※大学生設定
「あ、」
おはようとはほど遠い夕方に目覚めて、トイレに行こうとしたら金魚鉢の中で金魚が浮いていた。真っ白な腹を上に向けて水面をゆらゆら漂う。死んでる、と寝ぼけた頭の片隅で思った。小振りの金魚鉢に一匹だけ泳いでいたそれは、この間縁日で掬ってきたものだ。早く死んでしまうよ、と精市に念を押されていて覚悟はしてたが なんだかやりきれない気持ちが広がる。とりあえずトイレにいって朝食をとろうと私はその場を離れた。
しばらくして再び金魚鉢から掬ったそれはぐったりという表現がぴったりで、手のひらの形に合わせて横たわる。さあどうしようか、どうしようかといっても埋葬するしかないのだけど、ここはコンクリートジャングル東京で、アパート暮らしの私には神奈川の実家のように自由に埋められるも庭なければ土もない。どうしたものかと考えるが 土のある場所を探すところから四苦八苦である。金魚を鉢に戻してベランダに出れば近所の公園が目に入った。今の時間は6時半。子どもはとうに家に帰る。よし、決まりだ。化粧台にあるヘアピンの入っているケースの上蓋を外して中身を全て取り出す。透明に透き通るそれをポケットにしまって今度は台所へ。冷蔵庫から取り出したバーアイスをぺろりとたいらげて、乾かす。それから油性のマーカーを探す。全ての準備が調ったところで 金魚鉢に浮く彼だったのか、彼女だったのか分からないそれをすくい、部屋を飛び出した。片手にアイスの棒、サインペン、ヘアピンケース。もう反対の軽く握った手に金魚の死体を持ってエレベーターに乗る私は他の人からは変な人に見えただろう。誰にも会わなかったのだけど。それから公園までの僅かな道を走る 。生け垣の間にいいスペースと手頃な石を見つけて、地面を掘る。相当集中していたのか、肩を叩かれ、びっくりして振り返った。もう辺りはすっかり暗い。
「なにしてるんですか、お嬢さん?」 「うわっ精市か!びっくりした〜」
精市は私と、土を敷いたピンケースに入った金魚を交互に見て、「埋めるならそのまま土に埋めてあげたら?」と言った。
「やっぱそう思う?いい棺桶だと思ったんだけど。」 「やっぱりそういうつもりだったんだね。プラスチックだから土にかえるのが遅くなってしまうよ。」
そうだね、可哀相。と返して私は掘った穴に金魚を横たえた。さようなら。土をかけるとオレンジと黄色に輝くそれはすぐに見えなくなった。アイスの棒にサインペンで金魚の墓と書いて刺した。特に名前はつけないで金魚って呼んでたから。いらなくなったヘアピンケースはごみ箱に投げ捨てた。水飲み場になぜかおいてあった石鹸で手を洗って、それから それを眺めていた精市の隣りに並んで部屋へと歩き出す。
「なんかね、変だなと思って」 「なにが?」 「私たちは今まで飼ってる虫とか、犬とか死んだら土に埋めるのが普通だったでしょ」 「うん」 「でもここにはそんな場所どこにもないんだなって」
アパートのエレベーターは私と精市を乗せて上へあがる。ふたりでこうやってよく病院のエレベーターに乗ったことを思い出した。あそこにはもっと土があって、緑があって。東京にだって土とか緑とかはあるんだけど 山の深い緑とか、雨上がりの校庭の犬っぽいにおいだとかが懐かしい。
「前はあんなに東京にきたいって言ったのに、変な気持ち」 「人間ってないものねだりだからね」
ドアを開けてくれた精市の顔を眺めて、いたらはやく、と急かされる。振り向き様に見た向かいのアパートでは親子がちょうど食事をとっていた。
「あのこたちはどうするんだろうね」
そう言うと、閉め始めたドアの隙間から私の視線を追う。あのこたちは、自分の可愛がっていたものが死んだときどうするんだろうか。聞いても意味がないけど、知っても意味がないけど、気の毒に思えて思わず口からこぼれた。ガチャンと音がしてすこし暗くなった玄関に澄んだ声が響く。
「まず知らないんだよ。あのこ達は。ものを飼うってことがないから、大切なものを亡くす悲しみとか、喪失感とか。」 「なにも」 「そうなにも。悲しみを知らない分、自分より小さな命のかわいさも知らない」 「それってなんだか可哀相」 「そうだね。」
からっぽの金魚鉢の水がぴちゃんと揺れて金色が跳ねた気がした。湿った手が気になって私はもう一度石鹸で手を洗った。
20100826 小早川へ 相互ありがとう(はぁと) これからもよろしく(はぁと)
千鳥足のロンドの凍華から深い深い幸村のお話をもらいました!えッ、暑中見舞いじゃなくて相互記念だったの!?(笑) こんなふうに酸いも甘いも悟ってる幸村大好きです・・・ありがとう!
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