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他愛ない二人の錯覚

強い日差しという自然的な障害も、人混みという社会的な障害もみょうじなまえはあまり得意ではなかった。
せっかくの長期休暇に天気の良い日ともなれば部屋の中に引きこもり、読みかけの本を読んでいた方がずっと有意義に感じてしまって。
面白そうだなと思って購入した書籍は読んでいないものだけで本棚の一列を占領している。
まだ一冊も読んでいないのに。
全て読みかけだ。
しかし新しい本を買ってしまう。
なまえは別に浪費癖がある訳ではない。
ただ、自分が好んだものに対して金銭を厭わないだけの、ごくごく一般的な思考を抱えた人間だ。
故に、好きだと思ったものに対しては散財する。
とてもまともな思考をしているのだ。
なまえは己を浪費癖の激しい人間だとは思っていないが、何の面白味もないどこにでもありふれた人間だとは思っていた。
非日常とは酷くかけ離れた存在。
眩しい程の光からは隠れ、人目からは遠ざかり、涼しさと安全を保障されている己の自室が楽園、自分の為の箱庭。
ただここで間違えたくなかったのは、別になまえは太陽の光が嫌いだった訳でもなく、人間が嫌いな訳でもないという事だ。
世界が在る為には、強い日差しも人混みも必要だ。
一見無駄だ無意味だと思われたそれらは間違いなく世界を構成しているものであり、なまえの世界を守るものになる。
この世界の中にあるなまえの世界とは恐らくとてもちっぽけで、失われたとしても誰も気づかない差し支えのないものだ。
しかし今日も自分はこうして自分の世界を生きている、だからこそなまえは一人心地に口元に笑みを浮かべるのだ。
有難う御座います、今日も何だかんだと生き永らえているのです。
一通りが完結する。
一連の流れのようなもの。
それが終わったところで、なまえの背後には低い声が投げ掛けられた。

「何一人で笑ってんだ。何か変なもんでも食ったか?」

何の前触れもなく突然の声になまえは大して驚くこともなく、余計に笑みを深める。
今度はたった一人で笑っているのではなく、彼へと向けた、しっかりと意味の持った笑みだった。

「変なもの。特にこれといって食べた記憶はありませんよ」
「メシ食ってねぇのか?バカか」
「朝御飯は食べましたよ。マフィンふたつに、レモンティー」
「それだけか。ちゃんと食えよ。小せぇんだから」
「今更成長期が来るとも思えません。南師さん」

なまえはくるりと身軽な音を立てながら、後ろを振り向いた。
振り向いただけでは足らず、顔を上げる。
見上げた視線の先には、自分に声をかけてきた主がいる。
南師さん。
南師猩。
自分よりも年下の、自分よりも大きくて広い世界を見ている人だ。
南師も自分と同じくこの世界の中に己の世界を己の好きなように形成しているとなまえは思っていたが、同時に同じではない部分もあると感じていた。
なまえはこの世界が無くなれば自分の世界も音無く淘汰されるものだと思っているが、南師はそうではない。
彼はこの世界がなくなったとしても、自分が形成したものは失われずにあって、むしろ自分の世界が唯一の世界として昇華されていく、……ことにとても近いものがあった。
傲慢かもしれないが、その背景は己に対する絶対的な自信と邁進。
満足をすることを知らない彼は、形成したものは壊れると自負していながらも生産行為を止めようとはしない、何に対しても。
永遠に続く形はないと知っているのに。
それでも揺らぐことのない絶対的なスタンス。
なまえは南師のそういった面を尊敬していたし、憧憬を抱いていた。
理解とは違う。
同一視をしたい訳でもない。
ただの憧れでよかった。

「どうせこのまま夜まで何も食わねえつもりだろう」
「昼は抜いても大丈夫だって雑誌で見ましたよ」
「またテメェはそういう、」
「ひぐっ!?」

南師が右手ひとつでなまえの両頬を挟み込むように掴んだ。
痛みは与えられなかったが、ぐりぐりと圧をかけられて痛みに近い感覚はある。

「は、はなしてください、みなみもとさん」

声は出せた。
言葉は出せた。
なまえは南師に懇願するが、南師が離してくれそうな気配はない。
年下に立場を取られるのが悔しくないのかと尋ねられれば、なまえはこれっぽっちも悔しくないと答えるだろう。
プライドがない訳ではない。
自分にだってプライドはある。
ただ南師が自分よりも高度な存在であるとなまえは思い込んでいるし、独り善がりに確信している。
南師は他の世界を領域を侵さず、世界を形作るからこそ唯一だった。
他人の世界に影響されずに自分を保つのは難しく、何より気高く孤高である。
南師に憧れを向けた時点で、それはなまえには出来なかったことだ。
ちっぽけな世界から出るつもりはないくせに、南師の構成した世界を羨ましそうに見つめている。
なまえにとって南師は特殊だった、イレギュラーだ。
だから、南師猩という大前提があれば、みょうじなまえにとっては何でも良かった。

「ならちゃんとメシ食えよ、ヨクトグラム」
「それは、ええと……すごく軽いとか、そういう感じですか?」
「……」
「ああっ、何ですかその目は!ちゃんと言ってください!自分はちゃんと言葉にして貰わないと分かりません!」

みょうじなまえと南師猩の関係を尋ねた時、大半の人間は首を傾げるに違いない。
本人達ですらいまいち分かっていないのだから、二人を知る共通の知人にだって分かるはずがない。
ただ言えるとすれば、なまえも南師もそこまで複雑ではなかったという事だ。
理由などは至極単純だ。
それを、他者が理解できるかどうかだ。

「引き込もって文字の羅列に埋もれてるくらいなら少しは外に出ろ。……これでいいか?」
「外に出ろ、なんて意外です。てっきり南師さんは自分に、自分の好きなようにさせてくれると思っていました」
「それは、」
「それは?」
「……ふん」
「あれ、南師さん?」

南師がそっぽを向いた。
拗ねているようにも見えるその態度に、はたと何か思い当たったなまえがくすりと笑う。

「南師さん、ラーメン、食べに行きましょうか」
「……はっ?」
「外に出ましょう、それで、ラーメン食べに行きましょう。一緒に」

そしてなまえは南師へと手を伸ばした。
しかし伸ばした手は叩き落とされ、一度こちらをまた彼はそっぽを向く。
なんでこんな事をするのかと南師の方を見ると、少し頬が赤い。

「南師さん」
「暑いせいだ」
「そうですね。じゃあ、帰りにアイスでも買いましょう」

ふわりとなまえが笑う。
言葉だけで嬉しそうにする自分に、彼は一体何を思うのだろう。
自分達の関係こそ不可思議なものではあるが、それをなまえも南師も何ら疑問視していない。
それは世界と、行動と、言葉と同じく。
一通りが完結するのだ。
一連の流れのようなものだ。

どうぞここは言霊アクアリウム。
二人は日差しと人混みに消えていく。


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