っていなかった。
細やかな仕返しのつもりで、ヴェスナは同僚へと微笑んだ。

「ねぇ、ごめんなさい。さっきの言葉に、ちょっと訂正」
「えっ、な、なに?」
「電話でのやりとりも悪くないけど、でも、やっぱり会えるに越した事はないのかもしれないわ」

大きく目を見開く同僚に、ヴェスナは吹き出しそうになる。
彼女が自分から詳細を聞き出そうとうずうずしているのが分かって、非常に面白い。
もっとも自分は何も言うつもりはないし、むしろ言う事もないのだが。

「私と彼は恋人じゃないから、参考にならないかもしれないけどね」

ノーコメントとの言葉の代わりに、しかしそれと同意義の言葉を投げ掛けておく。
そうすれば、同僚は何も聞き出せないのだと悟り、己の好奇心と興味を持て余す。
まったく、仮にも新聞記者の端くれならば、ノーコメントと言われたくらいで諦めるなどしなくたっていいのに。
だが、その言葉にこそ言うことは決してなく、ヴェスナは腕時計をふと見つめた。
まだ15時にもなっていない。
残りの仕事を考えても、あと二時間あれば十分だ。
彼が迎えに来るまでには、間に合うだろう。
来るべき時間を待ち遠しく思いながら、ヴェスナは原稿を読み進めた。


ゴールデンタイム
(ねぇ、電話男さん)
(何だ、記者女さん)
(私と貴方って恋人なのかしら)
(いや、恋人ではないだろ)
(そうよね)
(今は、だけど)
(……それ、私に選択権はあるの?)
(選択権はあるけど、拒否権はないな)
(私が選択する意味ってあったのかしら……)

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