長男と奇術師

色とりどりのネオンと、沢山の人々を夢幻へと誘う影が融合する繁華街の片隅。その痛い程の光と喧騒から隠れるようにあるバーのカウンター席で、イルミ=ゾルディックは今夜会う予定の男を待ちながら酒を飲んでいた。彼が酒を口にすることは滅多に無いし、たとえいくら飲んでも酔うことは無いが、今夜は特別グラスの中身が減るペースが速い。

ーーー来ない。

彼は苛ついていた。待ち合わせの時間はとうに過ぎているのにも関わらず、男が一向に来ないからだ。こちらから呼び出したのだから多少の遅れには目を瞑るつもりだったが、いくらなんでも時間にルーズ過ぎる。

こんな所で無駄な時間は使いたく無いし、何よりそれを妹の行方を捜すことに時間をあてたい。憤りを押し付けるように手に力を込めれば、ピシ、といとも簡単にグラスに大きなヒビが入った。
いっそのこともう帰ってやろうか、そう思った時、よく知った薄気味悪い気配を感じた。


「やあ、遅れてゴメンよ」

「…遅い」

ニタリと気持ち悪い笑みを浮かべやって来たのはイルミのビジネスパートナーであるヒソカ。初めて会った時からなんだかんだで数年の月日が経っているが、如何せんイルミはこの男が苦手、いや面倒に感じていた。金払いも良く、戦闘スキルも申し分ないヒソカは非常に有益な男だ。だがそれはあくまでビジネスの面での話。人の戦っている所を観て欲情する変態っぷりは勿論のこと、すぐに嘘を吐く所もいただけない。そんな変人ヒソカはというと、やけに上機嫌である。鼻歌がうるさい。

そしてイルミの隣に腰掛けて注文を済ませるなり、イルミに数日前自分に起こった出来事を嬉々として話して聞かせたのだった。



「で、股間蹴られて苦しんでる間に逃げられたってこと?」

「そう。向こうはほぼ戦闘不能だったし、まさかあんなに威力があるとは思わなかったんだよ。お陰でボク、当分の間は不能だな」

「へぇ、それはよかった。そのまま一生使い物にならなくなっとけば?」

クツクツ笑ってねっとりとした殺気を撒き散らすヒソカに自然と眉が寄る。イルミからしてみれば、ヒソカの言う"果実"の話などどうでも良かった。全くもって無駄でしかない。あぁ、早く帰りたい。

「どうでもいいからさっさと本題に入るよ」

そうして明日実行する仕事について打ち合わせをした。打ち合わせ、と言ってもそんな大層なものでは無いが。


「OK。じゃあボクはこいつら全員を殺ればいいんだね?」

「そういうこと。じゃ、用事は済んだし俺はホテルに戻るよ」

「まぁちょっと待ちなよ」

本題が終わるなりさっさと帰ろうとするイルミをヒソカが阻んだ。無表情なイルミのこめかみに筋が浮き上がる。

「何。早く戻りたいんだけど」

「キミ、随分苛ついているみたいだけれど何かあったのかい?」

ボクで良ければ相談に乗るよ。友達だろ?と笑うヒソカにイルミは内心嘘付け、面白がってるだけだろと舌打ちした。それにイルミにとってヒソカはビジネスパートナーに過ぎず、間違っても友達などとは思っていない。が、しかし協力者は多いに越したことは無いし、何よりこの溜まった愚痴を消化するには良い機会かもしれないと再びスツールに腰を掛けた。

「オレ、歳の離れた妹がいるんだけどさ、」

ぽつりとイルミが話し始めた。どうやら随分と込み入った内容らしい。普段の彼なら絶対に語らない身内の話にヒソカは眉を上げる。

「へェ?それは初耳だ。キミの妹ならさぞカワイイだろうねェ」

「うん。女兄弟はあいつだけだったし、可愛がってたんだけど、その妹が半年前家出したきり家に帰って来ないんだ」

「ふぅん。まだ見つかっていないわけだ」

「そ。あいつ、念だけは得意でね。それを使って上手く逃げてるみたいなんだ。捜索には勿論手は抜いてないし、いずれ尻尾を出すはずだって思ってはいるけど、中々思うようにいかなくてさ」

「成る程、それは興味深い。どんな能力かは分かってるの?」

「さあ?そこもよく分かってないんだよね。確実に分かってるのは探知能力に優れた兎の耳が具現化できること。仮説止まりなのが地中を移動できること、かな」

そこまで聞いたヒソカはふと一昨日の銀髪の少女を思い出した。そしてある仮説が浮かぶ。もしかするとイルミの言う妹と自身が出会った少女は同一人物なのではないか、と。いやしかしあの少女の髪は銀髪癖っ毛な上、瞳は透き通るような蒼色だった。肌以外の色素が黒一色で塗り潰されているイルミとは全くと言って良い程似ていなかったが……。

でもまぁ聞いてみる価値はあるだろう。そう思ったヒソカは確かめる事にした。

「ねェ、写真とか持ってないの?キミの妹がどんな子か見せてよ」

「写真?今持ってるかなぁ。えーっと…あ、あった。この1番右端に写ってるやつ」

そう言ってイルミが取り出したのは家族写真。殺し屋でも家族は大事にしているのかと意外に思いつつ、ヒソカはその写真の右端に目線を移した。

ーービンゴ。

そこに写っていたのは薄いピンク色のふわっとしたシルエットのドレスに身を包んだ銀髪の少女。自分が会った時とは随分と方向性の違う服装だが、間違いない。同一人物だ。無意識のうちに口角が上がっていく。

「…ちょっと、やめてくれる?人の妹見て気持ち悪い顔するの。すっごく不愉快なんだけど」

「イルミ、この子さっき話した果実と同一人物だよ」

「は?何それ。ヒソカ、詳しく聞かせろ」

ヒソカの思いがけない一言に思わずイルミは自身の専売特許だった無表情を忘れ、凄まじい剣幕でヒソカに詰め寄った。

「詳しくも何も、詳しい経緯はさっきキミに話した通りさ。"兎の耳を生やした"少しウェーブのかかった銀髪の女の子だよね」

やっぱりボクの勘は間違ってなかった。まさかあのゾルディックの血族だったとは。再び一昨日の事を思い出し、独特のオーラを滲ませるヒソカ。ウルルの蹴りによって潰されてしまった彼の分身だが、ソレが復活する日もそう遠くはないかもしれない。

一方イルミは先程のヒソカの話を思い出そうとしていた。全く無駄だと思っていた話が重要な手掛かりになるとは思ってもいなかったので、ヒソカの果実の話など忘却の彼方だ。額に手を当て、必死に記憶の糸を手繰り寄せる。そう、確かヒソカの股間を蹴り上げて逃げたと言っていて…………ちょっと待て。

「…ヒソカ、お前さっき"向こうはほぼ戦闘不能だった"って言ってたよね?まさかウルのこと…」

「ヤダなァ。殺しては無いよ、多分」

……多分だと?

瞬間、イルミからドス黒いオーラが溢れ出した。店中の物がそれに反応してガタガタと音を立てる。まばらにいた店内の客は彼のオーラに底知れぬ恐怖を感じ、蜘蛛の子を散らすように店から逃げ出した。結局店に残ったのはヒソカとイルミ、そしてマスターの三人だけ。そのマスターも平静は装っているものの、ただならぬ雰囲気を醸し出す目の前の二人に内心逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。

一般人なら簡単に死に至りそうなイルミのオーラに臆する様子も無く、寧ろ笑みを深めたヒソカは友人を落ち着かせるべく口を開いた。

「まぁ落ち着きなよ……彼女は死んでない。トドメをきっちり刺すために加減しといたしね」

まぁ死にかけてはいるかもしれないけど、とは思いつつもヒソカはそれを口には出さなかった。言ったら言ったでそれはまた楽しいことになるかもしれないが。

「もし死んでたらお前を殺す」

「いいねェ…大歓迎だよ」

ここでようやくイルミの練がおさまった。

冷静に考えれば、暗殺の依頼無しにこの変態を殺したところで何の利益も生じないし、それよりも優先されるべき事柄があるという結論に至ったからである。

「ヒソカ、」

わかってる。そう言ってヒソカは人の良さげな笑みを浮かべた。

「勿論協力するよ。ウルちゃんを連れ戻すんだろ?」

「そ、ありがとう。じゃあ手始めに、ウルについて知ってること全部話して」

だからさっきキミに話して聞かせたんだけどなぁ。自身の果実の話にはとことん興味を示してくれないイルミに、ほんの少し寂しさを覚えたヒソカだった。

▽ ▲ ▽

「厄介だな」

イルミはヒソカから得た情報を頭の中で整理し、そう呟いた。

兎の耳の役割と制約、対象の動きを数秒間極端に遅くさせる能力、そしてオーラの絶対量と身体能力を飛躍的に上げる能力。ソースがヒソカなのは非常に不本意だが、これらの情報は貴重だ。これで妹と接触できる確率はぐんと上がっただろう。しかし、それでもウルルの能力は厄介としか言いようがない。家を出てからのウルルの逃げっぷりを見るに、彼女と接触した際に彼女が大人しくこちらの言う事を聞く可能性は低い。そうなった場合は彼女を失神させることで家族の意見は合致しているが、……果たしてスムーズに行くだろうか。一瞬の隙が生まれるだけでも大きい。数秒もあれば、逃げ出すことくらい造作もないだろう。
険しい表情をするイルミを見て、ヒソカが喉の奥で笑った。

「まさに逃げるための能力ってカンジだよね。…キミ、というかキミ達家族はウルちゃんに何か嫌われるようなことしたの?」

「何言ってるの。そんなわけないだろ。正直一番可愛がられていたよ、あいつは。何でそんなこと聞くんだよ。ていうか妹のこと馴れ馴れしく愛称で呼ばないでよ。虫唾が走るから」

どうやらイルミは家族のこととなると感情の振れ幅が大きくなるらしい。嫌悪の表情を隠しもしない彼に、心が狭いなと思いつつ、ゴメンとヒソカは心にもない謝罪をして続けた。

「発は自身の心の奥底にあるものが顕著に表れるものだろう?ここまで彼女の念が逃げる事に特化しているなら、それ相応の理由があるはずだ。でなきゃ、そもそも家出なんてしなかったんじゃないかな」

何かないの?
そう言って愉しげに笑う奇術師に促され、イルミは再び記憶の糸を手繰り寄せる。カランとグラスの中の氷が音を立てた。

「……ひとつ、思い当たることがある」

「へぇ?」

「"殺しが嫌だから"逃げ出した。…そう、理由があるとしたら多分それだ。ウルルは殺しに関しては真っ向からオレ達家族に反抗していたからね。弟には兎の魔獣の故郷に帰るからとか言ってたらしいけど。あーーー参るな。オレ達が甘やかし過ぎたのが駄目だったのかもね。なんでもっとちゃんと躾をしなかったんだろ」

そう言いながら服に刺さっている無数の針の中の一本を指先で弄ぶイルミを見て、ヒソカは彼の妹の家出の理由が殺しが嫌なだけでは無いことを悟った。あの念にはもっと何か別の思いがベースになっている気がする。そう例えを挙げるなら、今隣で針を弄っている男を始めとする家族に対して抱いた危機感や恐怖心、とか。

「まぁいいや。ヒソカに手傷を負わされたなら、あいつもそう遠くには行ってないだろう。父さんやクロロにも来てもらって捕まえるのに協力してもらおう」

「えっ」

携帯を取り出し電話を掛けようとしたイルミにヒソカが待ったをかける。

「彼も…クロロも来るの?」

「ん?あぁ、そうだよ。ウルの念能力を盗ってもらうよう頼んであるんだ」

「…いいのかい?」

発、それは先程ヒソカが言ったように自身に潜在している思いが根本になっている。一度作れば微量の修正及び調整こそできるが、発を封じられた上でまた新しく別のものを一から作るのはメモリーの面から言っても不可能に等しい。
あの子の、ウルルの念は使い用によっては大きな武器になる。暗殺は戦闘とは違う。どんな過程であれ、文字通り殺せば勝ちなのだ、暗殺は。彼女の頭を針で少し弄るだけでも十分立派な殺し手としてやっていかせられるだろう。ここでヒソカはようやく理解した。イルミにとって、ウルルが暗殺者になるかならないかはどうでもいい事柄であることを。
彼はただ、……

「幸い他の弟達が優秀だからウルルがいなくても仕事は回せるしね。あいつはオレが管理するよ」

イルミは自分が妹を甘やかしてしまったせいでこんな事態になってしまったと歯がゆく思っていた。それにウルルが家を出てからというもの、次期当主候補筆頭であるキルアがやけに反抗的な態度を取るようになっている。今月だけでもペナルティとして独房に入れられた回数は両手では足りない。自分が特に目に掛けている存在程思い通りにならないのは一体どうしたものだろうか。
キルアの為にも一刻も早くウルを見つけ出し、彼女の逃げる術を奪ってから頭の奥深くまで針を刺そう。沢山ある針の中でもとびっきりのやつを。オレに従順な可愛い人形にしてやろう。二度と外へ出るなんて馬鹿なことを考えさせないように。

針を見つめ考えるイルミをよそに、ヒソカもまたこれからの算段を練っていた。思い描いているのは、額に十字の刺青を入れ、不敵な笑みを浮かべる男。焦がれに焦がれた彼と対峙する様を思い浮かべれば、ヒソカの体の隅から隅まで甘美な痺れが襲う。じゅる、と内心で舌舐めずりをした。これは千載一遇のチャンスだ。うまくいけばイルミとクロロの両方と闘れるかもしれない。

ヒソカは、件のイルミの妹を気の毒に思ってはいた。なんせ近い将来、今自分の隣に座っている男に全てを奪われ、おそらく今後ずっと閉鎖された生活を送る彼の人形と化してしまうのだから。哀れとしか言いようがない。
しかしそれとこれとは話が別だ。こちらとて美味しい果実を一度に複数個味わえるチャンスを逃すわけにはいかない。彼女を上手く使って良い所まで持っていかないと。

妹に異常な執着をみせる男と自分が楽しめる方へ事を進めようとする男、それぞれの思惑が交錯する中今夜はそのままお開きとなった。


二人が店を後にした途端、マスターの緊張が解けてそのまま気絶したとかしなかったとか。