聖なる泉の中から、わたしは生を受けました。
生まれてすぐに与えられた名前はテュケー。
『ノルン・テュケー』。
最後の運命神でした。
幸運や、財産や、繁栄。それらの運命を司りました。
逆に言えば、反する不幸も、司っていました。
わたしは、気まぐれな運命の女神として、生まれたのです。
わたしが生まれた時には、わたし以外の運命神はいませんでした。
地上に堕ちたからです。
彼女たちは、自分達の幸せを廻しすぎたのです。
自分達以外の幸せをまったく廻さなかったのです。
……でも、それの何が問題でしょう。
世界は運命を廻さなくたって、世界は勝手に廻るのです。
地上に堕ちた母が、そう言い残していきました。
いてもいなくても、変わらないのです。
なのに、わたしは生かされた。運命を潤滑に廻すために。
目を奪われて、えぐられて、盲目となって。
世界の何もかもに無関心であるように。
自分の幸せは知らぬようにと。
ただ運命の輪を廻せば良いのだと―――。
「バーカ」
「……まだ全部話終わってないんだけどなっ」
「バカだな、クソガキ」
「もー、なんなの!ゲイボルグがわたしのこと知りたいって言うから話したのに、バカバカって!」
「バカ」
「また言った!」
……事の始まりは、ちょっと前。
急にゲイボルグは「過去が知りたい」と言ってきた。誰のって……わたしの。
何で知りたいんだろうと疑問に思ったりもしたが、別に話しても構わないから話した。
話したら、こんな風にバカ連呼。
「自分の幸せ知らねークセに、どうやって他人の幸せ廻すんだよ」
「……えっ??」
「んだよ、変な事言ってねェだろ」
「ゲイボルグが、そんな事言うのが意外だったの。そんな事言えるんだね」
「……おかしーだろ?オレも病気だと思う」
「病気……えっ、ゲイボルグ病気なの!?おじさんに言ってくる!!」
「言ってくんな!しかも例えだ例え!」
「……例え?」
「だいぶテメーに毒されてる」
「毒?」
「それも例え。本気にすんな」
「……うん」
ゲイボルグは生まれたばかりなのに、知識が豊富だ。
造り手であるおじさんの影響もあるんだろう。
わたしよりずっと若いのに、年上に感じる。
口調は悪いし、わたしの事「ガキ」って言うし、そんなゲイボルグこそ子供っぽいはずなのに。
わたしの方が子守りをされている気分になる。
「で」
「……で?」
「続き」
「……ゲイボルグ、バカバカ言うからヤダ」
「言わねェ言わねェ。だから続き」
「……」
むー、と一応悩むフリをして、わたしは続きを話した。
「運命を廻す事だけを役目とされたわたしは、行くアテもなくフラフラとしていました。その姿はまるで迷子のようでした」
「……その昔話調な喋り方、どうにかならねェか?」
「イヤ?」
「無理」
……嫌ではなく、無理ときた。
「あのね、元老院の人達に目とられて、放り出されちゃったの、わたし。今みたいに仮の目もなくって、包帯ぐるぐる巻いてね、運命を廻しながら歩いてたら、火山に辿り着いて、暑さで倒れちゃって……」
「……バルカンに拾われたのか」
「うん、そう!おじさんに拾われなかったら死んでたよね、わたし」
よく覚えている。
倒れて、目が覚めたら、光が見えたんだ。
姿は見えないけど、光の強弱が判別できるようになっていた。
まっ暗闇の世界ではなくなった。
おじさんが、わたしに目をくれた。
「そして今、ここにいる訳です」
「そうかい」
「ねぇねぇ、わたしもゲイボルグに聞いていい?」
「言っとくがオレに過去なんてねーぞ」
「知ってるよ。そうじゃなくて、わたしの過去を知りたいと思った理由を教えて?」
「……」
急にだんまり。
ゲイボルグは都合が悪くなるとすぐだんまりを決め込む。
「ねぇ、わたし話したよ?教えてよ??」
「気になったんだよ」
「何故?それが何故?」
「気になるに理由もなにもねェよ!毎日毎日顔見てるガキに疑問とかは抱くだろ、普通」
「そういうもん?」
「そういうモン」
にしたって、別に知ってても意味がないと思うんだけどな。わたしの過去なんて。
だって、ゲイボルグって武器なんだよ。
戦う為の道具が、わたしにそういう好奇心だとかを抱くのって、なんだか変だと思うんだけど。
「……やっぱり、ゲイボルグは病気なの?」
「武器としては立派な病気」
「武器として……致命的だね。戦場行ったら治る?」
「絶対治る」
「なら、今は病気のままでも平気?」
「あぁ」
それで、納得はした。納得をしてみたというだけ。
実際はまだちょっとモヤモヤしているのだから、意味のない納得。
「ゲイボルグの嫁ぎ先、早く見つかるといいねぇ。そしたら、戦場で戦えるよ」
「その言い方、やめねェか」
「嫁ぐ?なんで?」
「とにかくやめろ」
「……はーい」
声の圧だけで殺せそうなピリッとした雰囲気を感じて、軽い返事をする。
青白い光。
綺麗な色をしているのに、触れたら、きっと切れる。
だって、彼は殺す者だから。
誰かを殺す為に生まれて、その為だけに生きる。
……運命を廻す為だけに生まれて、その為だけに生きるわたしと変わらない。
わたしが、ゲイボルグに感じたのは親近感。
「テュケー」
「……!」
あ、珍しい……。
ゲイボルグが、わたしの名前、呼んだ……。
「その顔、今すぐ止めねーと殺すぞ」
「……ど、どんな顔?」
「その顔」
「わ、わかんないよ!」
鏡なんてものを見たって意味ない。わからない。
でも、わたしの表情のせいでゲイボルグが怒ってるのはわかる。
今してる顔、やめないと、ダメだ。
「なぁ、テュケー。お前、自分の事考えろ、ちゃんと」
「で……でも、元老院」
「従わなくちゃいけねェのか、絶対?」
「……ちが……う、と、思う……」
いや、逆らっちゃダメは、ダメ。
わたしが、従うの、嫌なだけだ。
「テメーも、自分の運命廻しちまえよ。ずっと幸せなバカであるようによぉ」
ゲイボルグが言った。
「……うんっ」
わたしは素直に頷いた。
本当に、彼の言葉は気持ちが良い。
心臓がね、リズムよく打つのがわかるの。
ずっとこの心音でいたいと思うの。
「ちょっと、そうしてみようかな」
「いい子だな」
「うんっ!」
「バカでクソガキだけど」
「……今、いい子って言った!!」
「…………ガキ」
ゲイボルグが笑った。
何か一人で大笑いしている。
見たいけど、見れない笑顔。
もし目が見えていたとしても、判らない表情。
ヒトの姿じゃないから。
「……」
「テュケー。どうした」
「ゲイボルグ、優しいよね」
「ハァ?」
「だからね、わたしね、幸せだと思うの」
わたしは今まで幸せでした。
幸せを知らなくていいと云われた人形ですが、幸せを知ってしまいました。
あなたに会って、幸せというものが、恐ろしくなりました。
いつか幸せが終わってしまうのが、怖いと思いました。
「おい、ガキ……っ!?」
「……こわい、よ」
わたしはゲイボルグを持って、胸に抱いた。
ゲイボルグは何も言わない。黙って抱かれている。
わたしの体には、この槍は大きすぎるな。
わたしじゃきっと、使いこなせない。
「……ごめんね、ゲイボルグ」
「……悪い事でもしたか?」
「して、ない?」
「してねーよ」
「……………………よかった」
わたしは目を閉じる。
青い光が見えなくなって、完全に暗闇になった。
これは、覚悟。
あなたがいつかいなくなった時の為に。
あなたの光がなくても大丈夫な様に。
目を閉じるの。
◆◆◆◆◆
「―――はじめまして、“私”」
「……」
「意識、ハッキリしない?そっかぁ、そうだよねぇ。あんな突きもらっちゃあね」
「……あなた、は」
「ノルン・テュケー。テュケーだよ」
「……私の、声、の……」
「あなたにね、わたしの力、貸してあげる。運命の女神の力をあげる」
「……え……?」
「あの殺人鬼さん、追わなくちゃ。追わなくちゃいけない気がするでしょ」
「追わなくちゃ、じゃ……ない。追うの……追って、カード取り返して……」
「うん。追いかけるよ。……大丈夫、見失わないからね」
「何を言っているの、あなた……」
「だって、」
だって、運命だもの。
巡って廻って、苦しんで。
わたしはまた、光を見られる。
再会?
あぁ、なんて素敵な運命でしょうか!
◆◆◆◆◆
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