幸村精市に嫌悪感を抱いているという点で、私は人類の中でも稀少な部類に入るのではないかと思う。テニスで彼と試合しなければならない人たちはどうだか分からないが、幸村精市はたいていの男子に羨望され、またほとんどの女子をクラクラさせることができる男だった。ただ一つ補足しておくとすれば、私は幸村精市だけでなく地球上のおおよその人間を、消えてしまえばいいと思っている。



午後最初の授業が始まる寸前、私は慌ただしく自分の席に着いた。ロッカーから取り出したばかりの教科書を机に叩きつけるように落とすと、隣の席の幸村精市がチラリと私の方を見た。その瞬間チャイムが鳴るが、まだ先生は来ない。


「何かあったの?」

幸村精市は気軽な口調で私に話しかけた。特に仲良くもないのに声なんてかけてくるな。私はつっけんどんに「どうして」と返した。質問に質問で返すことは無礼だが、幸村精市が相手だから関係ないのである。

「君、イライラしてるみたいだったから」
「別に何でもない」
「そう?」

何でもないのだ。あんたに誕生日プレゼントを渡すために教室に群がっていた女子たちのせいで、私が昼休みの間中ずっと席に着けなかったことなんて、あんたをはじめこのクラスの人間には何でもないことなのだ。だから私に関わるなと、むしゃくしゃしてそう言いそうになった。私は今日一日、あんたを隔離しておきたかった。いい迷惑だったよ。

つまり私は他人に自分のために退いてくれとさえ頼めない系のコミュ障であり、ついでに友達と呼べる存在が一人もいないぼっちであり、さらに言うと自分以外の人間に心の中で難癖つけて見下すのが趣味な厨二病患者であった。


幸村精市は私の不躾な態度など全く意に介さなかったように笑っていた。慣れているのだろう。このクラスで私に普通に話しかけてくるのはこの男だけだった。こいつは私の栄光ある孤独を邪魔するのだ。彼は涼しい顔で「あ、そうだ」と付け加えた。

「君、いつも最後まで教室にいるよね」
「だから何」

私の日課は放課後の誰もいない教室で一日の出来事と嫌なクラスメイトの顔を思い出しながら日記を書くことだった。

「ごめん、今日ちょっと教室を使いたいから、俺に戸締まりさせてくれないかな?」
「・・・いいけど」
「ありがとう。あと、次の教科は歴史だけど君が今持ってきた資料集は地理だよ」
「っ・・・!」


私は立ち上がって肩をいからせながらロッカーへ向かった。資料集を替えた後席に戻ると、幸村精市はまだ笑っている。


だから嫌いなんだ、幸村精市は!いい子ちゃんで、親切で、正しい。その上綺麗で成績も良く、テニスも強い、学校一の人気者ときた。どこか浮世離れした完璧人間だ。

彼を見ているときは一際、私は自分が惨めでたまらない。


私だって最初から友達がいなかったわけではない。中学に入った頃には快活な女子のグループに所属していて、それなりに仲のいい子たちがいた。だが些細なきっかけでグループの中心の子と喧嘩になり、結果グループを締め出された。グループの他の誰も、私に寄り添ってはくれなかった。段々それがクラス中に広がり、私はみんなに無視されているに近い状態になった。

私は寂しさを悟られまいと強がって、孤独を自ら選んでいるフリをするようになった。人には刺々しく当たり、話しかけるなオーラを出すことに執心した。私はただ「可哀想な人」扱いをされたくなかったのだ。本当はこれ以上人と関わって傷つくのが怖いだけなのに。それが2年生に進級してからも続いたので、友達なんてできるはずもなかった。


一匹狼を装いながら、心はずっと血の涙を流していた。友達と楽しそうに笑っている人たちが憎かった。青春を謳歌している人たちが憎かった。とりわけちやほやされているテニス部は憎さも人一倍だった。人気者の彼らは私みたいな人間には完全無欠な存在に見えた。

二年生までは幸いクラスにテニス部はいなかった。しかし三年生でまさかの部長と同じクラスになってしまった。ずっと入院していて、夏頃復帰した彼はいつも人に囲まれ楽しそうだった。入院中もよくお見舞いが来ていたらしい。私が二年生の秋に骨折で入院したときは当然誰も来なかったから、私は幸村精市がすぐに大嫌いになった。

彼は他の人と違って私にも分け隔てなく話しかけてくる。それが哀れまれているみたいで屈辱だった。自分が最低な思考の人間だと分かっている。でも誰にも相談できず、心の傷は深まるばかりだった。

毎日、その日一日をどうやってやり過ごすかだけを考えていた。虚しい。生きていても何も楽しいことがなかった。卒業まであと一歩のところまできた今、自分の中学時代を振り返っても痛みしかない。高校は転出することも考えたが、どうせ今さら人と関われる気もしない。パッと消えてしまいたかった。私が消えるか、私の周り全てに消えて欲しかった。

そういうことをひたすら綴ると、日記はすぐに真っ黒になっていった。




最悪だ。どうして今日に限っていつもの日記を机に忘れていったんだろう。校門まで歩いたところで過失に気付き、慌てて来た道を引き返しながら、私は落ち着かない気持ちだった。愚痴の掃き溜めであるあの日記を見られるわけにはいかない。人生が本当に終わる。

幸村精市は教室で何をしているんだろう。部活の集まりなんてしてたらとてもじゃないけど取りに入れない。どうか違いますように・・・祈るように教室を覗くと、拍子抜けした。中には幸村精市だけだった。


もう誰もいない教室の中で、幸村精市が一人、机にもたれるようにして立っていた。前の席にはビデオカメラがセットしてある。夕日が彼の顔を柔らかく照らしていた。いつ教室に入ろうかとやきもきしていると、幸村精市は小さく咳払いして、穏やかな笑みを浮かべた。そしてそのままビデオカメラに話しかけた。


「こんにちは、未来の俺。今の俺は中学三年生、そして今日が十五歳の誕生日だ。もうすぐ卒業ってことで、丸井が提案してみんなが未来の自分にビデオレターを撮ることになったんだよ。DVDに焼いてタイムカプセルみたいにとっておいて、十年後か二十年後か、将来みんなで集まって上映会するんだって」


そういうことらしかった。なんとも仲良しこよしで楽しそうな青春満開の企画ですね、と私は心の中で舌打ちした。そんなDVD、いつの間にか存在まで忘れられてしまえばいいのにと思った。

すぐ側にこんなひねくれたことを考えている人間がいることなど知らない幸村精市は、口元に微笑をたたえたまま軽く目を閉じた。

「こういうの、いざ自分がやるとなると照れくさいものだね。でもせっかくだから、未来の自分に一番伝えたいことを残してみようと思う」


「えっ・・・」

ぎょっとした。幸村精市ははらりとブレザーを脱ぐと、おもむろに制服のシャツのボタンを外し始めた。下着を着ていないらしく、少しずつ、素肌が露になっていく。どういうことだろう、幸村精市には露出癖でもあるのか。それとも自分の自慢の身体を残したいとか?大人しい顔してなんてヤツだと思いつつ、私は食い入るように彼を見つめていた。

そうして幸村精市はボタンを全て外した。胸から腹部にかけての白い引き締まった身体が見てとれた。そしてその雪のような肌に残っていたのは、ドキリとするような痛々しさの、赤い・・・・・・


手術痕だった。





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