東堂尽八と初めて | ナノ
その動きはまるでスローモーションのようにハッキリ見えた。男子生徒の手が押しつぶした紙パックから、コーヒー牛乳が流線形を描いて飛び出し、勢いよく私のブラウスにかかるところ。

「うわーっ!!ご、ごめん!」
「大丈夫!?月浦さん!」

衝撃の直後。犯人の男子生徒と、彼と一緒に昼食をとっていた泉田くんが慌てて席を立った。近くの席にいた友人の亜佐美もなんだなんだとやってきて、私の胸元を見た瞬間悲鳴をあげる。教室中の視線が集まって、服の汚れより恥ずかしい。

「やだちょっと!めっちゃ目立つじゃんこれ!そよ、着替え!着替えないの!?」
「今日体育ないし・・・・・・」
「もう暑くなってきたから学校のジャージもないしなあ・・・おい、あんた何か持ってきなさいよ」

亜佐美が紙パックを持ったクラスメートをきつく睨みつける。彼は残念に汚れた私のブラウスを見、狼狽しながら隣の泉田くんに助けを求めた。

「どどどどうしよ、オレテニス部のジャージあるけど3日洗ってないし、そんなの女子に着せらんないよな?」
「当たり前だろ・・・・・・」
「あの、いいよ別に。もう昼休みだし、授業受けて帰るだけだもん」

騒ぐ三人に遠慮がちにそう言った。亜佐美は「いいわけないでしょ!」と怒ったけど、本当に構わないと思った。ジュースなら帰ってから洗っても落ちない汚れじゃないし、染みは目立つけれどそんなに冷たくもない。部活のある亜佐美と違って寄り道せずにサッサと帰ればいいだけだ。

ただ、やっぱりあの人にだけは見られたくないとも思ったけれど。

「とにかくそのまま帰すわけにいかないし。部活のジャージならあるからボク部室に取りに行ってくるよ!」

泉田くんはそう言い残して教室を飛び出していった。残った頼りない男子は亜佐美に叱られながら何度も私に頭を下げた。

「うう、月浦ごめんなあ・・・・・・」
「だからいいって」
「ったく・・・・・・でもまあ泉田がいてよかったよね。そろそろ戻ってくるんじゃない?」

「泉田って優しいね」と亜佐美が私に笑いかけた。その通りだ。ついこの間自転車がパンクしたときも部活中にも関わらず親切に話を聞いてくれた。そう言えば泉田くんと話してたから東堂先輩と関わりができたんだっけ。今度ジュースでも奢ろうと思った時、ちょうど泉田くんが教室のドアを開けて帰ってきた。なぜかきまり悪そうな顔をして俯いている。

「?泉田くんどうしたの?」
「・・・・・・なんかごめん月浦さん、ボクはいいって言ったんだけど・・・・・・」
「え?」

不意に廊下の近くの席に座っていた女子が黄色い歓声を上げた。あの子は、確か、東堂先輩のファンクラブの・・・・・・

「ワッハッハ!元気にしてたか月浦そよ!このオレが来てやったからにはもう安心だぞ!」

私は口をあんぐりと開けたまま固まった。一部の女子生徒たちがどよめく。泉田くんを押し退けるようにして教室に入ってきたのは、紛れもなく東堂尽八、その人だった。


「たまたま昼休み部室に寄ったら泉田がいてな!聞けば先週のおまえがまた困っているという。泉田が部のジャージを貸すと言っていたがあれは今日の練習にも必要なものだ。そこでオレの出番というわけだ!しかしまた派手に汚れたもんだ!まさか何も借りられなかったらそのまま帰るつもりだったんじゃないだろうな。おまえは女子だろう!」

一気にまくし立ててから、東堂先輩は傍らに抱えていた学校指定ジャージを私に寄越した。二年生の学年カラーのラインで、東堂という名前もバッチリ入っている。

「特別にオレのを貸してやろう。オレが運良く持っていて助かったな、そよ!」
「いやあの、なんていうか、なんでいきなり呼び捨て?とか、色々言いたいことはあるんですけど・・・・・・」
「イヤなのか?」
「そういうことじゃなくてですね!」

みっともない姿を一番見られたくない人にガン見されたショックからはだんだんと立ち直ってきた。だが教室を一瞥すれば明らかに視線が集まっている。特に女子。さすが強豪の部活というべきか、まだ二年生なのにこの人そこそこ知名度があるらしい。亜佐美など好奇に満ちたキラキラの目をしていたので、私は耐えきれずに東堂先輩の腕を引っ張って廊下に出た。

「なんだなんだ、どうした?」

キョトンとした表情の東堂先輩は当たり前だけど夏の制服姿で、全開のシャツの下には鮮烈な赤のTシャツを着ている。学校でもカチューシャはそのままだ。どうしてだか自分の顔に熱が集まってきて、私は急いでかぶりを振った。

「ど、どうしてわざわざ一年の教室に!」
「ん?黙ってジャージだけ貸せと?なかなか淡白なやつだな」
「そうじゃなくて・・・・・・」
「冗談だ。また会いたくなった、その理由じゃ不服かな?」

驚いて顔を上げると東堂先輩は柔らかく笑んでいて、「負けた」と瞬時に理解した。この人の言葉には力があると思った。東堂先輩のことをまだ全然知らない私の心さえ、あっという間にさらわれていく。

「そよは全然会いに来てくれないしな。せっかくオレというスペシャルな人間との縁ができたのだからもっと大事にした方がいいぞ!」
「・・・・・・ドキッとさせた途端にそういうこと言うんですね・・・・・・」
「ん?なんて言った?小さくて聞こえん!とにかくほら、早く着替えてこい」

東堂先輩が女子トイレを指差すのでしぶしぶ従った。汚れた制服を脱ぎ、渡されたジャージに袖を通す。かぎ慣れない優しい匂いに自分が動揺するのが分かる。東堂先輩は細いと思っていたけれどやっぱりジャージは大きめだった。余った袖にいちいちときめきながら捲っていく。だめだ、私思ったより重症だ。

トイレから出るとまだ廊下に東堂先輩がいた。胸が踊ってしまうのが情けない。東堂先輩は自分のジャージを着る後輩女子を見てパッと顔を輝かせた。

「よし!似合ってるぞ!大丈夫だ!」
「学校指定ジャージに似合うも何も・・・・・・でも助かりました。ありがとうございます。汗をかいてしまいますし洗うので明日お返ししますね」
「別にオレは構わんが、分かった」
「ていうか今日結構暑いのによく持ってましたね、長袖ジャージ。まだ体育で着てるんですか?」
「いや、教室の冷房が強いときのためにな、常備してる!」
「そんな女子みたいな」
「オレには風邪をひいている暇などないからな。その間に一回でも多くペダルを踏まねば」

あ、今顔つきが変わった。東堂先輩が自転車のことを考えているときの顔だ。自転車に乗っているときの顔。そういう顔をしている時、東堂先輩の瞳には空が映って見えるのだ。思わず頬がゆるんだ。東堂先輩はむ?と首を傾げる。

「どうした、いきなり笑ったりして。本当におまえは分からんな」
「なんでもないから平気です!」
「うむ。でも笑った顔はさらに可愛いぞ。もっと笑え!」
「なっ!」

すぐにそっぽを向くと、「こっち向け!」と頬を両手で挟まれる。東堂先輩は楽しそうに目を細めていて、私も恥ずかしいのに笑えてきてしまった。心臓はドキドキしておかしくなりそうだけど、気持ちは穏やかなのだ。不思議な感じだった。

「よし、これからは練習中のオレを見かけたらジッと見つめるだけじゃなく大声で応援するんだぞ!命令だ!」
「ハッ・・・・・・しっししし知って・・・・・・!?」
「そりゃあ気づくさ。あれだけ熱烈に見つめられてはね!この一週間で何度かオレたちの練習コースにいただろ?」
「もう黙っててください!」
「それに今まで二度とも泉田をきっかけに会っているという事実も癪だな。さあ連絡先の交換だ!携帯を出せ!」
「話聞いてます!?」

あれよあれよと東堂先輩のペースに乗せられて、気付けば電話帳には東堂尽八の名前がきらめいていた。私は色んな感情でわなわな震えているというのに東堂先輩は「メール派か?電話派か?オレは電話だな!」などと一人でしゃべくっている。

「誰にでも手に入れられる番号ではないぞ!なんせオレは眠れる森の美形、オレの走りで女子は歓喜し男は戦意喪失、それがオレの・・・・・・」
「・・・・・・だっ」
「だ?」
「誰にでもは手に入れられない番号を、どうして、その、私に教えてくれるんですか・・・・・・?」

頑張ってしまった。おそらく今私は真っ赤になっているけど、それでも聞いておきたかった。東堂先輩は面食らったように一瞬黙り、それから顔がカッと赤味を帯びた。緊張が走る。

「えっと・・・・・・それはだな、つまり、そよだからということになり・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・ああもう!そよが放っておけないってことだ!分かったか知りたがりやさん!反撃が上手いな!」
「ぎゃっ!」

東堂先輩が私の頭をわしゃわしゃ撫でたので何も見えなくなった。ボサボサになった頭を必死で直すうちに予鈴が鳴り、「じゃあまたな!」とにこやかに手を振って東堂先輩は行ってしまった。何だったんだろう、この時間は。幸せなことがたくさん起きて、一気に過ぎていってしまった気がする。でも私は東堂と記名されたジャージを着ていて、携帯には東堂先輩の連絡先がちゃんと残っている。夢じゃないのだ。

教室から亜佐美が駆けてきて私の肩を揺すった。

「ちょっと!今の自転車部の東堂さんでしょ!?あんたどういう関係?なんで東堂さんがジャージを?」
「亜佐美・・・・・・」
「うん?」
「泉田くんって高級寿司派かな?ステーキかな?」
「は?」



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