ホロスコープ1 | ナノ


週をまたぐと飛行訓練までの時間が迫っているのをひしひしと感じた。嫌なものが待ち構えている時ほど時間が速く進むとはよく言ったものだ。アルバスは飛行訓練までにちょっと練習しないかと誘ってきたが、私とローズは頑なに拒否した。先生がいる時に乗った方がまだ安全に決まっている。


その上月曜日の魔法薬の授業も最悪だった。途中までは前回より良くやれていたと思う。だが爪生え薬の入った大鍋に昆布を投入するとき、つい勢いよくやってしまい、原液がスコーピウスの滑らかなブロンドに激しくかかってしまったのだ。スコーピウスの前髪は数十センチ伸びた上にカチカチに固まった。


「・・・昆布を入れる時は」

スコーピウスは爆発寸前だった。いつもの青白い顔に赤みが差していた。

「細長く切って一枚一枚入れろと黒板に書いてあるはずだ!」
「ごめんなさい・・・」
「君は字が読めないのか?!ここでは英語の授業なんて無いんだからな!」

今度こそ決定的に軽蔑されたに違いなかった。スコーピウスが口をきいてくれないので、私はなんとかしようと後片付けを買って出た。スコーピウスの大鍋は特に丁寧に洗ったが、彼の態度は変わらなかった。


「でも、マルフォイもちょっと酷かったと思うわ」

授業の帰り、ローズが慰めるように言ってくれた。

「少し見てたけど、ジゼルは昆布のくだり以外は模範的にやれてた。それに髪だからまだマシだったのよ。簡単に切れるし伸ばせるから。爪も髪と同じく皮膚だものね。もし目なんかに入ってたら・・・」
「ロージィ、それは言わない方が良かったよ」

私の青ざめた顔を見て、アルバスがローズをたしなめた。



矢のように時が経ち、とうとう飛行訓練の時間がやってきてしまった。校庭に一列に並んだ箒を見たグリフィンドール生とスリザリン生の緊張が空気で感じられるほどだった。ローズは「でも、今日は風が無いわ・・・」と一人でぶつぶつ呟いていた。

颯爽とやって来たマダム・フーチはまず生徒に箒を浮かばせることから始めた。手を箒の上に突き出して「上がれ!」と言うだけだったが、それすら出来ない生徒は私だけでは無かった。少し気が楽になった。


そこで安心したのが間違いだった。時間をかけて初歩的な飛び方を教わると、少し自由に飛んでもよいと許可が出た。アルバスはたちまち空高く飛び上がった。箒の存在を感じさせない、目の覚めるような飛行だ。そしてスコーピウスもヒラリと華麗に箒に飛び乗ると、スイスイとアルバスのいる高さまで上がっていった。素人目で見る限りいい勝負だ。

ローズの箒はどうやっても五十センチ以上浮くことが出来ず、他の同じ症状の生徒と一緒にフーチ先生が付きっきりで指導しなくてはならなかった。上手く飛べているのはやはり経験者が多かった。


私は覚悟を決めて箒に跨がった。大丈夫だ、私は高所恐怖症でもなんでもないし・・・地面を蹴ると、箒はフワッと五メートルくらい浮き上がった。どんどん小さくなるローズの姿に内心小躍りしそうだった。


「飛べるじゃないか!」

なんと今まさに空中宙返りを成功させたアルバスがハイテンションで私に声をかけた。

「もっと上まで来るかい?」
「ううん・・・ちょっとこの高さで練習しようかな」
「それが賢明だよ」

不意にスコーピウスが現れた。箒の上なのにまるでソファーに座っているみたいに態度がでかい。スコーピウスは私をせせら笑った。

「だがもう少し降りた方がいいんじゃないか?君みたいなトンマはせいぜい落ちても骨を折らない高さで飛ばないと・・・校医の仕事を増やすことになるよ」
「マルフォイ、ジゼルに失礼だぞ」

アルバスが割り込んだ。スコーピウスは見るからに痛ましいといった表情を作った。

「ポッター、君もこいつと組んでみれば分かる。どんくささは折り紙つきだ。周りの人間まで巻き込むからね」
「それくらいにしておけよ!」

アルバスとスコーピウスの間に見えない火花が散っていた。二人は絶妙な距離を取りながら高度を上げていった。私はしばし呆然としていた。自分のトロさが他人の喧嘩の元凶になるとは・・・

でもいつまでもこのままではいられない、練習しないと。私は失敗を見られたくないという思いから、みんなと少し離れた場所までそっと移動し、徐々に高く上る練習をしようとした。


「高いところから眺めるって、いい感じ・・・!」

清々しい気分だった。上半身はグラグラと安定しなかったが、箒は支障無く浮いた。遠くでは何人かの生徒たちが直線での速さを競っていた。七メートルまで上がったとき、これはいけると思っていた。その時、猛スピードで飛んできた鳥が、私の耳を掠めるまでは。


「ひっ・・・」

怖い。瞬時に血の気が引いた。すると突然箒が暴れだした。右に左にとジグザグ進路を変えながら凄まじいスピードで上昇していく。焦りで手が滑った。ホグワーツの五階を優に越えた。死ぬ。このままだと死ぬ。箒は完全に私の制御を離れていた。恐怖で目が眩んだ。どこかで小さく悲鳴が聞こえた気がした。自分自身の声にならない叫びだった。

箒はまだ上昇していく。手がワナワナ震え、その拍子に私は右手を離してしまった。体勢を崩し、箒に片手で宙ぶらりんの状態だ。いっそ失神したかった。これを夢だということにしたかった。汗をかいた左手がぬるぬると滑る。それに私は自分の体重を支えるための筋力すら無かった。全身で震えていた。


そして左手も離れた。地球の重力をその身で感じ、私は死を悟った。






「ぐっ・・・!」
「・・・・・・えっ・・・・・・」

ところが私は死んでいなかった。落ちてすらいなかった。私の伸びた左手を、スコーピウスが箒から身を乗り出してがっちり掴んでいた。何が起きたのか分からない。これが現実かも分からない。ポカンとする私に、スコーピウスは脂汗の浮いた顔で怒鳴った。

「なにボケッとしてる!」

スコーピウスの額にはくっきりと血管が浮き立ち、歯は力一杯食いしばられていた。

「右手も伸ばせ!!」
「はっ、はいいい!!」

だが宙ぶらりん状態で右手を上げるのはとんでもなく難しかった。スコーピウスが舌打ちして、渾身の力をこめて両手で私の左手を引っ張り上げ、そのまま抱きかかえるように私の脇腹に手を差し込んだ。スコーピウスの箒はフラフラと揺れながら少しずつ下降し始めた。


遥か下からマダム・フーチの金切り声が聞こえた。

「マルフォイ!ゆっくり!ゆっくりですよ!下にクッションを用意してあります!ゆっくり!!」

スコーピウスにも私にも答える余裕が無かった。ただ箒は着実に下へ下へと降りていっていた。私はスコーピウスの身体に必死でしがみつき、ずり落ちそうになるのをスコーピウスが抱き寄せるようにして支えた。私はスコーピウスの顔しか見られない。無理な体勢で筋力が限界であろうスコーピウスは、今や真っ赤な顔で、ブロンドが汗で額にへばりついていた。


やがてブラブラしていた足が何かに着地するのを感じ、私はドサッと巨大なクッションに倒れこんだ。続いてスコーピウスも崩れ落ちた。生徒がワッと駆け寄ってくる。私の心臓はドクドクと早鐘のように鳴っていた。今、間違いなく、私は、死にかけた。


「ああ、ジゼル、ジゼル!!」

一番に駆けつけたロージィが涙ぐんだ声で叫んだ。

「怖かった、怖かったわ!あなた四十メートルは上がってたのじゃないかと思ったわ!どうしてあんな遠くを飛んでいたの?」

返答したくてもガタガタ震えて歯の根が合わない。その時私は、スコーピウスにまだしがみついたままだったことに気付いた。

「もうダメかと思った」

アルバスは息を切らしていた。

「僕が見つけたとき、君はすっごく遠くにいて・・・」
「ミスター・マルフォイがあなたを捕まえなかったら間違いなく死んでいました!」

フーチ先生の声も震えていた。

「私が他の生徒に気を取られていたのも災難した・・・なぜ下手くそなのにあんな無茶苦茶をしたの!?グリフィンドールはニ十点減点!ミスター・マルフォイ、立てますか?」


スコーピウスはよろけながら起き上がった。酸欠状態か、さもなくば脳震盪のように見えた。いつもの取り巻き二人をはじめ、スリザリン生が騒ぎ出したが、スコーピウスはブロンドが乱れているのも構わずギラギラした目で私を睨み付けていた。


「ミスター・マルフォイ、よく一人の生徒の命を救いました。スリザリンには四十点あげましょう。本当によくー・・・・・・」
「だから言ったんだ!!」

スコーピウスは聞いちゃいなかった。そのあまりの剣幕にフーチ先生ですら度肝を抜かれたようだった。スコーピウスは気の立った山猫みたいにフーフー肩を揺らしていた。

「だから言ったんだ!君みたいなトロいヤツは低いところにいろと!言ったんだ!!それなのに!!!」
「わた、わたし・・・」
「四十メートルの高さで箒から手を離すなんて、君の脳ミソはトロール以下か!!」


取り巻きの二人すら口をあんぐり開けていた。私は気が動転して、パクパクと無駄に口を動かした。

「あの、あの・・・ごめんなさい・・・」
「僕は目の前でグチャグチャの死体を見たくなかっただけだ!!」

周りの生徒にはスコーピウスが絶賛噴火中の活火山に見えているに違い無かった。腰を抜かしてクッションにへたりこむ私に向かって、スコーピウスは威嚇するように叫んだ。

「金輪際―――箒には―――乗るんじゃない!!一人で乗ることは自殺だと思え!!」
「は、はいっ!!」


このタイミングで授業終了を告げる鐘が校庭に響いた。スコーピウスはまだ肩を怒らせながらクッションから飛び降り、ズンズンと城に向かって大股で歩いていった。呆気に取られていたスコーピウスの取り巻きがハッと我に返ってその後を追いかけた。それ以外の面々はまだショックから戻ってきてはいなかった。

脚がガクガクする私を介助しながら、アルバスが考察を述べた。

「助かったのは本当に奇跡だよ。マダム・フーチはスリザリンの女の子を見てたし、遠すぎて、誰もジゼルに気づいてなかった。マルフォイってどれだけ反射神経がいいんだろう」
「反射神経とかじゃないと思うわ」

落ち着きを取り戻したローズが話し始めた。

「私はね、あなたが落ちそうになったとき三メートルくらいのところで見てたの。あまりのことに声が出なかったし、動けなかった・・・。でもあなたが両手を離すより速く、スコーピウス・マルフォイが飛んできたの。あなたが箒から落ちて五メートルかそこらで捕まえたわ」

私はやっと声が出るようになり、「そ、それで・・・?」とオドオドと訊ねた。

「ジゼル、咄嗟に気付いての反応じゃあアレは出来ないわ。彼は多分ずっとあなたのことを気にかけていたのだわ。きっと今にも落ちるんじゃないかってハラハラしながら見てたのよ」
「そんなわけ・・・」
「あるわ。私が思うに、彼、あなたが魔法薬で頑張ってたの分かってたんじゃないかしら」
「あり得ないよ、ロージィ・・・」

そう呟きながら、私は小さくなるスコーピウスの姿をじっと見つめた。スコーピウスが私を気にかけていた?絶対あり得ない・・・朝晩が逆転するようなものだ。

でもはっきりしていることがある。スコーピウスが私を助けた。私は彼に、お礼すら言えなかった。


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