ホロスコープ1 | ナノ
スコーピウスの形の良い眉がピクリとはねた。スコーピウスはカメラを目で追い、彼の腕を抑えたままのフィルチに侮蔑の表情を向けた。
「そんなこと出来ないはずだ。カメラは禁止されていない」
「自分の行いの悪さを悔やむんだな。これは見せしめだ」
「寮監に言いつけるぞ!」
「やってみな。先生だって話を聞けばお前の無礼さを嘆くだろうさ」
私にはスコーピウスがスラグホーン先生に頼るとは思えなかった。プライドが高い彼のことだから、むしろ自分が管理人に捕まえられただなんて絶対に口外しなさそうだ。スコーピウスはギラギラした目のまま薄い唇を噛んだ。
私はスコーピウスへの怒りも忘れ、何も言えずに黙っていた。ぶつかっただけで持ち物を没収だなんてやりすぎだと思ったけど、フィルチの横暴さは上級生から嫌と言うほど聞いている。下手に反抗すればもっと酷い仕打ちを受けるかもしれない。
対してフィルチは今が至福の瞬間とばかりに輝いていた。満面の笑みでカメラを見つめ、舌なめずりでもしそうな雰囲気だった。
「さあ、どうしてくれようか。今回のチビはなかなか反抗的だ・・・前のグリフィンドールのチビみたいに事務所に忍びこまれては敵わんからな・・・。ああ、名案が浮かんだぞ。禁じられた森に隠してやろう」
「なに!?」
スコーピウスが噛み付いた。私は戸惑いながらも、「グリフィンドールのチビ」が誰なのかぼんやり察しがついていた。
「森だなんて、壊れたらどうするんだ!」
「俺はどうもしないぞ」
フィルチがスコーピウスを見下ろして言った。年を取ったフィルチは背骨が曲がってはいたが、スコーピウスよりは僅かに目線が高かった。
「お前のような生意気な小僧どもを見過ごしていたら大変なことになると俺は何十年も前に学んでな。心配せずとも夏休み前には返してやるさ。その時にこれがまだカメラの形を残していて、なおかつ俺が隠し場所を覚えていたらな・・・」
フィルチは乱暴にスコーピウスの手を放し、カメラを持って満足げに去って行った。残された私たちはその場に立ち尽くし、はたとお互いを見た。飛行訓練の時程ではないにしても、スコーピウスはハッキリと激怒していた。
「アイツ、どういう神経してるんだ!?たった一回ぶつかったくらいで僕を問題児扱いして!」
「スコーピウスがあんなに走るのがいけないんだよ」
私は控え目に言った。スコーピウスの態度も悪かったけれど、同じ生徒として彼には同情を禁じ得ない。勝手に写真を撮られたのは嫌だったのに今のスコーピウスを怒鳴る気にはなれなかった。彼は私をキッと睨み、ローブを翻してフィルチと反対方向に大股で歩いて行った。
その夜は月が高く昇っていた。私は部屋着でベッドに腰掛けていた。今日の出来事は衝撃的だった。フィルチは確かに厄介だと身に染みた。これからは気を付けよう・・・。
「あら、もう寝るの?」
ローズがカバンを抱えて寝室に入って来た。彼女も部屋着で、おばあちゃんお手製のライラック色のセーターを着ている。
「そうしようかな。今日は疲れちゃって・・・」
「そうね。そろそろ学期末試験の勉強にも手をつけないといけないし、疲れを残すのは良くないわ」
「・・・・・・」
こんな時期から試験のことを考えているのはローズくらいだと思ったが、私は一先ず笑っておいた。そしてボスンとベッドに倒れこんだ。
スコーピウスは怒ってるだろうな。そりゃそうだ、普段のスコーピウスはジェームズと違って、どちらかと言うと模範生だもの。それに今日のことは理不尽だった。スコーピウスは告げ口しないだろうし、明日バーチェット先生に話してみようかな。でも私にしてみればカメラ没収はいいことだったんだ。あのままスコーピウスが持ってたら悲惨なことに・・・
・・・・・・スコーピウスはどうするんだろう?このまま大人しく引き下がるのだろうか?フィルチの言いなりになって?今日フィルチにあんな挑発的な態度を取った彼が?考えていると、なんだか胸がざわざわしてきた。
フィルチはカメラを禁じられた森に隠すと言っていた。もし、仮に、スコーピウスがカメラを取り返す気でいるとしたら―――?
私は弾かれたように起き上がった。ローズがぎょっとして私を見た。
「ジゼル?」
「大変、行かなきゃ・・・」
「え?どこに?一年生はもう外に出ちゃいけない時間よ!」
ローズが叫んだときには既に寝室を飛び出していた。スコーピウスがカメラを取り返そうとする・・・どうしてそれを考え付かなかったんだろう!プライドの塊みたいなスコーピウスなら確実にそうするように思えてならなかった。もしスコーピウスがカメラを取り返しでもしたら身の破滅だ。そのことだけが私の頭を支配していた。
肖像画を潜り抜け、無我夢中で夜の廊下を疾走した。チラホラ明かりはついていたがやっぱり暗い。時計の短針は九時を指そうとしていた。門限の近い上級生らしい姿が寮へと急ぐのが見えた。ローズの言うように下級生はうろついてはいけない時間だ。定期的に先生も巡回しているだろう。
私は走るのを止め、人の気配のある方を避けてゆっくり歩くことにした。休暇中にママが見せてくれた「目くらまし呪文」が使えれば良いのにと思った。幸い廊下は静まり返っていて人っ子一人いなかった。私は壁の松明を頼りに下へ下へと階段を降りた。
だが走るのを止めると、襲ってきたのは厳しい寒さだった。三月の夜は冬と変わらぬ凍える風が吹き渡っていた。何も羽織らず慌てて飛び出してきたことを後悔した。そして最後の階段を下る頃には頭まで急速に冷えきって、完全に我に返っていた。私は城の玄関ホールで立ちすくんだ。
私、なんてことをしてるんだろう。フィルチには気を付けなきゃと学んだばかりなのに早速校則を破っているではないか。後先考えずに衝動で夜の廊下に飛び出すなんて軽率にも程がある。捕まって家に連絡がいくことを想像すると気が遠退いた。それと寝顔をバラまかれることのどちらがより悲惨かは判断しかねたが、一刻も早く暖かい寮に戻りたくてしょうがなかった。
冷静に考えればスコーピウスが今日カメラを取り返しに行くとは限らない。一日様子を見てから行動を起こしてもいいだろう・・・すっかり気が萎えた私は、引き返そうとたった今降りたばかりの階段に向き直った。
「あれっ・・・」
しかし階段はもうそこに無かった。そうだ、この階段は定期的に消えるんだった。この道以外で早く寮に戻るにはどうすればいいんだっけ。若干混乱しながら適当な角を曲がって突き進んだが、暗闇では進路への自信が無かった。
道に迷うのだけはまずい。かと言って、もたもたしてたら誰かに見つかってしまう。不安で失神しそうだった。それまで事に夢中で平気だった夜の廊下も怖くなってきた。ああ、無鉄砲な私のバカ!ちょっと思い止まればこんなことにならなかったのに・・・。
焦りに焦ってがむしゃらに歩を進めていると、ついに曲がり角で人影にぶつかった。その一瞬だけで、捕まって職員室に連行される自分が想像出来た。暗くて咄嗟に誰かは分からなかったが、私は恐怖と絶望で悲鳴をあげそうになった。
「静かに!」
ところがその人物は素早く私の口に手を当てた。私は間一髪で悲鳴を飲み込んだ。状況が理解出来ず怯えていると、その人は深いため息をついた。
「まさか君に出くわすなんて・・・今日はどれだけついてないんだ」
「あっ・・・!」
私がまた叫びそうになったのを察してスコーピウスは口を塞ぐ手に力を入れた。間近で見て分かった。そう、私がぶつかったのはなんとスコーピウスその人だった。驚きのあまり目玉が飛び出るのではないかと思った。スコーピウスは難しい顔をしながらゆっくり私の口から手をどけた。
「ス、スコーピウス!?どうして・・・」
「そんなの、君が一番よく分かってるんじゃないか?」
スコーピウスは皮肉をこめて言った。確かに愚かな質問だった。彼はやっぱりカメラを取り返しに行こうとしたのだ。時間まで被ったのは不幸中の幸いか、それとも最悪だろうか。
「君がここまでするなんて予想外だったよ」
スコーピウスは苦虫を噛み潰したような顔をした。廊下が静かなので、お互い囁くような小声だった。
「君みたいな間抜けが夜に外出したりして、無事で済むと思っていたの?寮で大人しく寝てれば良かったのに」
「ここまでさせたのはあなたみたいなもんでしょ!スコーピウスだって、よっぽどあのカメラが大事みたいね」
「失くしたままだと、いずれ周りにバレるからな。そうすると面白くないことになる」
スコーピウスはそこで言葉を切った。彼の言う「周り」とはエディ・ウェーバーやジョズ・ヘンリーのことだろうか。もしかしてフィルチとのことがバレるとまずいのかな。面白くないことになるって、どういう・・・?
その時、不意に近くの廊下で物音がした。スコーピウスと私はハッとして固まった。
「なに、今の音・・・」
「こっちだ!」
スコーピウスは素早く私の腕を引っ張った。そして側にあった鎧の甲冑の影に滑りこむと、なんと彼は、私をきつく抱えこんだ。
「えっ・・・」
今日起こったどの出来事よりも驚愕した。呼吸と同時に心臓まで止まるかと思った。夢でもなんでもなく、私はスコーピウスの腕の中にいた。彼に抱き締められていた。私の頭はスコーピウスの首筋辺りにある。彼の右手は私の肩に、左手は腰に回っていた。スコーピウスの白い首は、薄暗がりの中でぼうっと光っているようだった。
「行ったか」
「えっ、あの」
スコーピウスは私を放した。気が動転してパクパクと口を動かすことしか出来ない。何だったんだ、今のは。スコーピウスはそんな私に気付いて怒った顔をした。
「君はなんでそう鈍いんだ?誰かが来たときあんなにボケッとしてて、よく今まで見付からなかったな」
「え?あ、ああ・・・」
「え?じゃない。今君が見付かってたら僕まで巻き添えだったんだぞ」
「あ、そうだね。ごめんなさい、ありがとう・・・」
自分がまともに返事をしていることが不思議だった。だって頭の中はまだパニックの真っ最中だ。自分の鼓動が尋常じゃなく速かった。
そうか、自分のために私を助けたのか。でも、まさかスコーピウスにあんな風に抱き締められるなんて思っていなかった。ハグなんてよくすることだし、今のは事故みたいなものだけど、スコーピウスにされると親愛の情以上のものを示された気持ちになってしまう。私、懲りないな。スコーピウスに親しみを期待しても無駄だと分かっているのに。嫌われているのに。
スコーピウスは彼自身の腕時計を見た。
「九時十五分か・・・急がなきゃな」
「え?何を?」
「何って、僕は取られた物を探しに行く」
「今から?ホントに・・・?」
「当たり前だろ。何のためにここまで来たと思ってる。君は寮に戻れ」
正直戻りたかった。頭はごちゃごちゃしているし、なぜだか胸はズキズキしていた。だけどこのままじゃスコーピウスがカメラを手に入れてしまう。例え写真をバラまかれなかったとしても、寝顔のフィルムが彼の手にあるのがとても嫌だった。
「私も行く」
「やめてくれよ、無用心な君まで外に出たら見付かる危険がはね上がる」
「じゃあフィルムは無条件で私に渡す?」
「渡さないに決まってるだろ。僕のだぞ」
「それなら行く!止めても無駄だからね。勝手に行くから。探すのは別行動にすればいいんだし!」
なんとか自分を奮い立たせようと拳を握った。スコーピウスは頭を抱える仕草をした。
「本当に今日は厄日だな」
「それは私のセリフだよ」
「いいか、君のせいで僕が捕まるようなことがあったら許さない」
スコーピウスは私を真っ直ぐ見据え、声に凄味を効かせて言った。私は小さく頷いた。