その他ジャンル | ナノ

最小手数の位相幾何学

言葉と云うのは、何通りもの解釈が出来るものだから非常に面倒なもので、いつ爆発するか分からない時限爆弾のようなものだ。
何気なく呟いたたった一言が取り返しのつかないことになることもある。
力強い音と共に吐き出された言葉と云うものは言霊と云うものがありまして。
自分はこれの扱いを特別気にしている訳ではありませんが、特別気にしない、ということでもありません。
回りくどいでしょうか?
結局言葉と云うものは本音であれ建前であれ、自分の代弁者な訳です。
自分の発したものには責任を持たなければいけません。
ええ、気を付けていますとも。
口は災いの元、とも言いますし。
迂闊なことを言ってしまって、頭を潰されていては身が持ちません。
実はあれは、結構痛いのです。
本人は手加減しているつもりなのかもしれませんが。

「南師さん。あの、南師さん。ちょっと良いでしょうか」

自分はまずその人の名前を呼んで、良し悪しを尋ねます。
名前を呼ばなければ、声を掛けていることにその人は気付きませんし、気付いてもスルーされることが多いので、これだけはしっかりしています。
その割にその人が自分の名前を呼んで声を掛けるということは片手で数えられる程度にしかないのですが。
まあそれは自分とその人の関係性というものです。
ご愛嬌というやつです。
今更どうこう言うつもりはありませんし、自分はそこに満足しています。
さて、名前と云うものはその人だけの、その人を判別する為の記号のようなものです。
自分だって、ただ「死神」やら「人間」やらと言われるよりも、生まれてから頂いた名前を呼ばれた方が嬉しいに決まっているし、自分だと分かる名称やあだ名で呼んでもらった方が分かりやすいです。
名前を呼んだその人が、……南師さんが自分と同じ考えとは限らないし、そもそも彼に自分と似た価値観は無いのかもしれませんが、でもこれは、自分の意地のようなものでした。

「もうっ!南師さん?聞いていますかっ?」

彼の名を呼んで三回目。
彼は渋々といった様子で深く息をつきながらこちらにゆっくりと顔を向けてきました。

「なんだ、どうした。構ってほしいのか?」
「構ってほしいと言えば南師さんは構ってくれるんでしょうか?では構ってくださいと言ってみるものいいかもしれません」

自分の言葉に南師さんは、ただでさえ悪い目つきを更に歪ませて、眉間に皺を寄せました。
怖い顔をしていますよと指摘すると、別に怒っている訳でも機嫌が悪い訳でもないと応えるように右手をぶらぶらと左右に何度か往復させました。
言葉でそうだと示さないあたり南師さんらしいとは思いました。
ただ、はっきり言えばよろしいのにとも思います。
多分、怒っていないのは本当でしょうが、機嫌が悪くないというのはきっと半分は嘘です。
若干機嫌は悪いだろうと、自分は声に出して指摘はしないものの、苦笑いでそれを表現しました。
南師さんは聡く、賢い青年ですが、他者に対しても全てそうだとは言えません。
だからきっと、自分の表情の変化にはこれといった疑問を抱きはしないでしょう。
現に、南師さんは自分の表情に違和感を抱いてはなさそうです。
「いつも通り」。
「敵意もなく笑っている」。
それはひとつも嘘ではありません。

「ええと、構ってほしい訳ではないんですよ。ただ、それが終わったら、南師さんは何か他にすることでも、予定でもあるのかなと思いまして」

それ、と自分が示したのは南師さんの手元でした。
彼の両手にすっぽりと収まっているのは色がぐちゃぐちゃとしていて、色々がまるで不揃いのルービックキューブでした。
しかも良く見る正方形の3×3のマスのものではなく、正十二面体の、所謂メガミンクスだとかなんとか呼ばれている意味不明なものです。
普通のルービックキューブすらまともに解したことのない自分にとっては、それを弄り回している南師さんは人間じゃないような感覚で見つめてしまいます、ああ確かに厳密には人間ではありませんが。
先ほどから黙々と立体パズルを熟す南師さんは、自分では到底出来ないことをやっている遠い世界の人のようです。

「これが終わったら、か。まあお前の用件次第では考えてやらんこともない」
「ああもう、なんでしょう。その上から目線は。ふふ、でもそうですね。お誘いするのは自分の方ですから。最終的に決めてくれるのは南師さんで構いません」
「無欲だな」
「そうでしょうか?」

自分としては南師さんがルービックキューブを解いている姿を見ているだけでも十分楽しかったり、興味深かったりするのです。
言葉にはしませんが。
自分のやらないことだから興味津々になってしまうのでしょうか、それとも南師さんが真剣に何かに取り組んでいる姿が好きだからついつい目を向けてしまうのでしょうか、もしくはそのどちらもでしょうか。

「パズルを嗜むのなら南師さん、あやとりもしてみませんか?」
「……は?あやとり?」
「はい。あやとりです。あやとりって分かりますか。輪っかにされた一本の紐を指に引っ掛けていろいろなものに見立てる遊びなんですけど。基本的に一人でもできるんですけど、二人でも、複数人でも遊べるんですよ。自分は二人まででしか遊んだことがないんですけれどね」
「ゼタうぜえ。それくらい知ってる」
「やったことは?」

自分が南師さんとの顔の距離をぐっと近づけると、彼は押し黙った。
沈黙。
不意に南師さんの腕が伸びてきて、頭を捕まれそうになり、自分は咄嗟に両手で頭を守る。
つまり、それが解答なのでしょう。

「確かに、南師さんの好むような遊びではないかもしれませんね。パズルと違って終わりがありませんもの。続けようと思えばいくらでも続けられます」
「お前が好きそうだ」
「ああ、何ですかそれは。どういう意味ですか」

確かに南師さんがやっているようなパズルは自分には難解すぎて遊びであっても手を出す気にはなれない。
きっとそれは南師さんも同じなのだろう。
しかし南師さんはいざ始めてみたら黙々淡々と作業を続けていられるような気がする。

「それが終わったらでいいんですよ。それが終わって、もし南師さんが良ければでいいんです。付き合ってくれたら嬉しいなくらいの感覚なんです」
「へえ、そうか」
「そうですよ」

興味がなさそうに南師さんは呟いて、また手元のルービックキューブに視線を落とした。
これは駄目だろうか。
もっと良い誘い方があったのかもしれない。
しかしネコ科らしい南師さんの性質では、どんな言葉を並べてもはぐらかされてしまう可能性があった。
良い意味でも悪い意味でも、彼はあくまで彼の世界観の中で生きている。
他者の影響を簡単には受けない完成された世界と価値。
自分はそれを高尚だと思っているし、憧憬を抱え込む。
彼に対して随分惚れ込んでいると思われるだろうか。
その問いに関しては「はい」と素直に答えよう。

「おい、なまえ」

しかしそれは単純な恋慕ではない、いいえ、恋愛感情なんてものではないでしょう。
憧れです。

「……、なまえ?聞いてんのか?」

歳下の青年に、こうも懐いているのです。
ええ、そう、年甲斐もなく。
何故なら―――そこで、自分の思考は止まりました。

「おいこら、なまえ」

自分の名前を呼んで、三回目。
それは三回目でした。
自分が反応を示さなかった為か、南師さんは痺れを切らしたように腕を振り上げました。
そしてそれは自分の頭上に置かれます。
気付いた時には遅い、と思いました。
自分は思考の深海から無理矢理引き上げられました。

「いっ、っ!」

瞬間、頭上に走る激痛。
頭痛とは違います。
もっと物理的で暴力的な、頭を潰されそうな痛みです。

「痛い痛い痛い!南師さん!とても痛いです潰れてしまいます!」
「お前がさっさと答えねえからだろうが」
「南師さんだってすぐには答えてくれなかったじゃないですか理不尽です!ああーっ痛いです南師さん!」

南師さんは手加減しているつもりかもしれないが、ああ、何度だって言うけれど、これはかなり痛いのです。

「自分は南師さんよりも小さいのですから、もっと丁寧に扱ってはくれませんか?」
「小動物扱いすればいいのか」
「いえ、いえ。でなくとも女性ですよ?」

南師さんの手から解放されて、自分は頭を擦ります。
どうやら頭の形は変わっていないようで安心しました。

「それで、ええと。どうしました、南師さん」

自分の記号をちゃんと呼んでくれたということは、南師さんにも何かしら用件があるということなのだろう。
問うてみたその解答はまたも言葉ではなく行動での意思表示だった。
南師さんは上着のポケットから何かを取り出す。
それは南師さんが現在解いているルービックキューブとはまた違う種類のルービックキューブでした。
南師さんが持っているものよりずっと簡単そうな、それはよく見る形の3×3のルービックキューブでした。

「俺様には単純すぎてやる気も起きなかったが、お前ならそれなりに頭を凝らすことが出来んだろ。これが終わるまで、そいつで暇つぶしてろ」
「……?では、それが終わったら自分の遊びにも付き合ってくれるということですか、南師さん!」
「気が変わらなかったらな」
「ふふっ、そうですか!」

それでも自分は十分ですよと言うように笑いました。
南師さんからしたら、いつも通りの笑みでしょう、これは文字通り。
自分は南師さんからルービックキューブを受け取り、ぐるりとその正方体を眺めます。
既に色はあちらことらと散らかっていました。

「自分、ルービックキューブを解けたことはないんです。コツってあるんでしょうか?」
「さあな」
「でも、南師さんには単純なんですよね?」
「ああ」
「自分には少々難解ですよ」

南師さんの隣に並びながら、自分はくるくると適当にルービックキューブを回転させてみます。
色がさらにぐちゃぐちゃとするだけでした、揃う気配もありません。
なるべく色が揃うように揃うようにと動かしてみましたが、色を一列揃えるのがやっとです。
どうしたら全面が同じ色で揃うのでしょう、難解です、苦手です。
首を傾げる南師さんが小さく吹き出し、得意げになっているものですから、なんて意地の悪い人でしょうと自分はふくれっ面になりそうなのを我慢して、ルービックキューブを下から見上げます。

「これ、崩してしまってイチから組み立てる方が早いんじゃないでしょうか」
「お前、本当にすぐ壊そうとするな」
「南師さんのおかげですね、職業病かもしれません」

自分がくすくすと笑うと、南師さんはつまらなそうにケッと言葉を吐いて自身のルービックキューブを解きにかかりました。
多分、自分の解体技術に関しては絶対の信頼があるのかもしれません。
彼にとっては悪い意味の方が大きいかもしれませんが。
しかし、自分にしてみれば、壊してしまって組み立てた方が早いというのは、それもひとつの解だと思いました。
南師さんはそれをなんとなく分かっているからつまらなそうにしたのでしょう。
自分の解は、彼が選択しない解き方でしょうから。
真剣な表情でパズルを解いていく彼の横顔を眺めながら、自分はもうひとつ笑います。
そうです、彼の創作者としての自身に満ちた表情も好きですが、解答者としてひとつの解を導き出そうとする彼の表情も、自分はどうしようもなく好きだと思います。
だから、今から楽しみになってしまいました。
彼がどのように自分の「いと」を汲み取ってくれるのだろうかと。
彼の気分によっては自分の遊び事に付き合ってくれない可能性もありましたが、想像をするだけで満たされるから、きっと良いのだと思います。

「南師さん、それ、壊してあげましょうか?」
「今度こそ潰してやろうか?このヘクトパスカル」
「冗談ですよ、潰さないでください。とても痛いんですから、痛いのは嫌いですよ、自分」

冗談っぽく笑ってみせるのと、慌てて笑ってみせるのを半分ずつ。
自分はすぐに自分の問題に戻ります。
そして、自分はルービックキューブを分解していくことにしました。
ああ、やっぱりこれが一番手っ取り早いじゃないかと感じました。
組み立てるまでに、真っ当な解き方をしている南師さんに追いつければいいな、なんて夢みたいなことを考えながら、やっぱり無理だと思います。
自分は、難解なものの扱いが苦手なのです。
きっとそれは言葉と同じように。


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -