FNAF | ナノ

永遠と終わりの違いについて

「London Bridge is falling down, ……Falling down, Falling down, .……London Bridge is falling down,……My fair lady.……」

鼻唄混じりに私はいつも通り新聞記事を書いていた。
実に数年振りのFreddy Fazbears Pizzaに関する新聞記事を書いていた。
しかし残念というべきか単純に喜ぶべきなのか、今回はこれといった事件があった訳ではない。
『Freddy Fazbears Pizzaの新装開店』。
新店舗のお知らせという、たったそれだけだ。
例の事件から数年、客からの信頼回復を目指すFreddy Fazbears Pizzaは「安全性」を謳ったファミリー向けのピザレストランとして売り出している。
今回新たに出来る店というのは、それなりに規模が大きかった。

「Build it up with wood and clay,……Wood and clay, Wood and clay. …… Build it up with wood and clay,……My fair lady.……」

それなりに店へと通っている私は店の存続に喜ぶべきなのかもしれないが、いまいちテンションは乗りきらない。
だからやる気もなく鼻唄なんて奏でているのかもしれない。
理由ならば分かっている。
人形だ。
ここでもやはり人形かと思うだろうが、人形だ。
私にとっては重要なのだ。
私は、ファズベアーファミリーとしているフレディ、ボニー、チカ、フォクシーの4体が好きで好きで堪らないのだ。
初代のキャラクター達が大好きで大好きでどうしようもないのだ。
昔からのファンなのだから、当然と言えば当然か。
だからこそ、今回のFreddy Fazbears Pizzaの“新たな人形”の導入には、いまいち反応が出来ない。

「記者女さん、そんなに暗くなりながら記事を書くなよ。何だかネガティブな事を書かれそうで嫌なんだが」
「安心して、書いているわよ。“児童行方不明事件という悲劇の舞台”、“大金を注ぎ込んで新人形を開発”、“経営が年々苦しくなる中思い切った選択を”……、まだ聞きたい?」
「ありがとう。とりあえず君はうちの店と関わらないでもらいたい、頼む」
「何言っているのよ。私と貴方の仲でしょう?何年の付き合いだと思っているの……今更終わりにしましょうなんて酷い人なのね」
「何でちょっとそう付き合ってる風にするんだ?俺らはそんな関係じゃないだろ?」
「勿論よ。そんな気持ち悪い事言わないわ」
「気持ち悪いって……、あのなぁ……」

電話越しの彼……、電話男さんの苦笑が伝わってくる。
私がFreddy Fazbears Pizzaの記事を担当するようになって数年、彼との付き合いは相変わらず続いている。
気が向けば社内の電話室で仕事から私生活の電話をして、時には家の電話で朝方までとりとめもない会話をして、電話をしなくても時間さえ合えば直接顔を合わせてお酒を飲んだり買い物に行ったり───している事は、まるで恋人だ。
しかし私も彼も、お互いにその気なんてないし、良い友人と云ったところで。
同僚達からは色々言われるが、本当に期待されるような色っぽい事なんてひとつもない。
それは私が一番知っているし、彼だってよく知っている。

「はあ……ボニー、いなくなっちゃうのね……。貴方のお店に行く機会が減りそう……」
「まあまあ……、俺も気持ちは分かるけどさ。子供ウケするような人形をって、上の決めた事だし諦めてくれよ」
「諦めてるわよ。大人だもの。上には逆らえないものね。仕方ないのよね」
「拗ねてるじゃないか、記者女さん」
「だって」
「分かってる。ボニーだろ?あいつは……まあ、本当に原型留めてないくらいには新人形の部品として使われちまったから……今のあいつの姿を君に見せるのは、ちょっとな。破損が酷くなければ、君だし、部品庫に入れたって……いや、でもやっぱり難しいか……?」

気を遣ってくれているのだろうか、何やらぶつぶつ言っている彼に小さく笑みを落としながら私は手元に置いていた写真の何枚かを漁る。
そこにはFreddy Fazbears Pizzaの新人形達や“かつての”人形達が写っている。
私の自然が注がれるのはウサギ型のアニマトロニクス、ボニーだ。
紫色のウサギ……、音楽隊ではベースを担当していて……、私が一番愛しているキャラクターだ。
言ってしまえば、初めてFreddy Fazbears Pizzaを訪れた時に私は彼に一目惚れをしたようなもので、彼のパフォーマンスを見る為にピザ屋の常連をしていたと言っても過言ではない。
好き……、ああ、本当に、好きなのだ、大好きだ。
本当に好きだというものに対して余計な修飾は必要ない。
好きだと言ったら、好きなのだ。
でも、人形を「好き」だと言えば変な顔をして見られてしまう事も、私は大人だから分かっている。
人形を好きだと抱き締めて愛でてそれが正義とされる時代はとっくに過ぎ去ってしまっていて、今はそれよりも人間の男を愛して愛されて、そうする事を私はきっと沢山の人に望まれている。

「……記者女さん?……おーい?ハロー?聞こえてる?……電波が悪いのか?……記者女さーんっ?」
「……えっ、あ、ああ、ごめんなさい……、ボーッとしてたわ……」

人間の男の声に、私の思考は現実へと引き戻される。
けれどこれは、機械を通じた雑音混じりの合成音声だ。
彼の本来の声ではない、似ているだけ。
確かに電話男さんは付き合いが長い事もあって直に聞こえてくる声も大分慣れたものだが、多分初対面の頃の私は大分気張っていただろう……仕事だから関わるのだと、割り切っていただけで。
彼自身が他の人間と違って関わりやすかったのは確かにあるのだけれど、それでも。

「……そんなにショックか?」
「え……」
「いや、ほら、君って本当にボニーの事が好きだったろ?結構ショック受けてるのかなって……俺もさ、昔のキャラクター達の方が好きだから、ショックと言えばショックなんだけど……君はその……何て言うか……気持ち悪いくらいボニーの事、好きそうだったから……」
「気持ち悪いくらい」
「あっ、いや!いや!違うぞ!悪い意味じゃないんだ!表現っていうか……いやいや、そうじゃなくって……ええっと……、こ、恋なんて大抵気持ち悪いもんだろ?君がさっき言ったみたいにさ!なっ?」

完全に気を遣われてしまっている。
しかし不思議と嫌な気分にはならない。
数年の付き合いがそうさせているのだろうか。
それとも、彼の性質を理解しているからだろうか。

「あーっ……ご、めん……」
「ふふっ……、ううん。大丈夫よ。気を遣わせてごめんなさい」

こんな私が彼と仕事だけではなくて私生活まで付き合いが広がったのには、ちゃんと理由がある。
彼は、私の事を否定しない。
彼は、私の性質を受け入れてくれる。
だから私はそれが嬉しくて、仕事ではなくて私生活、私個人として彼個人と接したいと思ってしまった。
甘えたくなったのだ。
彼は私の「人形が好き」という意味を理解して、受け入れて、自分は“そう”ではないのに話に付き合ってくれる。
だから私は、彼ともっと話していたいと思ったのだ。
人形を本気で愛している私を、理解してくれたのだ。
彼はどこまでも正直で、かつ表面的ではなかった。
気を遣わせてしまう事もあるが、大抵は私が人形好きだという前提で事を進めてくれている。
きっと、今も。

「元々叶わない恋が完膚なきまでに叩き潰され失恋しただけよ。大丈夫」
「……一応、上に昔のキャラクターが復活できないかどうかは聞いておくよ。あーでも、君ってどうなんだ?あのボニーがいいのか?それともボニーなら何でも良いの?……って、この質問デリカシーがない?」
「……ううん、私は好きよ。……そうね。私はね、“ボニー”が好きよ」
「それって……、だから、どっちなんだ?」
「ふふっ、考えてみて頂戴」

クスクスという私の笑い声が部屋に反響する。
電話とテーブルと椅子しかない部屋では、音は綺麗に吸収されないせいか。

「はあ……本当に君って女性は……、ああ、でも、そうか……完璧な失恋、か……」
「元から決まっていた失恋、とも言えるけど」
「なんかそれってさ……つらくないか?つらく、なかった?俺には分からないけど、想いが通じる事もなければ想いが返される事もない、絶対に叶わない恋なんて悲恋にしても今時流行らないだろ」
「そう?私は最初から、自分の想いは報われなくて良いものと割り切っているから……、それが“恋”っていうものだしね」
「君にとっての?」
「そう。私にとっての」
「悲しいよ」
「貴方の考えがとても人間的なだけよ」

さも気にしていませんという風に私が返せば電話男さんは何も言わなくなってしまった。
きっと、何かを言おうとしてどれも違う言葉だと思って何も言わなかったのだと思う。
彼はそういうところは気にし過ぎだというくらい考える。
言いたい事は言い合う間柄の癖に、デリケートな事となると一気に他人になる。
そういうところも、妙に彼の人間臭さが窺えて私は嫌いではない。

「Wood and clay will wash away,……Wash away, Wash away, .……Wood and clay will wash away,……My fair lady.……」

私は再び鼻唄を奏で始める。
右手には電話を持ち続け、左手のペンは踊るように紙の上を走る。

「Build it up with bricks and mortar,……Bricks and mortar, bricks and mortar. ……Build it up with bricks and mortar,……My fair lady.……」

すると、電話男さんの声でも同じ歌が聞こえてきた。
私が奏でていた、その続きの歌詞が紡がれていた。

「……これって、マザーグースだっけ?」
「そうよ」
「好きなのかい?」
「それなりに……かしら?貴方、知っているの?」
「まあ……うん。何となく分かった。ロンドン橋なんて子供の遊びでやるしさ」
「へぇ。やった事があるのね」
「学校で無理矢理、な。君は?」
「私友達いなかったから」
「あー……、それはすまん」
「いえいえ」

私はまた、クスクスと笑った。
彼が気まずそうにしているのが何だか面白い……なんて言ってしまうと、性格が悪いように思われてしまうだろうか。
そんな単純なものではないのだが、面白いと思ったのだから仕方ない。
いつもなら、最初にあったように「うちの店に関わらないでくれ」だの「マスコミの君はお断りだ」だの言ってくる彼が、彼自身として私個人に知人として友人として優しくしてくれようとするのが、たまらなく……、……好きだと思う。
勿論、恋だの愛だのではなくて。
人間として、他人として、好意的だという話。

「Bricks and mortar will not stay,……Will not stay, will not stay .……Bricks and mortar will not stay,……My fair lady.……」
「Build it up with iron and steel,……Iron and steel, iron and steel. …… Build it up with iron and steel,……My fair lady.……」

私が奏でた歌詞に重なるように、彼が次の歌詞を奏でていく。
いくら子供の時に遊んだ遊戯の歌とはいえ、ここまで歌詞を覚えているものだろうか。
電話男さんの歌詞は迷いなく紡がれて、完璧に暗記をしているそれだった。
私は単純に、マザーグースが好きだし、本を読むのも好きだからこれらを題材とした話はなんとなく頭に残るのだ。
彼は……失礼な話、読書家でもないだろうし詩や詞を嗜むような人ではないと思う。
彼はFreddy Fazbears Pizzaの人間で、Fazbear Entertainment社の人間なのだ。
良くも悪くも仕事人間で、自身のキャリアを大事にしていて、そんな自分に間違いはないと誇りを持っているような人だ。
後半は大分私の独断と偏見が入り交じっているが。

「貴方、詳しいのね。普通歌詞なんて二番か三番かまでしか覚えてないと思うけど」
「そうか?」
「ええ、無理矢理させられたお遊びで覚えた歌にしては詳しいんじゃない?貴方もマザーグースが好きならそう言ってくれれば良かったのに。詩集貸してあげるわよ。なんならプレゼントしてあげましょうか?」
「いや、いい。俺は仕事以外で文字を読みたくないんだ。仕事でだって御免なのに」
「でも詩は覚えるのね?」
「……やけに突っ掛かるなぁ?」

電話男さんの声がいつもより低くなる。
この声を、私は知っている。
怒っている訳でもなければ、不機嫌な訳でもない。
ただ、彼の根底にある何かに触れた時、彼は決まって低音を響かせる。
私が彼にとって余計な事をしでかした時にはよく聞く……、それこそ、店の不祥事について調べている時はそうだ。

「Build it up with silver and gold,……Silver and gold, Silver and gold. …… Build it up with silver and gold,…… My fair lady.……」

彼が詩を奏でた。
金と銀。
ふと私の脳裏には、かつてあの店にあった2体の人形の事が浮かんだ。
確かあれの1体は、なんとかの家族食堂……云々の時代から居たキャラクターだったような気がするが。
何だろうか。
何か靄が掛かったかのように頭がはっきりとしない。
あの2体がいなくなったのはどうしてだったか。
いつの間にかお馴染みの4体がピザ屋のキャラクターとして在ったのはどうしてだったか。
おぼろげな記憶を、私は言葉を音として紡ぐと同時に編み直していく。

「……人形が居なくなるのは、いつだって寂しいわよね」
「……なぁに?それ、彼らの事を言っているのか?」
「貴方が指している彼らが何れの事だかは分からないけれど、ええ、きっと、彼らね。……安全性の問題で使用中止の流れ、だったかしら?」
「ん?……ああ、うん、まあ、そんな感じだな……」

電話男さんの低い声は、電話越しでは雑音混じりになってやけに不気味だ。
彼のこの声を怖い、とは感じた事はないが。
ぞくりと心臓が跳ね上がるような嫌な感じにはなる。

「彼らの名前。確か……フレッドベアーと、スプリングボニー」
「よく覚えてるな?」
「言ったでしょう。私は貴方のお店が大好きなのよ。事件が起こるずっと前から、貴方のお店の、人形達が大好きだった。……まあ、昔の事だから、ちょっと記憶はアテにならないわ。好きだったなっていう感覚で、今私は思い出しながら語っている」
「店の人間としてこれ以上ない言葉だな。嬉しいよ。だけど……彼らはもう居ないんだ。人間で言う寿命を迎えたみたいなもんでさ」
「嘘つきな人」
「嘘だって?」
「人形はいつだって、人間に殺されるのよ」
「……ああ、なるほどな」

クスリと彼が笑う。
声音は相変わらず低いまま。
彼が今どんな表情をしているのかは分からないが、冷たい表情を浮かべていたのだとしたら私は心臓に穴が開いて、ひゅっと一瞬で呼吸が止まってしまうような感覚に陥るだろう。
しかし、ここで引き下がるほど私は臆病でもなかった。
私は新聞記者だった。
彼の声音が低い時ほど、きっと彼の内側には知られたくない真実があるのだろうと私は期待している。
彼は、私が考えているよりもずっと単純で分かりやすい人だ。

「……両立型アニマトロニクス、だったかしら?何となく知っているわ。覚えてる。確か、アニマトロニクスと着ぐるみの二つの機能を兼ね備えた特別製のスーツだったわね?フレッドベアーやスプリングボニー専門のアクターがいたような気がする」
「今はもう廃止された着ぐるみだ。姉妹店で発生した不慮の事故、同時多発したスプリングロックの不具合を考慮した結果、従業員に着せるにはあまりにも不適切だと、会社が判断した。安全はうちの店じゃ何より重要な事だからな……当たり前だろ?」
「不具合、でいいのね?」
「ああ、不具合だ。或いは不測の事態」
「不測?危険性は元々考慮されていなかった、と?」
「……されてなかったのかもな。俺はアニマトロニクスの技術者じゃないし、分からないな。……君が気になるのなら調べてみたら良い。まだその仕事に就いているかは分からないし、随分と昔の話だ。どこにいるのかも分かったもんじゃないけどさ」
「……ありがとう。私は私で勝手に調べさせてもらうわ」

彼のこの声は何度か聞いた事があるものの、この声の時彼が一体どんな表情を浮かべているのかまでは曖昧だった。
冷めた顔……、私に失望したかのような表情を浮かべていなければそれで十分、と思ってしまうのは何故だろうか。

「なぁ記者女さん、マザーグースのロンドン橋ってさ、」

私が彼の行動に身を構えていると、彼は神経質に笑った。
私の気持ちは他所に、声はいつも通りに戻っていた。
拍子抜け、ではないがこのまま言葉の攻防が始まるのだろうかと覚悟していた私にはこの展開はあっさりと終わりすぎて、むしろ戸惑ってしまう。
しかし、“話は終わっていないはず”だ。
誤魔化そう、はぐらかそうとされているのならともかく、ここで唐突に話を変える彼には、何かしらの意図があるのだと思う。
どうだろう。
分からない。
彼は話術に長けている人だから。

「橋を建築する為の人柱を用意したっていう詩なんだって、知ってるか?」
「……洪水に流されたり、大火に焼かれたりと何度もこの橋は落ちるし、どんな素材を使っても結局はどうにもならない橋……、最終的には“寝ずの番人”を立てようっていう話でしょう?」
「金と銀では盗まれる、だからなぁ」
「この“寝ずの番人”が“お嬢さん”だったのかしら」
「さぁな」
「寝ずの見張りなんて、貴方の所の夜間警備みたいね」

彼の言葉が止まり、電話の雑音だけが耳元に響く。
彼は何を思ったのだろうか。
彼の口から何も語られない限りは会話のしようもない。
何を聞いたところで答えてくれない、というのは雰囲気で分かる。
そこでいよいよ、“話は終わらせられた”のだと思う。
結局、はぐらかされてしまった。

「Set a man to watch all night.…… Watch all night. watch all night.…… Set a man to watch all night…… My fair lady.……」

私は諦めつつまた鼻唄を奏でながら、詩の続きを語りながら、新聞記事を綴っていく。
新店舗の開店の事は既に書き終わってしまったから、どうしようか。
Freddy Fazbears Pizzaの歴史を綴った文章を付け足していくのが妥当かもしれない。
そうする事で、旧人形とされてしまったあの4体への想いを綴るとしよう。

「Give him a pipe to smoke all night.…… Smoke all night, smoke all night.…… Give him a pipe to smoke all night.…… My fair lady.……」

記事の上ではああだこうだと書いているが、『児童行方不明事件』は既に過去のものとなり、年々経営は低迷しているもののFreddy Fazbears Pizzaは試行錯誤して店の在り方を変えている。
私は結局以前の、事件が起こる前からのFreddy Fazbears Pizzaが好きで、Freddy Fazbears Pizzaのキャラクターが大好きだったのだと思い知らされる。
先程彼には冗談でああ言ったものの、私が私生活で新店舗に赴く事はきっと少なくなるだろうと思った。

「はぁ……」

しかし割りと、ショックは大きいらしい。
らしくもなく大きなため息が出てしまった。
それは当然電話の向こうにいる彼に伝わってしまった。

「……なぁ、ヴェスナ。君はとっても素敵な歌声だよ。君はとっても綺麗だよ」
「……急にどうしたの?」

こんなに、彼とのやりとりが電話越しに行われている事に後悔したのは初めてだ。
彼は今どんな表情をしているのだろう。
きっと、厄介で大嫌いなマスコミでありつつ、それなりの付き合いを持ってしまった彼に対して複雑な感情を抱きながら元気付けようとしてくれているに違いない。

「俺の可愛いお嬢さん。……なんて、柄じゃないか?」
「そうね。失恋して傷心中の女性を口説くにしては少しくど過ぎるかもね」
「口説いてるならそれでも良い気がするけどな」
「口説いてるの?」
「いいや、元気付けようとしてるんだ」

ほら、と私は自然と笑顔になった。
ここが隔離された電話室で良かった。

「ありがとう、電話男さん」
「どういたしまして、記者女さん」

でなければ、私がとてもだらしない表情をしているのが沢山の人にバレてしまうだろうから。
今私が浮かべている表情は、誰にも見せたくないし自分でも見たくない。
もしも見せるのならば、それは受話器の向こうの唯一人が良かった。
利害関係に当たる人間に、そんな事を思う時点でおかしい。
殺伐とした空気も、日常的な緩い空気も、私は彼との繋がりだからと大事にしていたかったと思う。
彼が何かしらを隠しているのだと知りながら、それを暴けずいたのは何故だろうか。
私はすっかり彼に絆されているのではないだろうか。
でなければ、私はもっとそちら側の闇へと身を委ねたのだと思う。


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