静寂―――。
「……」
「……」
部屋には沈黙。外も静か。
辛うじて聞こえるのは私と彼女以外が立てる物静かな寝息である。
彼女―――イリア・アニーミはベッドに腰掛けて、一冊のノートを黙って見つめている。
少し見つめたら、次のページ。
少し見つめたら、次のページ。
そうしてノートを読み進めていた。
私は彼女の横に座って、その様子を居心地悪く伺っている。
「あ、あの、イリア……」
「……ごめん、ちょっと待って」
「はい……」
「…………」
このやりとりも何度目だろうと思う程度には繰り返した。
イリアが今読んでいるノートの内容と云うのは……私が物心ついた時から書いている、創作物。
所謂、小説……もとい絵本というやつだ。
これでも私の将来の夢というのは、絵本作家であって……。
絵を描く作業が追いつかずとも、話の内容は浮かんでくる訳であって……。
ノートの中身は小説と言っても過言ではない。
ちらほらと絵が隅に描いてある程度。
「……」
正直、自分の創作物を他人―――しかも長い時間を共にした仲間に見られるのは少々恥ずかしいという感情を煽った。
イリアはどうやらノートを読むのに集中している。
今さら返してもらうのは不可であろうし、何となしに見せてしまった私にも責任はあるのだから返してもらおうなどとは思わない。
しかし、イリアが読んでいる物はまだ未完成の物だ。
どうせ見せる読ませるのであれば、完全してからにするんだった……と私は後悔している。
「……ん?」
「……っ」
イリアが眉をひそめて首を傾げた。
私はそんな反応にすら敏感に反応した。
何を言われるのだろう……そんな事を考えながらイリアの言動に警戒を集めた。
「あんた、これ続きは?」
「……え?」
「え?じゃないわよ。続きよ、続き」
イリアはノートの背表紙を摘みながら、バサバサと乱雑に振った。
「……えっと……続き……?」
続き……続き……。
言葉の意味を理解するまでに、いくらかの時間がかかった。
言葉の意味を理解して、それをイリアに伝えるのにはいくらか勇気が必要だったが、私は覚悟を決めて言う事にした。
「ええっと……続き、今はそれが最後で、」
「ないの?」
「ご、ごめんなさい……」
「書きなさい。今すぐ」
「え……ええっ!?」
私が大声で驚きの声を出すと、イリアはすぐさま人差し指を立てて「静かにしなさい」とジェスチャーで示した。
ぐっすり眠っているアンジュ達への配慮である事はすぐに分かったので、私も慌てて口を両手で覆った。
しかし、叫ぶ程に驚きたくもなる。
創作物を最初から読まれて、現在書き進めてるとこまで読まれて……「続き」と言われるなんて……。
「イ、イリア」
「何よ?」
「お、面白かったですか……!?」
「うん」
「……!そうですかっ……!!」
イリアは反応も、言葉も、純粋で単純で簡潔だ。
何事もハッキリと言う性格。
だから……面白ければ「面白い」と言ってくれるだろうし、面白くなければ「面白くない」とハッキリ言うだろう。
そう踏んだからこそ、私はイリアの反応が怖かった。
だって、イリアに「面白くない」と評価を貰って、すぐに立ち直れる自信なんて私には……ない。
「リトスって意外な才能あったのねー。占いだけじゃないんだ」
イリアは未完成の物語が綴られたノートを丁寧に一枚ずつ捲りながら言った。
才能……それは、言い過ぎだと思う……。
占いだけじゃない……と言うのは、何となく引っかかる……。
でも……まあ、いいか……。
「私ね……子供の頃、占いよりも、物語を読んだり考えたりする方が好きだったんです」
「そうなの?じゃあ何で占い師なんてやってんのよ。最初っから物書きにでもなれば良かったのに」
まったくもってイリアの言う通りだ。
好きな事があるのなら、好きな事をやればいい。
しかし、私はそれを選択しなかった。
「占いの町、ですからね。私の故郷は。……必然と私も占いをさせられるようになります。的中率が良ければ、ほぼ強制的に占い師になって……。そして、それを運命として受け入れて、私は占い師として活動し始めて……………………ちょっと、イリア」
私の話を最後まで聞く気などなかったのであろう。
イリアの表情は退屈そのものを表情にしたそれだ。
夜で深夜という事も関係しているかもしれないが、やる気のないそれでいて大きな欠伸は止めてほしい。こちらが空しくなる。
私が苦笑いを浮かべていると、イリアはノートに文が綴られた最後の場所を指でなぞりながら、何でもないように言った。
「リトスの書く話は好きだけど、リトスの話すことはつまらないわねー」
「……えっ」
私が反応に困っていると、イリアは呆れつつ目を細めた。
「あのね、運命をきっちりしっかり受け入れてんなら、未練ったらしく物書きなんてしないで占い一筋のはずでしょうが。でもあんたは占いだけじゃなくて、占いよりも物書きの方を好いてる。……どうよ?」
……どうよ?と言われましても。
「矛盾、していますね。確かに運命を受け入れたのなら物書きは必要ないです。でも、私は物書きをしている……」
「ほーら。運命に抗ってんじゃない」
私の方は見ずとも、心は私に向けて、イリアは続けた。
「あたしは、占い師よりも作家の方が向いてると思うわよ。普通に面白いし、続き読みたいし。……あと、」
「あと?」
「あたしが学校建てたら、そこの生徒の為の本を書き上げてほしいくらい」
「……」
この部屋の灯りは、ベッドの横に置かれた台の上の蝋燭のみ。
元々火特有の赤みを持った灯りの為に、イリアの顔が赤くなっているのかは分からなかった。
でも、普段の彼女からは言いそうにない素直な言葉に、私はイリアが照れているのではないかと思った。勘だけれども。
そう思った瞬間に、何故かこちらまで照れた。
本を書いてほしいと言われたのは初めてだからだろうか。
全てが新鮮なものとして受け入れられる。
「私の書いたもの……で、いいんですか?」
「もちろんリトスが良ければね。……これだけ面白いんだもの。内容知りたさに言葉覚えるのも意欲的になるわよ、きっと」
「まさか、それはないでしょう?」
「あたしが保証する」
……保証されてしまった。
「まあ、この話完成してからでもいいわ。作ってよ、あたしの建てる学校の為にさ!」
イリアの夢である、学校の建設。それから教師―――。
……私はと言えば、疑問を抱えている。
迷っている。
このまま、占い師を続けるべきだろうかと。
私の占いの的中率が高いのだって……前世の影響があればこそ。私個人の力など些細なもの。
占い師を続けていれば、金銭面で困る事はまずないと思う。
だって、当たるのだから。
的中率が本物であれば、それを頼りにする人間はいくらでも現れるから……。
でも、それが私のやりたい事か?
そう聞かれれば、私は迷わないだろう。
答えは決まっている。
私のやりたい事ではない。
私の夢は、作家だ。絵本作家。
ただの物書きでも十分だけど……。
好きな事をしていいのなら、私はそう答えるだろう。
生活、主に金銭面経済的には不安が多々あるし苦労もするだろうが……。
イリアのように喜んでくれる人がいるのなら、苦労も楽しみに変換できると思った。
「……分かりました、書きます」
「ホント!?」
「はい」
喜んでくれるのなら、未来など詠めなくていい。
少しそう思ってしまった。
これでは占い師失格かな?……望むところだった。
迷う必要も、考える必要もなかった。
答えは出ていたのに、ただ立ち止まっていただけだ。
「ありがとう、イリア」
「……は?何が?」
背中を押してくれるような一言さえあれば、人は案外簡単に前に進めるものだ。
「頑張って、終わらせますからね」
「あ、うん。それはお願い。早く続き読みたいし、あたしの学校用の話も書いてもらいたいし」
イリアはノートをパタリと閉じて、私へと返す。
私がノートを受け取る寸前、彼女は思い出したかのように「あっ」と声を上げた。
どうしたんだろう?と不思議に思っていると、彼女は急に真剣な顔をして、真っ直ぐな瞳で私を見てきた。
「そうだそうだ。大事な頼みがあったんだけどさ」
「はい、何ですか?」
イリアは何て言えばいいのだろうと迷う素振りを見せて、口を複雑に歪めた。
「書くのは小説でいいからね。純粋な本ね。……絵は描かなくていいから。お願い描かないで」
「……え。えっ。どういう意味ですか、それ」
「わざわざ言わなくても分かるでしょうが。……絵ヘタってことよ」
「直球ですね!」
普通はオブラートに包んで言うような事を、彼女はあっさりと言いのけた。
さすがイリアだと感心しつつ、傷心状態になる。
「もうっ……知りません、イリア!」
私は拗ねた顔をしながら、自分のベッドに戻って、潜り込んだ。
イリアから軽い謝罪の声が飛んで、それから睡眠を告げる音が聞こえた。
部屋を照らしていた小さな蝋燭の火が消える。
私は、自分の創作物について考えていた。
自分の紡ぐ物語を待ってくれている人がいる……。
それだけで、自然とモチベーションも上がった。
この創作物が終われば、次はイリアと約束した創作物を作成しなければ。
その為にすべき事―――。
まず……“この物語”を終わらせる事だ。
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