密室、不可能犯罪

サロメへ

行かないわ。

マリア

  


「なん、で、」

「へへ、ナイスショットいただきました。綺麗に写ってますよ。ペシュテさんも、物騒な念魚ちゃん達も」

 二匹の念魚が私に襲いかかってくる直前、正確にはペシュテさんのご飯の時間よ!の時には既に私の手には愛用のインスタントカメラが握られており、電源もONでスタンバイが完了していた。

 あとはシャッターを切りさえすればたちまち念魚はオーラもろとも姿を消し、三枚の写真が現像される。まさに先手必勝。やったもん勝ちである。

 ぷしっと間欠泉のように血が飛び出してきた人差し指の先っぽを、慌てて反対の手で押さえた。少し時間をおいてそっと指の隙間から覗けば、抉られた肉がてらてらと鈍く光っているのが見える。あと少し私がシャッターを切るのが遅かったらどうなっていたかはあまり考えたくない。

 カメラから出てきた写真をペラペラと軽く振ってインクを乾かし、フォーカスすると、スラスラと頭の中に念の情報が流れ込んできた。一文字一文字を頭の隅に押し込みながら主要と思われるものだけをすくい出す。


「『密室遊魚(インドアフィッシュ)』、ねぇ」


 名前の通り密室でしか生息できない肉食念魚を具現化する能力。その他にも残酷なおまけが付いているみたいだけれど、簡単に纏めればこんな感じだろうか。

 ほほう、と思わず感嘆の声が漏れた。
 これはかなり良いものがゲットできたんじゃない?
 と言うのも、現在アルバムに入っている念は防御系や補助系などの非戦闘能力が大半を占めており、戦闘に使えそうなものは雀の涙ほどしかないのだ。 よってこの念は私にとってかなり貴重なカードとなる。しかも私が動かなくても念魚自身が敵の相手をしてくれるから、その分次に何をすべきかの判断に時間を割くことができる。密室、という制約も、念魚の攻撃を回避することを難しくすると考えればプラスだ。

 そして、何より。手元の写真を眺めた。何より念魚が最高に可愛い。

 これを三回しか使えないのは残念だな、と提供してくれた本人に目を向ければ彼女はその場に力無く座り込んでおり、どうやら私が何をしたか、一体何が起こったのかをよく理解していないようだ。

 床に広がる真紅のドレス。その中心に白くて綺麗な肌が、橙色の光に照らされてぼんやり光っている。
 とっさに一輪の薔薇が頭に思い浮かんだが、何となく違うと思った。もっと、こう……とにかく、あんな完成された美しさではない。
 考えること数秒、答えはすぐに浮かんだ。そうだ。まだ学生として生きていた頃、家の庭に咲いていた椿もこんな感じだった。
 肉厚で、とろりとした紅の中に凛とした奥ゆかしさがあって、どこか不気味な、二面性のある花。
 赤色に埋もれる彼女の青白い肌は滑らかで美しい。ぞくりと肌が粟立ち、とぷんと思考が沈んだ。


(もし、この人を、)


 殆ど無意識だった。鼓動が遠い所で響き、すぅ、と私のカサついた手が無防備なペシュテさんへと吸い寄せられるようにして伸びていく。初めは遠かった距離が徐々に縮まるのをまるで他人事のように眺めていた。



 そして、あと少しで指先が彼女の首元にあたる、という所でバチッと目が合い、意識が引き戻された。


「何よ」

 思いのほか芯のある声に牽制され、ピタリと手が止まった。そして徐々に正常に動き始める思考の中で、ようやく自分が何をしようとしたかに気付く。


「あ、あー、えっと、ですねぇ……」

「何、もしかして私に変なことしようとしたんじゃないでしょうね」

「ま、まっさかあ!へは、ははははははっ」


 ははははと乾いた笑いを発しながら行き場の無くなってしまった手をその場で開いて、閉じて、また開いてをやんわり繰り返しながら思考をフルに稼働させた。反省は取り敢えず置いておいて、とにかく今は話の流れを変えなければ。


「あ、あの、ペシュテさんってずっとここにいるつもりなんですか?」

「…………だったら何なのよ。私がどうなろうと貴女には何一つ関係ないじゃない」

 ですよねぇ!と思ったことをそのまま口にすれば、悲しいかなあれだけ必死に流れを変えようと質問を絞り出したのにもう会話が終わってしまった。
沈黙が続き、どことなく気まずい空気が辺りに漂い始める。罪悪感と気まずさが肩にずっしりとのし掛かってとても重い。再び、しかもこんなに安易に人の道を踏み外そうとした自分自身に押し潰されそうだ。
 それから逃げるように、この現状から抜け出す手はないかと必死に絞り出した解決策は、「この屋敷のあらゆる所に貼り付けられた板を取らないか」という無謀とも取れる……と言うよりかなり面倒な(主に私が)提案だった。

 近すぎた距離を離し、ペシュテさんの様子をそっと伺う。濃い影が邪魔をして表情が分からないことがなんとももどかしい。


 そしてそのまま待つこと、数分。数十分にも数時間にも感じた沈黙の中、微かな衣擦れの音と共にペシュテさんがゆるりと立ち上がった。

 全部やるの。独り言のように呟かれた言葉に、全部です、と返した。