すばらしきこのせかい | ナノ

ネバーランド行き水中列車



言葉というのは伝染していきます。
じわじわじわじわと。
言葉というのは感染していきます。
じわじわじわじわと。

「ちょっと日読野さん!助けてくださいよ!」
「……え。自分ですか?」
「日読野さん以外に日読野さんいないでしょう!」

そりゃそうですねと自分は納得してしまいました。
しかし、自分が思わず疑問符を投げ掛けてしまったのは別に自分の名前に違和感を持ったからではありません。
自分の名前が、顔見知りにも満たないような方から呼ばれることに違和感を持った為です。
自分に声をかけてきた死神はその風貌からして補助部隊だろうなというのは分かるのですが、自分はこの方の名前も知りませんし、何だったら顔だって見たこと……あるのかもしれませんが、ないかもしれない、くらいの認識でしか分かりません。
はっきりと顔見知りだと言えない時点で、自分の交友関係もお察しです、まともに築かれている交友関係が自分にあるはずがありませんけれども。

「ええと……自分に何か用ですか?」
「そうなんですよ!日読野さんにしか頼めなくって……」

自分にか頼めないこと、とは。
果たしてなんでしょうか。
想像もつきませんでしたが、相手の次の言葉で自分は「ああ」と納得してしまうのでした。

「南師さんのオブジェなんですけど……」

これは納得以外に何をしろというのでしょうか。
狩谷さんだって言っていたではありませんか。
南師猩の巨大オブジェを撤去してる古参死神の噂……でしたか。
補助部隊だけではなくて戦闘部隊にまで届いているというのですから、それはもはや噂の域を越えて真実としてこちらの部隊に出回っていたとしても不思議ではありません。
この数日で自分はすっかり南師さんのオブジェの撤去者として周囲にも認められてしまったということなのでしょうか。

「実は、南師さんのオブジェを見つけたんですけど、その中の俺の私物があってですね……」
「……私物?ですか?」
「はい、ちょっとしたアクセサリーなんですけどね、ブランド物でこの前買った大事な物なんですけど……落としてしまったんですよね、たぶんそれを南師さんが持ってっちゃったんじゃないですかね……」
「半分くらいは自業自得な気もしますけれども」
「耳が痛いです」

死神の彼は苦笑しながら、それでも不安げに自分の反応をうかがっていました。
自分が考えていることといえば、そんな彼の不安とはまるで別のところにあります。
南師さんと南師さんのオブジェについてでした。
てっきりあれは誰にも理解できない、まるでゴミのようなガラクタばかりを集めて作られているのだと自分は思っていましたが、ブランド物のアクセサリーを取り入れるようなこともあるのかと疑問に感じました。
しかし、落とし物であった時点できっと彼にはガラクタの一部たちと何ら価値の大差はないでしょうし、むしろ彼にとっての物の価値とは自分のオブジェに組み込めるか組み込めないかという単純なものなのでしょう。

「それで、あの、ご迷惑でなければそれを取ってもらいたいんですよ」
「はい、いいですよ」
「本当ですか?ありがとうございます!」
「どこにあったんですか、そのオブジェ」

嬉々とした様子で彼はオブジェの元まで自分を案内してくれました。
彼によって導かれ辿り着いた宮下公園には、南師さんのオブジェがさも当たり前のように存在していました。

「またこれはどデカいものを」
「あそこです、あそこです!」
「あのバングルですか?」
「はい!」
「センターじゃないですか、よかったですね」
「良くはないですよ……」

彼の指差した先には、確かにオブジェの一部として、シルバーアクセサリーが光を放っていました。
何の飾りもないシンプルなバングルが、オブジェの高い位置、さらに言えば中心部に鎮座しています。
不思議とそれがオブジェとして使用されていることに、違和感はありませんでした。

「日読野さん、どうですか。取れそうですか」
「まあ、取れるっちゃ取れるんですけれど……少し厄介な場所にあるので、撤去も終盤にならないと取れないかもしれません」
「終盤に……!?でも、結構小さいんですよ、あれ、なんとかしてささっと取れないものですかね……?」
「無理ですよ」

自分の言葉は果たして慈悲のない残酷な言葉でしょうか。
しかし、これは紛れもない事実です。
忘れてはいけません、南師さんの作品は全て計算の上で成り立って築き上げられているのだと。
そうなりますと、やはり適当なタイミングで適当な場所から必要となる一部分だけをまるでジェンガのように引き抜くというのは危険でしかありません。
南師さんの作品を台無しに崩してしまう恐れがあります。

「でもまあ、壊していけば必ず取れますから。そう悲観的にならなくても」
「そ、そうですよね」
「じゃあ、ちょっとお時間頂きますね」

撤去していけば、否が応でも必ず彼の大事な物にも触れることができるでしょう。
さて、今回の撤去はどれほどの時間がかかるでしょう。
自分は紐を通して首から下げていた指輪をとりました、そしてそれを左手の人差し指にはめました。
プレーンリングの冷たさが指を撫でていく感触を確かに得ながら、自分はうっすらと笑います。

「やはり、あなたの完成された芸術は全て貫かれて美しい。完璧に計算され、あなたという美学によって基づいて。ええ、これは確かに完璧です。ですが、所詮創造物です。作られたものというのは必ず壊れるものなのです。この芸術がぶっ壊れていく様も、また美しいですよ」

自分はその事を自覚していませんでしたが、どうも自分はこの瞬間を恍惚的に感じていたようでした。
自分は南師さんの作品に惚れ込んでいます、彼の一貫性には惚れ惚れとしています。
それでいて、同じようなものはまるでないのですから、またずぶずぶと憧憬を見つめるのです。

「では、ぶっ壊します」

自分の指から、否、指輪の元から薄く淡い水色の細い糸が垂れました。
その糸は南師さんのオブジェにまで伝わります。

「……日読野さん、それは」
「……?ああ、この糸ですか?これが自分の能力と言いますか、何と言いますか」

これは、自分がこちら側に来てから得たものでした。
恐らく自分が長けていた能力なのでしょう。
言葉を糸として具現化するものでした。
言葉を紡ぐことによって紡がれる糸は自分の意思のままに、決して切れることなく、自分の言葉が続く限りその効力を発揮してします。
別にこの媒体は指輪でなくともいいのですが、しっくり来るもの、という点ではこれ以外にありえませんでした。
つい最近まではご無沙汰していたのですが、南師さんのオブジェを壊す際に、これが重宝するのだと本当に思います。
自分は自分の能力に感謝していました、自分がこういった能力で運が良かったと思います。
こういった類の能力でなければ、南師さんのオブジェを撤去するのも一苦労だったかもしれませんから。
いいえ、むしろ、最初自分に撤去を命じた虚西さんは、元々自分の能力を分かった上で、撤去を命じたのではないでしょうか。
何せ、物を動かしたり何かを拘束したりには使えるものの、戦うという点においてはまるで役に立たない能力なものですから。
戦いに関しては、そうですね、昔は本当に迷惑をかけていたと思います……だなんて、過去のことはどうでもいいのです。
自分は少しずつ、少しずつ、ゆっくりと時間をかけて南師さんのオブジェを壊していきます。
南師さんのオブジェは確実に壊れていきます。
青空を見上げるまでに巨大な彼のオブジェが確実に小さくなっていく過程は見ていて妙に楽しいものでした。
彼の数式を解いている、という感覚に陥っているからでしょうか。
ある程度まで壊した時、上の方からカランという金属音がしました。

「あ。これですよね」

そうでした。
壊すことに夢中になっていましたが、今回の目的は撤去ではなくて彼のアクセサリーの奪還でした。
カンッと音を立てて上から落ちてくるシルバーバングルをしっかりと受け止めて、それを死神の彼へと渡しました。
彼は嬉しそうに表情を綻ばせ、自分の手をとって、喜んでいました。

「あ、ありがとうございます!日読野さん!」
「い、いや。いいですよ、これくらい。そもそも自分はオブジェを撤去しなきゃいけないんですし……、それより、あの、手」

彼はよほど嬉しかったのか、自分の言葉を聞いてはいませんでした。
自分の両手を己の両手で包んで握りしめ、そこで喜びと感謝を伝えてきます。
どうしたものかと自分が苦笑していると、彼の背後に見覚えのある人影が見えました。

「おい、何してやがる」

どこか殺気立ったその声に、目の前の彼が凍りつくのが分かりました。
ぎこちない動きで背後を向いた彼には何が見えたのでしょうか。
自分は彼越しにしかその姿をうかがえなかったので、よく見えません。
ですが、それが誰かくらいは分かります。
そして、目の前の彼が恐怖していることも。

「い、いえ、すみません、何でもないんです!……じ、じゃあ、日読野さん、ありがとうございました!」
「あ、はい」

彼は慌てて自分の手を離して、この場を逃げるように去っていきました。
彼の姿が見えなくなるまで見送る、なんてことはせずに自分は自分の元までやってきたその人物に話しかけました。

「やっぱり。南師さん」
「何してんだ、撤去」
「ご覧の通り、ぶっ壊してた最中です」
「そうじゃねぇよ、あいつ。何だ?お前は他人とつるむなんてことしねぇだろ」
「ああ、そうですね……、まあ話しても長くはないですけど、聞きますか?」
「別にいい」
「じゃあ、話しません」

すると南師さんは自分のうしろへと視線を向けました。
自分の後ろにはまだ壊しかけのオブジェが残っています。
ああこれは、何か言われるだろうか、また消されかけるのだろうか、と自分は不安になりましたが意外にもそんなことはありませんでした。
南師さんは口を開きましたが、自分が想像していたものとは違いました。
先程の殺気はどこへやら。
不気味になるくらい静かな口調でした。

「なぁ撤去女、この問題はどうだった?」
「え?そうですね……少し時間はかけたんですけど、一旦解けてしまえば、確実に壊せる……かと」
「そうか」
「はい」
「まあ、当然だな。これはそこまで複雑な式じゃねぇ。素材があまりいいもんじゃなかったな、次への参考にしとくか」

素材とは、ガラクタたちのことでしょうか。
あまりいいものではなかった……それは、何と言いますか。
大事な物を奪われてオブジェにされてしまった彼からしてみると何とも酷い言われようでしょう。

「素材を集めるのも一苦労、ですか?」
「当然だろう、俺の芸術に妥協なんて許せるか。……ま、どんな素材であっても、俺が完璧に変えてやるがな」
「そしてそれを自分が壊していくと」

おどけたように言って見せたら、南師さんに睨まれました。
何かされる、と咄嗟に思った自分は両手を挙げて無抵抗を示します。

「……撤去女」
「はい、何ですか。やめてくださいね、潰さないでくださいね、このオブジェももう解けているんですからそれは潔く認めてくださいね」
「何言ってやがる。……それは何だ」
「それですか?」
「これだ」

南師さんは挙げられていた自分の手を掴んできました。
掴まれたのは左手で、右手の方は無意識に下げてしまいました。
勿論目的のものは自分の手ではなくて、自分の指にはめられているものでした。
自分の指にはめられている銀色の指輪は、きらきらと光っています。

「指輪、ですか?」
「ほう……質素で地味な女だと思ったが、そんなもん着ける趣味もあったのか」
「……そうですね。確かに自分はアクセサリーとかに興味はないですけど、これは特別ですね」

軽く失礼なことを言われたのではないだろうかとは思いましたが、気にしないことにしました。

「昔から持っているものですよ、それこそ、昔から」

興味ありませんよね?という意味の視線を南師さんに送れば、やはりそうでした。
南師さんは実に興味がなさそうな顔をしていました。
自分の昔などにはきっと興味ないのでしょう。
彼の視線はじっと指輪に向けられています。
どこか物欲しそうなその視線に、自分はさーっと嫌な予感すらしました。

「まあ……あれだな。お前の指輪、なかなかいい趣味をしてるじゃねぇか。俺様のオブジェに加えてやってもいい」
「それは断固拒否します。全力で抵抗しますから。そんなことしたら南師さんのオブジェ壊すだけじゃ飽き足らなくなるんですからね」

自分は南師さんに指輪を奪われないよう、指輪のはめられている左手の人差し指を右手で覆い隠しました。

「……チッ。そこまで警戒することはねぇだろ。ただの冗談だ」
「南師さんも冗談なんて言うんですか」

似合いませんね、と笑いながらも自分は警戒を解きませんでした。
どうにも冗談には思えなかったので、油断した隙に指輪を奪われては嫌だと思いました。
南師さんはそんな自分の様子に拗ねたような口調で言いました。

「俺様の芸術に使われるということを光栄に思えねぇのか、お前は」
「ありがとうございます、でも心苦しくも辞退させていただきますね」

また不機嫌そうに、不貞腐れたようにそっぽを向いた南師さんの横顔を見つめながら、ふと自分は考えます。
自分の指輪が南師さんのオブジェに、組み込まれているという部分を想像して、くすりと笑ってしまいました。
彼はきっと、この指輪を大事に使ってくれるだろうと思いました。
それは自惚れとかではなく、彼にとってオブジェを形作るそれらは重要な数となるのであって、雑に扱うはずがないという思いからでした。

「……でも、そうですね。あなたの美学に自分のものが組み込まれるのも悪くないかもしれませんね」
「ようやく俺の美学を理解したか?」
「いいえ、ただ、自分の大事なこの指輪をどんな風に使われるんだろうなって思っただけですよ」

すると彼は得意気に笑いました。
その自信に満ち溢れた笑みはもっと見ていたいと思う、不思議な魅力がありました。

「心配するな。悪いようにはしない」
「何も安心できないのに安心できるから嫌ですよね……」

自分は指輪に視線を落とします。
冷たい感触を未だ持っているそれは、錆も傷もなく、綺麗なまま変わらず自分の元にいます、……それこそ何年も。

「でも、もしも自分がこれを手放すような状況があれば、その時は……いいかもしれませんね」

南師さんが僅かに表情を輝かせましたが、勿論保険はかけておくことにします。
自分にとってこの指輪は大切なものですので、手放す予定というのは一向にありません。

「その後でちゃんとオブジェぶっ壊して指輪を回収すればいい話ですからね!」
「なるほどな。どうやらお前は潰されてぇらしい」
「あっ!あっ、ちょっと南師さん!やめてくださいって、頭掴まないでくださいってば……!!あっ、痛い!!」

南師さんに頭を掴まれて、自分はそれに出来るだけの抵抗をします。
ですが、暴れてみたところで南師さんの大きな手から逃れられるはずがありませんでした。
そもそも体格から自分は不利です。

「痛いです、南師さん!」

離される気配もなくて、自分はこのままでは本気で潰されるのでは、と思いました。
周りから見れば果たしてこの光景はじゃれ合っているように思えるのでしょうか。
それとも自分の生命活動の危機に誰か気付いてくれて助けてくれるのでしょうか。
……、いや、それはないなと直感的に思いました。

「おい、」
「はいっ、はい、何でしょうか」
「……」

南師さんが自分の頭の上から鼻で笑うのが分かりました。
何だろうと思った瞬間に、南師さんの手が離れ、自分は解放されました。
また掴まれてはたまったものではないと自分は彼からほんの少し距離を置きましたが、そこで見た彼の表情に思わず動きが止まりました。

「……南師さん?」

彼は笑っています。
笑っているだけならば珍しくもありませんが、今までに見たことのないような笑顔だったのです。
ありきたりな言葉で表現してみるとしたら、何でしょうか?
歓喜?慈しみ?
どうにも違う気がしましたが、それに近いものでした。
あえて言葉で表現しようとするから、いけないのでしょうか。
言葉にできない、とでも言うのでしょうか。

ただひとつ。
彼は楽しんでいるのだと分かりました。

「俺はそろそろ行くぜ。自主制作の時間だからな」
「え……?あ、はい……」

身を翻した南師さんは、くるりと首だけでこちらを振り返りました。
煌々と輝く彼の瞳が、とても綺麗だと思いました。

「……次は最高傑作だ!今まで通りにいくと思うな、日読野御言!」

彼はそうして、去っていきました。
残された自分は目を見開き、ただ驚いていました。
驚かずして、どうしろというのでしょう。

「……名前覚えてたんだ」

それは純粋な驚きでした。
それは何とも言えない気持ちでした。
そうです、自分はこれを言葉にできませんでした。
徐に胸に手を当てて、心臓が平常なのを確認して、自分は何故か安心していました。
規則正しい心臓の音に、自分は小さく息を吐き出します。

「……名前を」

何と言えばいいのでしょう。
言葉が出ませんでした。

彼の言葉はまるで呪いでした。

彼が自分の名前を呼ぶというのは呪いのようでした。

その呪いにかけられた自分はどうやら言葉に詰まってしまうようで、これは厄介な呪いだなぁと呑気に考えていました。


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