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恋に浸された愛の杯

気がつけば都合のいい妄想ばかりが頭を埋め尽くしていく。例えば、彼と目が合う妄想。例えば、彼と話す妄想。例えば、彼に触れる妄想。例えば、彼に微笑みかけられる妄想。例えば。例えば。友達でも何でも無いただのクラスメイトが思い浮かべるにはあまりに過ぎた恋愛映画のような妄想劇を繰り広げては、現実では起こりえないこと突きつけられて虚無感に頭を抱えることになる。彼が誰かと話している時に、その話している相手が私だったらいいのに、なんて。何度も繰り返していることなのに、私は学習しない。彼に、転校生くんにお近づきになれることを夢に見ている。見ているだけだ。それで何かが起きるはずも無いのに。
春にこの秀尽高校に転校してきた彼はなんでも以前住んでいた場所で暴行事件を起こしたらしい。前科持ちの転校生。彼が転校してきたばかりの頃は、根も葉もない跳躍した噂が流れていたものだが、今ではそこまで聞かなくなった。人の噂も七十五日。今では別の話題でみんな盛り上がっている。話題も噂も消耗品だ。転校生くんは未だにどこか浮いているような雰囲気があるが、孤独という訳ではないし、むしろ意外にも顔が広い。

「よう、レンレンー、一緒に昼飯食おうぜー」

私からは斜め左の前の席。別のクラスの男の子が転校生くんの所へやってきては隣人の不在をいいことに彼の横を陣取る。確か彼は、転校生くんがやって来たばかりの頃から一緒に行動をしていた。今ではニコイチかと思うくらいに一緒にいる姿が安定している。その位置が私だったら良かったのにと考えるだけ考えて、時折転校生くんの方を盗み見しては、私も昼食を取る。
本当は友人と食べようと思ったのだけれど、彼女はクラスカースト上位にいる女子生徒に誘われてしまったから、今日はいない。寂しくないのかと問われれば、それは寂しいと言うだろう。ひとりでごはんを食べるなんて空しい。けれど、友人にとってもわたしと食べるよりクラスカースト上位の子と食べた方がそりゃあ良いだろうと大して気には留めていない。女子にとっては、大事な事だ。女子高生にとっては、大事な事だ。クラスカーストは絶対。こんな大都市の進学校で村社会みたいなことが罷り通ってしまうなんて、なんだか息苦しくて仕方ないけれど。
だから、もしかしたら、そうした意味でも私は彼が羨ましいのかもしれない。カースト制度なんてまるで気にせず、根も葉もない噂を気にすることも無く、馬の合う友人と一緒にいる彼のことが。転校生くんのことが、羨ましい。でも、彼になりたいのかと言えばそういうことじゃない。同一視ではないのだ。
だって私は願わくば彼と友人になりたいのだし、叶うのならば恋人にだってなりたい。ここ最近はそうした妄想で生きている。
まず顔が好きだ。きっとあの野暮ったい眼鏡を外したら量産された芸能人のイケメンよりも美形のはずだ。眼鏡も似合っていて素敵だとは思うけれど。それから声も好きだ。無口なのかあまり喋っているのを見たことはないけれど、簡潔な言葉で伝えたいことを伝えられるのは凄いことだ。聡明なのだろう。授業中も不意打ちで指されても的確に答えを述べられる。彼のそんな一面にも一方的に「前科持ちの不良転校生」と決めつけていたクラスメイトたちは驚きの声を隠さなかった。「今度ノート借りてみようかな」なんて言う女子生徒もいた。……いや、それを思わず口にしたのは私だったかもしれない。

「そういえば蓮さー、お前テスト勉強してる?」
「たぶん竜司よりはしてる」
「あっ、てめ」
「冗談だ、冗談。そういえば夜は惣治郎さんの手伝いばっかでまだテスト範囲に手を付けていなかった」

昼食に持ってきたメロンパンをもそもそと食べながら斜め左前の転校生くんたちの会話に聞き耳を立てる。我ながら気持ち悪いと思うが、大して仲良くしていない私が彼らの会話に混ざることは出来ないし、そんな度胸も無い。全てにおいて運が味方してくれないと私のような考えるだけ考えて行動が出来ない凡人には、転校生くんと関わるなんて無理だ。きっかけ。何かきっかけがあればいいのに。

「じゃあ放課後うちに来るか?テスト勉強しよう」
「おー。へへっ、喫茶店で勉強ってなんかかっけーよな」
「でも竜司は珈琲飲めないだろ」
「おうっ、アイスココアでいーわ。もしくはコーラ」

転校生くんと勉強なんて。なんて。なんて、贅沢なんだろう。私には夢のまた夢の話だ。どうせ夢のまた夢なのだから、今日は転校生くんと一緒に勉強する様子を妄想してやろう。そうしたら、もしかしたら、少しくらいは捗るかもしれない。いいや、彼の顔の良さが気になって全然駄目かもしれない。彼のひとつひとつの行動が気になって仕方ないに決まっている。彼のペンの持ち方が綺麗だとか、そういうレベルのことでも気になってしまうに決まっている。駄目だ。転校生くんの妄想では勉強は捗らない。空しい恋心が満たされるだけだ。

「あっ……?なんだあ?」
「おい?どうした竜司」
「おい、さっきから何じろじろ見てんだよ?」
「……へっ?」

軽い殺気にも似た視線を感じて私は反射条件で顔を上げる。私の視界に写るのは困惑した様子の転校生くんと睨みを利かせている金髪の男子生徒。
金髪の彼とは完全に目が合っていたが、今までに関わってきたことが無い人種相手に私は思わず周囲をきょろきょろと見回す。

「いや、お前だお前!」

呆れたような声を上げながら、金髪の人は私の席の前までやって来て、私を見下ろす。転校生くんが手を伸ばして止めてくれようとしたが、それよりも金髪の人の方が行動が早かった。

「お前さっきからじろじろと見てたろ?言いたいことがあんなら言えよ」
「そっ、そんなに、見て、ました?」

確かに転校生くんを見るためにチラチラと彼らの方を見てはいたけれど、そんな気になるほど見ていただろうか。じろじろは言い過ぎじゃないだろうか。

「もうガン見だったっつーの。なあ、蓮」
「え?ああ、そうだな……?」
「えっ、うそ」

まさかまさか、金髪くんの自意識過剰に決まっていると高を括っていた私は転校生くんが同意していることに青ざめる。どうやら私は、私が思っている以上に彼らのことを、否、転校生くんのことを見ていたらしい。

「ご、ごめんなさい、まさかそんな見てると思わなくって……」
「あ?じゃあ、なんか文句があって見てたとかじゃねーの?」
「文句なんて、まさか……。その、テスト勉強の話してたみたいだから……。わ、私も、その、テスト勉強しなくちゃと思って」

言い訳っぽく聞こえてしまうだろうか。けれど嘘はひとつもついていない。間違っていない。目つきの鋭い金髪くんにびくびくしていると、私が思っていたよりもあっさりと殺伐とした空気は溶けていく。

「なんだ、そうか。わりーわりー。やだよなあ、テスト」

けろっとした様子で、先ほどの凄んでいた雰囲気はどこへやら。金髪くんは転校生くんの隣の席に戻る。詰まるところ、私の前の席なのだけど。転校生くんも噂のせいで不良だ暴力的だと言われてきたが、その転校生くんの友人なのだから、金髪くんももしかしたら悪い人ではないのかもしれない。見た目は怖いけれど。

「まったく、……竜司に凄まれたら女の子は怖がるだろう」
「だあから悪かったって」

席でふて腐れたようにカレーパンを食べる金髪くんを諫める転校生くん。彼らはいつもこんな感じなのだろうか。気の置けない友人と云った感じで、きっと私には縁のない位置だ。私は、彼の姿を目で追って、彼の声を鼓膜にこっそり響かせることくらいしか許されない。いいや、でも、今後はもっと気をつけよう。私は自分が思っている以上に恋に狂っている。理性を無くしてはいけない。転校生くんに気味悪がられてしまうことがわたしにとっては一番の最悪なんだから。
そう決意を新たにしていると、またも視線を感じた。今度は殺気に満ちたものじゃない。もっと穏やかで、静かな視線。

「い……!?」

不思議に思って顔を上げると、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。私はこんな声が出せるんだと驚いた。いいや。違う。そんな驚きではない。今はそれどころではない。自分の声への羞恥よりももっととんでもないことが今目の前で起きている。
顔が良い。ではなく。
転校生くんと目が合った。申し訳なさそうに微笑みながら、その灰色の瞳は私の姿だけを捉える。夢だろうか。思わず机の下でこっそり自分の手の甲を抓ってみる。痛い。夢じゃない。

「ごめん、竜司に悪気はないんだ」
「あっ……いや、その、じろじろ見てた私も悪いから……!」

いつもよりも声が高くなっている気がする。背中から頭にかけて、熱が上がってくるような感覚に襲われる。心拍数は上がり続け、このまま死んでしまうのではないかと錯覚する。いや、死んでたまるか。少なくとも、今死んだら、勿体ない。だって夢じゃないんだ。だって、妄想じゃないんだ。
好きな人と、お話が出来ているんだ。

「あっ、あの、さあ……!」
「ん?」

こんな夢のような時間を終わらせたくなかった。これは、私のささやかで、でも大きな欲望だった。この時間を終わらせたくなくて、転校生くんが後ろを向いてしまう前に私は彼に声をかける。彼は優しく、私の往生際が悪い呼びかけにも誠実に応えてくれて、嬉しさと申し訳なさがごちゃ混ぜになる。
正直、何が言いたいかなんて決まっていない。だって私は彼との夢のような時間を終わらせたくないだけだから。

「そ、その、大したことじゃないんだけど……今日、君の家で勉強会するって聞こえてきて……、……でも、そこの彼が喫茶店で勉強なんてかっこいいって、聞こえたから……。あの、君の家って、喫茶店、なの?」
「ん、まあ、そうかな。俺の面倒を見てくれてる人がやってる喫茶店だけど」
「こいつ、その喫茶店の上の階に住んでんだよ」
「そ、そうなんだ。オシャレだね」
「こいつの部屋ちょっと埃っぽいけどな」
「おい竜司」
「悪い悪い。でも最近は綺麗だと思うぜ、プロの掃除屋にでも頼んだか?」

転校生くんと金髪くんの軽口を聞きながら私はすっかり空しい気分になってしまった。私が意を決して話し始めても金髪くんの一言で会話の相手はすり替わってしまうのだ。しかし仕方ない。転校生くんと金髪くんは一緒にいない日は見ない程の友人だ。単なるクラスメイトの私とは立場が違う。気兼ねなく転校生くんと言葉を交わし合える。
立ち位置をすっかり奪われてしまった私は彼らの会話を聞くだけの傍観者となる。会話をしている一員ではない。これは、盗み聞きと変わらない。
夢はいつか醒めるものだから夢なのかも知れないが、もう少しくらい夢を見させてくれてもいいだろうに。やはり、ただの凡人には過ぎた幸福だというのだろうか。いいや、きっと、思うだけで行動しないのがいけないのだ。私にしては今回は頑張った方なのだろうけど。

「あっ、そうだ。お前……えーっと、名前、名前」
「みょうじなまえさんだよ」
「あ、そうなの?なあ、みょうじ」
「……?えっ、私?ですか?」
「おう、お前だお前」

さっきもこのやりとりしたじゃん、とおかしそうに笑いながら金髪くんは私を見ている。金髪くんだけではなく、転校生くんも私の方を見ていた。どうやら夢の時間はまだ終わっていないらしい。私は再び机の下でこっそりと手の甲を抓ってみる。痛い。夢じゃない。……夢じゃない。

「みょうじもテスト勉強しなくちゃって思ってんだろ?もしこいつんとこの喫茶店が気になるんだったらよ、放課後俺らについてくりゃいいじゃん」
「えっ」
「あっ、蓮はどうよ。俺は他人に教えるなんてこと出来ないからもしみょうじに勉強教えるならお前の負担になっちまうか?」
「俺は構わない。……みょうじさんは物覚え良さそうだし」
「俺と違って?」
「うん、竜司と違って」
「うっせーよ!」

転校生くんと金髪くんはまた軽口を叩き合って笑い合う。私はまたその様子を傍観するだけとなったが、今度は空しさなどは感じなかった。だって、今は私もこの会話の一員になっているんだから。
先ほどは私の決死の一言から転校生くんとの会話を奪っていった金髪くんに敵意すら覚えてしまったが、人間とは現金なもので今では彼が神様のように見える。

「みょうじさんはどう?もし放課後予定がないなら……」
「な、ないよっ、その……、君が良いのなら、ついて行きたい、かな」
「勿論。歓迎するよ」

にこり。音が落ちる。同時に、恋に落ちる。既に転校生くんに恋をしているのに、もっともっと、好きになってしまう。これ以上好きになってしまったら、どうしたらいいのだろう。元より妄想だけの、叶わない恋だと諦めていたのに。これじゃあ、欲望はどんどん広がっていってしまう。いつか、私自身にも抑えられなくなる日が来るかも知れない。でも、それ以上に彼に存在を認知してもらえることが嬉しくて、……私は自分の欲望に従って、彼の夢のような言葉に甘える。

「じゃあ決まりなー、あー、勉強やだなー」
「こら竜司。ちゃんと勉強するんだぞ、みょうじさんも付き合ってくれるんだから」
「へいへい。じゃあまた放課後迎えにくるわー。じゃあな、蓮。みょうじ」
「ああ、また後でな、竜司」
「おー」

軽い挨拶を残すと、手のひらをぶらぶらとさせて金髪くんは去って行く。昼休みも終わりに近いためか、教室にいなかった生徒たちも戻ってきていた。
金髪くんが去ってしまい、ふたりだけに残された私と転校生くんの間からは会話が消える……かと思いきや、そんなこともなく。転校生くんの方から私に声をかけてくれた。やっぱり、優しい。好きだ。

「ごめんね、みょうじさん。嫌じゃなかった?」
「ぜ、全然。むしろ私が、そのお邪魔しちゃっていいのかなって」
「いいや、大丈夫。喫茶店で珈琲の一杯でも注文してくれたら売り上げにもなるし、ありがたいさ」
「……その、おすすめはやっぱり、珈琲?」
「ああ、珈琲とカレーがおすすめ。あっ、でも珈琲が飲めなくても他にもドリンクはあるから安心してくれ」
「ううんっ、珈琲大丈夫!好き!」
「そうか?お揃いだな。俺も好きなんだ。飲むようになったのはこっちに来てからなんだけど」
「……」
「みょうじさん?」
「あっ、ごめん。なんでもないの、気にしないで……」

転校生くんの魅力的な笑顔に見惚れてしまったなんて言えない。いいや、仮に口が滑ってしまったとしても転校生くんは優しいから「ありがとう」と返してくれるのだろうけど。

「そう?……言いたいことがあったら言ってくれ。遠慮はいらないから。クラスメイトだし」
「う、うん。ありがとう。……えっと、雨宮くん」
「いえいえ」

そして彼は、またにこりと音が落ちるような笑顔を見せると、次の授業の準備をする為か、前を向いてしまった。私と転校生くんの夢のような時間は終わりを告げてしまったが、不思議と虚無感はない。胸はまだ、どきどきとうるさく高鳴っている。寂しさよりも、歓喜の方が多い。
クールな顔ばかりだと思っていたのに。彼の笑顔の破壊力は凄まじいものだった。あれだけで永遠に妄想が出来る。いや、あの笑顔を向けてくれたのは夢じゃない。妄想じゃない。……全てリアルだ。

「……というか、雨宮くん。……私の名前知ってたんだ」

火照った頬を冷ますように、私は手のひらを頬に当てる。駄目だ、手まで熱を持ってしまって全然冷める気配がない。冷めることのない熱によって、私の恋心はどうしようもなく転校生くんへの、雨宮蓮くんへの好きを増していくのだ。


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