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世界に捧げるブルーキッス

私の恋人の部屋は、お世辞にも綺麗とは言えない光景が広がっている。
積み上げられた洗浄前の食器、取り込まれたままにされた床の上の衣服、仕事で使っているらしき資料の山々、テーブルの上には空っぽになったお酒の缶と数日分の新聞が無造作に散らばる。
別に私は潔癖性という訳ではないし、彼も彼で片付けが出来ない人という訳ではない。
ただ、優先順位が低いと言ってしまえば良いのだろうか。
私も、彼も、最優先にしているものは“仕事”だった。
お互いに恋人よりも仕事、日常生活よりも仕事、むしろ日常が仕事───そんな人間だった。
仕事熱心なのは良い事だが、人間としては少し異常なくらいだ。
それでも私達はお互いがそうだったからこそ、仲違いもせず上手く付き合っていられるのだ。
お互いに仕事へと目を向けている時間が長いからこそ、……ふと視界を広げた時に見える部屋の有り様は酷いものだなと苦笑する。

「ねぇ、そろそろ部屋、片付けない?次の休みあたりにでも」
「ん?あー、まあ、散らかってるな」
「ええ、散らかっているわよ」
「まあ生活に不便はないから大丈夫じゃない?」

衛生的にはどうだろうと、私は恋人の言葉に頭を抱えそうになった。
仮にも飲食店の社員だと言うのなら、私生活もできるだけ清潔であるべきなのでは───と私は考えるが、彼は“仕事”となれば全てを完璧にこなせてしまう人間なのだ。
仕事ではミスなく、失態なく、何事もそつなく完璧、……きっと、その反動として私生活が駄目になっている。
せっかくの休日も仕事に備えた休憩くらいにか思っていないのかもしれない。
彼が中身を飲み干し、空になったペットボトルをソファーの下に置いたところを視界の端に捉えて私はいよいよ本格的に頭を抱えた。
どうしてそこで床に置いてしまうのか、部屋に備え付けられたゴミ箱の存在価値が失われてしまうではないか。
ちょっと立ってゴミ箱に入れれば入れれば良いだろうに、どうしてそれが出来ないのか理解不能だ。
床やテーブルの上はゴミやら何やらで散らかっているのに、ゴミ箱の中はすっきりとしてしまっているのがむしろ面白く感じる。
この部屋ですっきりと片付いているのはゴミ箱の中、二人掛けのソファー、それから寝室のベッドくらいなものじゃないだろうか。
ソファーもベッドも休息を取る為に必要なものだから、綺麗なまま保たれているのかもしれない。

「……それでも、少し物が溜まりすぎてると思うの」
「そりゃあそうだ。君と一緒に暮らし始めてから君の荷物が増えたんだから。物は多くなる」
「そうじゃなくって」

分かってて言っているのではないかと疑ってしまうような言葉が返ってきて、私はため息をひとつ部屋に落とした。
結局どちらなのか分からないところが彼の良くない所だ。
同時に、嫌いになれない所でもある。
飄々とした態度で言葉の何もかもが冗談っぽく、真実を明らかにしない『電話の男』。
電話男さんはまたも神経質に笑いながら、ソファーの半分を分け合った私へとその瞳を向ける。

「せっかくの休みなのに、休まないなんてどうかしてると思わないか?記者女さん」
「私は仕事がある日には出来ない事を一気にやってしまいたい人間なの、電話男さん」
「価値観の違いだな」
「あら、価値観の違いで別れる?」
「冗談だろ!」

電話男さんがおかしそうに笑い出す。
そして、笑みを張り付けたままの顔で、彼は私に覆い被さってきた。
私の視界には、目の前には電話男さんと天井が広がっている。

「君以上に仕事に理解のある女を探すのは骨が折れるよ」
「あら。世界は広いのよ?探せば案外私以上の女性が見つかるかもしれないわ」
「いいや。見つからないだろうな」
「即答」
「ああ。だって、こんな部屋でこうして耐えられるなんて君くらいだと思うぞ」

こんな部屋───どうやら自覚はあるらしい。
“生活できるから”という謎の理論で部屋を片す素振りはちっとも見えないが。

「……でも、やっぱりここまで散らかるとさすがに我慢の限界?」
「……まだ、平気、かしら?……障気が出てる訳じゃないし」
「ははっ、だろ?……ソファーとベッドだけは汚れてないから、ここで生活する分には何も文句ないだろ?」
「生活っていうのかしら?ただ座っていたり、寝ていたりするだけなのに」
「十分。生活だ。だって君がいるんだから」

電話男さんの顔が私の首筋に沈む。
左側の首筋に、なんてことはない、彼の呼吸が当たり、思わず体が震えた。

「ごめん、くすぐったかった?」
「……少し?」
「ごめんな」
「こうして側でくっついているのは嫌いじゃないけど……、くすぐったいのは恥ずかしいから嫌」
「恥ずかしい事は嫌?」
「ええ」
「難しいなぁ、君は」

私の首元からクスクスと笑い声が聞こえた。
だから首元で喋られたって変わらず、呼吸が当たるというのに。
わざとやっているのとは、少し違う。
「これくらいなら大丈夫」だと彼は私の性質を理解しているのだ。
きっと、私が本気で嫌がる事はしない。
だからこうして押し倒されていたって、これ以上へは進まない。
私が本気で拒むと分かっているから。
だから、もっと、私が本気でこの部屋の有り様を嫌えば彼はこの部屋を片付けるかもしれない。

「……ねぇ、電話男さん」
「うん。何?」
「次のお休みに部屋、掃除しない?」
「まだ大丈夫だろ。部屋の片付けより、君とこうしてくっついてる方がいい」
「そうやって後回しにして」
「嫌?」

ここで嫌と答えれば、きっと彼は今すぐにでも起き上がるのだろう。
しかし、私は黙って何も答えられなかった。
迷っていたにしろ、戸惑っていたにしろ、無言で少しの時間が流れてしまった。
こうなってしまえば、今更どう伝えたところで何て信憑性のないものか。
本気で嫌なら、迷う暇も間もなく、嫌だと答えるのが正解だったのだ。
何も言えなかった私に、電話男さんは嬉しそうに微笑んだ。
悔しくて、私は顔をそらしてしまう。

「もう……、私に構うより部屋の掃除をしてよ」
「君はこのままで問題ないみたいだから。なら、俺が優先するのは君だよ」

近付いてくる彼の顔に、せめてもの抵抗として私は自分の顔を横へ横へ背ける。
こんな事をしても、彼にまた追い詰められるのだろうが、せめてもの時間稼ぎとして私は口を開く。
その場しのぎの無意味な言葉を吐くだけなら得意だ。

「私がこの部屋に埋もれて隠されたらどうするの?」
「そうしたら俺が君を引っ張り上げてあげるよ」

手のひらを合わせられる。
指を絡めとられる。
お互いの左の薬指に、きらりと光る指輪が私の目に飛び込んだ。

「俺が隠された君を見つけてあげる」

私の鎖骨に彼の唇が沈む。
皮膚が薄く骨の形が分かる場所に舌が当てられる。
声が出そうなのを我慢しようとして、手で押さえ込もうとしたが、肝心の両手は彼に掴まれている事を思い出す。
あられもない声を出して、顔はおろか全身にまで熱が回った。
自分で出した声のくせに、自分の声ではないような気がして、変な気分になる。
私は視界を僅かに落としながら、電話男さんの姿を捉える。
紫掛かった彼の瞳と視線が絡んだ。
彼は優しく瞳を細めていた。

「……貴方は、隠しておく人のクセに」

私の言葉を彼はどう捉えたのだろうか。
彼の大きな手のひらでそっと両目を覆われたせいで私にはもう視覚的な情報は入ってこない。
最後に見た彼の口元に笑っていた事だけは、辛うじて見えた。

「変な事言うなぁ、ヴェスナは」

声はとても優しい。
優しすぎて、不気味なくらいだ。

「怖い事なんて何もない。何もない。隠すだなんて物騒な事はない───最高に幸せな事しか、俺はしないよ」

視界は暗いまま、私は彼から口付けを落とされる。
とても深いと感じた。
とても苦しいと思った。
それでも、嫌ではなかった。

「愛してあげる、俺のヴェスナ」

埋もれてしまうのなら、それはそれでいいと思った。
部屋の一部として埋もれてしまうのなら、それはきっと私だけではない。
そこにはきっと、彼も一緒なのだろう。


世界に捧げるブルーキッス
(息苦しさは、散らかった部屋の圧迫感でしょうか)
(それとも彼に愛されている事自体の息苦しさでしょうか)


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