初めてのお使い(跡部) | ナノ

「次。店のヤツに絡まれたら取り敢えず無視だ。それでもしつこかったら何か買って黙らせるか店を出ろ」
「買うの?」
「そうだ。庶民商売の醜いしつこさは油断ならねえ。厄介事を避けるのが優先だ」
「分かりました!」
「よし。じゃあさっき言ったこと最初から暗唱してみろ」
「はい!お肉は国産の一番高いのを買う。野菜は必ずユウキサイバイのものを買う・・・」



・・・うすら寒い。

私は一時間以上も繰り広げられている旦那と六歳の娘の不毛なレッスンをげんなりと見つめた。

「ねえ景吾くんもういいでしょ。このペースだと本気で日が暮れそうなんだけど」
「アーン?最後の最後で気を抜いたら元も子も無えんだぞ。分かってんのか」
「いやだから・・・たかが近所のスーパーにお使いに行くだけでしょうが!」



1週間前。この春めでたく氷帝学園幼稚舎に入学した娘が、夕飯の時にいつものように学校での出来事を報告したことが全ての始まりだった。

『クラスの子はみんな一人でお使いしたことあるんだって。したことないのあたしだけだった。あたしもお使いしたいな!』

これは少なくとも跡部家にとっては激震だった。跡部景吾の娘への耽溺ぶりは社交界でも広く有名である。どうやら本人は無自覚らしいが、自分に似て色白で碧眼の娘をそれこそ目に入れても痛くないほど可愛がっている。髪の色だけは私譲りで黒っぽいのだけど、そこがまた大和撫子らしくてたまらないらしいのだ。親バカもここまでくると清々しい。

そんな景吾にとって小さな愛娘を一人で外に出すなんてもっての他で、その前にまず景吾本人にお使いと呼べる経験が皆無だった。散々思いとどまらせようとしていたけど娘の可愛いく粘り強いおねだりに根負けしてた。結局父親の努力虚しく、晴れて今日跡部家ご令嬢の初めてのお使いは決行されることとなったのだが。


「それにしてもこの『スーパーまるやま』って何だ?こんなとこで買い物して何が楽しいんだよ」
「ちょ、聞こえるでしょ!」

身も蓋もないことを言い出した景吾の口を押さえて慌てて娘を振り返る。幸い彼女はにこにこしながら買い物メモを眺めていた。ちなみにメモ内容はジャガイモとニンジンと玉ねぎ、牛肉にカレールー。父親は基本的にシェフ任せだが私はこの子にだって料理を教えたいのだ。キョトンとしている景吾に低く耳打ちする。

「この辺の子はみんなあそこにお使いに行くの!登竜門なの!私だって最初はスーパーだったし。小学生は高級ブティックなんかに行かないの!」
「だとしても一人で出かけるなんて危ねえだろ。不審者がザラに出る時代だぞ」
「そのためにアンタがSPを50人も設置してるんでしょうが!」

本当に信じられないことだが、景吾はこのプロジェクトに実家のSPをわんさか投入している。ざっと50メートルに一人は見張りがいる計算だ。ここどんな危険地区?一般人に紛れさせていると言っても非常識極まりないがそもそもこの男に常識はない。おまけに子どものことに関しては頑固なので一度決めたらてこでも譲らない。


「んだよ、今日はヤケにつっかかるじゃねーか」
「私は普通のことを言ってるだけなんだけど!」
「・・・・・・ハッ、さてはお前」

景吾がするりと私の腰に腕を回した。耳元で甘く、低く囁く。

「娘相手に妬かなくたって夜には構ってやる。駄々こねるんじゃねえよ」
「・・・・・・」


インサイトは?





「行ってきまーす!」
「行ってらっしゃい!車に気をつけてね」
「何かあったらすぐ携帯鳴らせよ」

午後3時、娘は意気揚々と出掛けて行った。彼女が角を曲がるとすぐに景吾はリビングに舞い戻りモニターにかじりついた。映っているのは娘の髪飾りに付けた小型カメラの映像である。つくづく呆れた。お茶でも淹れてこようかと立ち上がったら「お前も見てろ」と肩を抱かれて拘束された。

「画面が酷く揺れるな」
「スキップしてるの。最近わくわくした時のクセだから」
「ハッ、可愛いもんじゃねえか・・・。っ!止まった」

確かに上下運動の激しかった画面がぴたりと止まった。そして映し出されたのは、


『なんや跡部かいな』
『あ!忍足くんこんにちは!』

「アン?忍足だと!?」
「ちょっ落ち着きなよ!」

棒付きアイスをかじりながら現れたのは黒髪で関西弁の少年。紛れもなく景吾と私の同級生・忍足侑士のせがれだった。何の因果か今娘と同じクラスである。

『こんなとこで何しとんねんお嬢様』
『スーパーまるやまにお使い!お父さんにいっぱい頼んでやっと行かせてもらえたの』
『・・・お使いってこっちが頼みこむもんやったっけ』

さすが忍足くんの息子、冷静だ。私が感心している横で景吾はどんどん不機嫌になっていく。「よりによって」とか「タラシの血が」とか何とかぶつぶつ言っている。


『ああ、せやった』

忍足ジュニアがかじりかけのアイスを画面に差し出した。つまり娘に。

『これ俺もさっきまるやまで買うたんやけど、当たり出たから戻っとったとこやってん』
『あ!ほんとだ!当たりだすごい!』
『おん。もういらんし、跡部にやろか?』
『え、いいの!』
『ええよ。ついでにこれ食うか?俺頭がキーンてなってもうた』
『うん!』


ガターン!

嫌な予感がしたと同時に景吾が勢いよく立ち上がった。

「あの、所詮子ども同士のことだし」
「・・・っざけんじゃねーぞあの眼鏡ヤローが・・・人の娘たぶらかしやがって」
「いや、息子さん眼鏡してない」
「フン、血は争えねえんだよ。もう我慢出来ねえ」

そう言って景吾は深めのハットを被りジャケットを羽織った。何をしているのかと思えば私にも全く同じモノを差し出す。

「行くぜ」
「は?」
「バカか、尾行に決まってんだろ尾行」
「え、な、何で?」
「見張りがいたってナンパされてんじゃ意味ねえだろ。俺たちでやる。んで帰りにアイツと3人でカフェにでも寄ればいいじゃねえか」


それもう尾行でもお使いでもない。

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