FNAF | ナノ

偏愛キュオリシティー



ヴェスナ・ラプティスという女性がどういう人物なのか、俺はよく知っていたはずだ。
彼女の事を知ってから、ずっと彼女の事ばかり見てきたのだから。
彼女は仕事上では他人の領域にずかずかと入り込んでくる鬱陶しい程のフレンドリーさを持っているが、私生活では自分の領域を侵される事を何より嫌い、他人の領域には踏み込まないよう気を付けているような人間だった。
彼女が明るく饒舌なのは仕事があってこそで、それは立派な大人としての能力のひとつだ。
本来の彼女とはそんな『記者の女』だなんて記号で示されるべきような性質を抱えていない。

「貴方の事を好きだと思ったの」

だからこそ、その言葉が俺には夢を見ていているような感覚にさせられてならなかったのだ。
これは、幸せな夢か?
あるいは悪夢か。
俺の知っている彼女はそんな事を言わない。
人間を信じないよう出来上がってしまった彼女は人間に生まれてしまったが故に人間社会で淘汰されないように気張り、そして心の中で常に後ろ向きな生き方を提示しているような人間なのだ。
そんな彼女が俺に、人間に、愛を伝えるような言葉を発してなるものか。
これは認める訳にはいかなかった。

「何だい、それ。面白い冗談だな」

俺に出来るのは笑い飛ばす事だ。
彼女は嘘は吐かないが冗談は言うのだ。
……自分に言い聞かせながら、彼女らしくもない言葉を振り払おうと俺はただ、神経質に笑うのだ。
その言葉に縋ってしまってはいけない気がした。
今まで通りを望むのであれば、俺の“こうだったらいいのに”なんていう妄想はすぐに捨てるべきだ。

「……ちょっと、よく聞いて。……貴方の事を好きだと思ったのよ」

すき。
好き。
ああ、その言葉の意味は愛だろうか。
それならば俺は君が望むように、君が思い描くように、君を拐えてしまえるだろう。
それはもう、情熱的に。
しかしこれがそんな単純な言葉でない事はすぐに分かった。
彼女の事をちゃんと思い出してみろ。
彼女の言葉をちゃんと聞いてみろ。
彼女は俺を好きだと思った、と言ったのだ。
好きだとは言われていない。
そして、思ったというのは過去形だ。
今の事じゃない。
俺は都合の良い解釈が出来る程、能天気ではないしお気楽ではないし、……彼女の事に関して前向きな答えは出さずにいる。
期待して裏切られたら、苦しいだろう。
そういう事だ。

「…俺の事を好きだと思ってくれていたのか?それは嬉しい」
「ええ、思っていたの」

噛み締めるように、それはもう大事そうに。
まるで言葉を咀嚼するように。
彼女の綺麗な空色がこちらを窺う。
……ヴェスナの視線は正直苦手だ。
そんな事はありえないと分かっているのに、まるでこちらの心を盗み見ているかのようで。
俺の考えなどは筒抜けになっているかのようで。
彼女はしばらく俺を見つめた後で、小さく息をつきながら顔を俯かせる。

「でも、好きにはならなかったの」

……最初の疑問にでも答えを出してやろうか、過去の俺。
これはどうやら悪夢のようだ。

「思ってくれただけだから?」

よく俺の声が震えなかったものだ。
これが電話越しの会話だったなら、震えていても受話器を通しての雑音だと誤魔化せたかもしれない。

「そうなの。残念な事に」

残念と言う割には彼女はそこまで残念そうではない。
俺は残念を通り越してこのまま日勤夜勤の連中を理不尽なシフトに組み込んでやろうかなんて憂さ晴らしの方法を頭の片隅で考え始めていた。

「私ね、貴方の事は好きなはずなの。ええ、好きよ。大好き。貴方がはじめてだもの。友達っていうか、友人っていうか……、子供みたいな事を言うと、仲良くなれた人って。家族以外には必要もないって思っていたし」
「その点じゃ、俺は特別だった?」
「ええ、特別。特別なの。でも、どうしてかしら。好きだと思ったのに、いつもの好きなままで終わるのよ」

彼女の中では、ふたつの好きが混ざり合っているみたいだ。
親愛と、愛情。
この表現で正しいのかは分からない。
彼女のように子供らしく言ってみるのなら、恋愛感情の好きか、そうじゃないか。
簡単な話だ。
彼女の中では、後者が勝っていたらしい。

「貴方なら、って。確かに思ったの。嘘じゃないの」
「分かってるよ。君は嘘吐かないもんな 」

俺は、ヴェスナ・ラプティスという女性がどういう人物なのかよく知っていたはずなのに。
俺は、彼女の事を知ってから、ずっと彼女の事ばかりを見てきたはずなのに。
今更何を期待する必要があったのだろうか。
彼女は人間を信じないよう出来上がった、人形を心から愛するだなんて人間の本能を打ち砕いた人間だ。
人間不信は人形信仰へと繋がり、彼女の中じゃ恋愛対象は人形だけのはずだった。
俺はそれを分かっていたはずだ。
いくら特別になろうとも、彼女の中で存在が大きくなろうとも、俺が彼女と一緒になれる未来はない。
一緒にいたいのなら彼女のらしくない言葉になんか縋ろうとせず、今のままを貫いて良い友人を演じていれば良いのだ。
それで彼女の隣をずっと俺だけで独占できるというのなら、それで十分じゃないか。
……ただちょっと、期待してしまっただけだ。
彼女が俺の事を好きだと思った、なんて悪夢を見せてくれるものだから。

「私ってずっとこのままなのかしら?」
「このままって?人形好きの事か?……君は変えたいの?」
「これっぽっちも」
「ならそのままでいいんじゃないのか。俺は、そのままの君で良いよ。その方が俺は安心できる」
「何それ?」
「俺の都合」
「ふぅん。……でも、何とかしなきゃとは思えなくても、親に悪いなっていう感情はあるの」
「ああ、見合い勧められるんだっけ?」
「この前はその良い男性っていうのを直接連れて来られた。吐き気がしたわ……」

彼女はおぞましいものを思い出すかのように、顔から色を失くす。
この反応がある限り、彼女が人間と恋愛をするなどそれこそ夢のまた夢だろうなと思った。
その事に安心してしまう自分がいて、だから期待するのは止めろと言うのに。
いや、いいや、これは期待じゃなくて、彼女が他の男に奪われる事はないというとりあえずの安心感だ、問題はない。
それに、俺の事をそういった対象で“好きかもしれない”と思っただけだったとしても、その事で吐き気を催さないという事は喜んで良いだろう。

「俺が君の恋人になれたら良かったんだけどな」
「無理だったみたいだから」
「残念だな」
「本当に」

でも、隣にいられるのなら俺はそれで満足だと考える。
期待する事は止められないのかもしれないが。

「……あっ、記者女さん、」
「……ん?なぁに?」
「背中。糸屑ついてる。取ってあげるよ」
「あ、うん」

だって、こんなにも彼女の事が好きだと思う。
年甲斐もなく、本気で恋愛をしている。
学生時代にだって、こんなに恋い焦がれた事なんてあったかどうか危うい。

「じっとしててくれ、」

俺は彼女に気付かれないように、彼女の背中に口付けを落とす。
ああ、こんな事に胸が高鳴ってしまう。
こんなにも好きだ。
好きだという言葉で足りるだろうか?
これは愛だ。
愛しているんだ。
俺は。
彼女の事を。
そうだ。
彼女が望んでくれれば、俺は彼女の両親を安心させる為だけの恋人ごっこだってするし、出来る。
彼女さえ願うのなら、両親が紹介する良い男性というのを消してやる事だって出来る。
ああ、彼女が行きたいと雑誌を見せてきたホットケーキだかパンケーキだの店にだって連れて行こう。
彼女が欲しいとねだるのなら、彼女の気に入った人形だって買ってやろう。
うちの人形達は無理だけど。

「電話男さん?」
「……ん?ああ、何だ?」
「何だじゃなくて……。糸屑、取れたの?」
「……ん、取れたよ。ごめんな」

俺は大人しく彼女から身を引く。
このまま彼女に寄り添っていたら、気付かれてしまう。
俺の好意を彼女に気付かせる訳にはいかない。
彼女の理解者として、彼女の性質が変わるまで俺が裏切る訳にはいかないのだ。

「……あの、さぁ、ヴェスナ」
「何?」
「この前君が言ってた、何だっけ、あれ……」
「パンケーキ?」
「そう、それ。そのパンケーキ屋さ、次の休み被ったら……行こうか?」
「私と貴方の休みが被ったらって。ふふっ、それいつになるの?」
「数年振りに有給取るよ」
「数年振り……」
「数年振り」
「それは……、私って貴方の中で結構特別に思われてるのね」

その判断基準はどうかと思うが、ここでそうだよと笑って彼女の性質に裏切る事が出来たのなら、どんなに良かっただろう。
それが出来ないのは、彼女がどうしようもなく大切で、大事で、大好きだと思ったからだった。


偏愛キュリオシティー
(愛情は喪失を伴うのだろうが、)
(好意はただ臆病になるだけだった)


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