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渇望さえも欠如させて

平穏を望んでいる。日々の平穏を。変わり映えのない日常を。平々凡々とした普通の人生を望んでいて、特別突出した才能や物語が欲しいなんて思っちゃいない。
案外、普通でいるってのも難しいもんだ。人生はままならないから。普通に勉強して、普通に進学して、普通に恋をして、普通に結婚をして、普通に子育てをして、普通に老いて、普通に終わる。普通の定義はそれぞれかもしれないし、これでは普通のゲシュタルト崩壊待った無しだが、少なくともわたしの普通は並大抵の人間が思い浮かべる普通。土に水をやったら芽が出て花が咲いたくらいの、そんな普通。
難しくて容易いことをわたしは常に望んでいて、でも、そんな普通すら望めない日常を知ってしまって、やはり人生はままならないなんて思う。
わたしの平穏をビリビリと引き裂いたのは、春にやってきた転校生くん。雨宮蓮くん。綺麗な名前をしたその男子生徒は、他の人たちとは違う魅力があった。説明を求められると困る。どうしてか、目を離せなくて、惹かれた。目を引く人物だったのは確かで、あんまり良くない噂も彼からは流れていたのだけれどーー案外そんな悪いやつじゃない、なんて思った。だって、彼からはいい匂いがする。お腹が空くカレーと珈琲の匂いに、日向ぼっこをしたようなちょっと埃臭い猫の香り。結構誰とでも話しているみたいだし、暴力沙汰を起こしたなんて言われるほど気性が荒い人な訳でもない。
気がついたらわたしは彼に惹かれていて、気がついたら彼のことばかりを考えるようになった。わたしの世界はあっという間に平穏とは程遠い、忙しない世界に変わり果てた。わたしの世界をあっさりと変えた雨宮くんに責任をとれ、なんて言う訳では無いけれど、不公平だなとは思った。雨宮くんのことをこんなに意識をしているのはわたしだけで、雨宮くんはわたしのことをいちクラスメイトだと思っている。もしかしたら、クラスメイトとも認識されていないかもしれない。モブA。いや、モブTくらいまで、順番は中途半端かも。
所詮平々凡々と生きてきた人間だ。都合のいい妄想はしても、現実に括り付けられている身としてはドラマや漫画みたいな展開は望んじゃいない。告白しようなんて毛頭ない。当たって砕けろの精神もない。ただ、良いなぁ、好きだなぁと思うだけ。この世の恋心の大半はそうした自己満足で解決する。わたしもそう。自己満足の恋心。

「なまえ、なまえ。知ってる?心の怪盗団のウワサ!」
「ああ、うん、最近有名だよねぇ」

恋心なんていう平凡な非日常を謳歌しているわたしは、きっとまだ可愛い。平穏をビリビリと引き裂かれたとはいえ、普通の輪の中から大きく逸脱してはない。
世間では、わたしの周りでは最近「心の怪盗団」なるものが大流行していて、わたしも最低限の情報は持って話を合わせている。何もかもが突拍子のないその集団で盛り上がるみんなは、なんだかんだ日常の改革を求めているように感じる。在り来りな日常を、毎日を、退屈に思って。炭酸の泡みたいな刺激が発生するのを待ち望んでいる。わたしの恋のように唐突に平穏をビリビリと引き裂いた怪盗団のウワサは、みんなが望むマンネリ化からの脱却だった。

「心を奪うってことはさぁ、怪盗団にお願いしたら好きな人のハートとかも奪えんのかな?」
「ええー、どうなんだろ?でもよくあるよねぇ、やつは大事なものを盗んでいきましたってやつ」

曖昧に笑い、それっぽく話を合わせた。
実際どうなのかは分からない。怪盗団のウワサはそこそこ信憑性があるらしいが、まさか本当に人の心を改心させるだの奪うだの、そんなファンタジーなことが現実に起こるなんて到底思えない。もしそんなファンタジーが現実に存在しているのだとしたら、わたしは自分勝手も自己中心的さも薙ぎ払って願ってしまうかもしれない。この自己満足な恋を叶えて、雨宮くんと都合のいい恋人関係になることを。
雨宮蓮くんの心を奪ってください。なんて。
最初にわたしの心を奪ったのは雨宮くんの方なのに。
心の怪盗団は話題のネタとして消費され、クラスメイトは満足したのか次のターゲットを見つけて話しかけに行く。教室という小さな世界で会話というツールを使いながらコミュニティを広げていくのは正しい。特定の誰かと強い結束を持つのも良いけれど、広く、浅く、そこそこ友好的な関係を持てた方がいざという時には助かる。真の意味での理解者だとか、そういう深いことは考えていない。その中で価値が付与されたものがある意味長続きする関係になるんじゃないか、これは少し拗れた考えかもしれないけど。
そう考えると雨宮くんは、……誰とでも話せているのは確かなのだけれど、積極的な繋がりを求めているようには見えない。コミュニティを広げようとしていない。同じクラスの高巻さんや別のクラスの坂本くん。彼女彼に関しては、わたし達がするような探り合いの友人関係ではないように思えて。ああ、彼らみたいな関係が真の理解者だとか親友だとかいう言葉で表すことができるんだろう。羨ましいと思った。自己満足の恋心の分際で、友人になるのすら烏滸がましい立場で、わたしは醜くも羨望する。恨めしいとはこういうものか。
視線は自然と雨宮くんの方に向いて、その横顔に胸が高鳴り、また勝手に恋を募らせる。
次の授業の教科書に視線を落とす雨宮くん。鈍色の瞳。睫毛は長い。端正な顔立ちをしていて、眼鏡があってもなくても美形なのが分かる。くせのついた前髪も相まって目元がよく見えないのが野暮ったい印象を与えているのが勿体無い。

「……?」
「あっ……!」

ゆっくりと雨宮くんがこちらを見る。慌ててわたしは雨宮くんから視線を逸らした。あからさまにおかしい。絶対に気が付かれた。変に勘繰られてしまったかもしれない。彼は良くも悪くも話題になっている転校生だから、わたしが悪い印象を持って彼を観察していたと勘違いされてしまっていたらどうしよう。関わる予定もないくせに、不安が大きくなる。
雨宮くんの訝しげな視線を感じる。気にしないフリをしようとすればするほど、身体中の血液が沸騰して背中に冷たい汗が滲んでいくのが分かった。人生がままならないのは諦めがつくけれど、自分の体でさえままならない。普通にしようと思っても、思っても。心はそれどころではない。
心って、心臓にあるんだろうか。とかく、心臓がうるさい。
願いが生まれる。もし心を盗んでもらえるのならば、この恋心を盗んでもらいたい。普通を謳歌して、普通を渇望していたわたしにどうか戻して欲しい。


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