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ど、どうしよう・・・。どうしよう。薄目を開けてチラリと自分の左側を見ると、相も変わらず彼はそこに座っていた。昼下がりの、乗客のまばらな下り電車。彼・・・泥門高校に進学した、十文字一輝くんは、軽く両まぶたを閉じるようにして、まどろみから覚めたばかりの私と二十センチと離れていない場所にいる。

まさか昔好きだった十文字くんと鉢合わせしてしまうなんて思いもしなかった。私はこの電車に乗ってすぐ睡魔に襲われて意識を手放したけれど、十文字くんはいつ乗車したんだろうか。たくさんある車両の、長い椅子で隣に偶然座るなんてどれくらいの確率かな。ドキドキを隠せない自分がいた。バカみたいだ。十文字くんはきっと私に気付いていないのに。

ああ、彼が寝てて良かった。そう思いながら、私は「ちょっとだけ」とまた十文字くんを盗み見た。一年生なのに制服はくたびれていて、整った顔も怪我だらけだ。今も喧嘩漬けの毎日なのだろうかと心配になる。


十文字くんとは家が近くて小学校も中学校も同じだった。何度か一緒のクラスになったこともある。小学生の時の十文字くんは運動も勉強も出来てみんなの憧れだった。私はもちろん特別仲が良かったわけでは無いけれど、少しだけでも話せたり、帰りに会ったりするだけでとても幸せだった。


それにしてもこの状況だ。いつ十文字くんが起きるか分からないのだから早く席を移動したい。自慢じゃないが私は小心者だった。でももうしばらく彼の傍にいたい気持ちもある。心の中の葛藤は際限なく続き、私の身体は無意識に揺れていた。


「・・・視界の端でもぞもぞすんな、ウゼエから」

ん・・・?な、なに?今の声、どこから・・・?嫌な予感と共に恐る恐る左側を見て仰天した。


「じゅっ・・・!?」

なんと十文字くんの双眸はパッチリと開き、私を呆れたように見つめていたのだった。驚愕のあまり上半身だけのけぞった。なんで、どうして、いつから。疑問ばかりが渦巻いて頭の中がパンクしそうだ。

「すげえ驚きっぷりだな」

十文字くんは小さくため息をついた。

「え、あの、いつから・・・」
「は?ああ、一睡もしてねえけど。目瞑ってただけだ」
「ええええええ!!」
「電車乗った時はお前俯いて寝てたから気づかなかった」
「そ、そっか、アハハ・・・」

き、消えたい・・・。目を閉じるなんてなんでそんな紛らわしいことを。だけど十文字くん、私のこと覚えてたんだな。心臓が早鐘のように鳴った。

「お前」
「はい!?」
「その制服、ここらで一番頭いいとこだろ。勉強ガリガリやってたもんな」
「えっ」
「中学の時とか。夜遅くに塾から帰んの、よく見たぜ」
「それは・・・」

それは十文字くんに追いつきたかったからだ。十文字くんは元々賢かったし、エリート志向の十文字くんのお父さんが息子を自分の母校に入れたがっていたのは近所では有名な話だった。だから私もその高校に入りたくて頑張っていた。

結局、受かった第一志望校に十文字くんは居なかったのだけど。

「頭なら十文字くんの方がいいじゃない。ほら、昔から・・・」
「大昔の話だろ。今じゃ見ての通りバカ校の不良だ。中学から荒れてたの、知ってんだろ」

なんとかして無難な話題をと言葉を返したが、十文字くんにバッサリ切り捨てられて気まずくなる。その通り、十文字くんは中学の友達と不良になった。噂では仲の悪い家の人に反抗したのがキッカケらしい。先生も生徒も十文字くんたちには近寄り難い雰囲気を感じていたものだった。私も話しかけづらくなって切なかったし、同じ高校に行けそうになくて悲しかったのは事実だ。


「でもお前は、しつこく俺の家にプリントやら届けに来てたよな」
「、」
「あの頃はうざってえと思う時もあったけど・・・その、世話かけたな」
「!!」

顔を伏せ気味にして呟く十文字くんが現実だとなかなか信じられなかった。まさか十文字くんにそんなことを言ってもらえるなんて。あの時は少しでも彼に関わりたかったから、届け物は積極的に預かっていたものだった。

照れているのか、十文字くんは言いにくそうに頭を掻いた。その拍子に制服から彼の腕が覗き、禍々しい色の痣が丸見えになって、私は息を呑んだ。

「そ、その痣・・・!」
「?あー、これか。まだ酷い色してんな」

十文字くんは事も無げに言った。

「もう痛くも痒くもねえよ。色がグロいだけだ」
「け、喧嘩・・・?あんまり無茶しない方が・・・」
「ちげえよ。部活。今アメフトやってんだ」
「アメフト!?」

実を言えばあまり馴染みのないスポーツだった。うちの高校にはアメフト部は無い。しかし何より不良の十文字くんが運動部に入っていることが意外だった。

「アメフト、好きだったの・・・?」

そう聞くと、十文字くんは渋い顔をした。

「いや、断じてそんなことは・・・つーかあれは強制・・・」
「え??」
「・・・だけど、今はスッゲー楽しい。楽しいんだアメフトが。もっと勝ち上がりたい。そう思う」
「・・・!」
「アメフト部に入って良かったって、自分の意志で言える」

その時の十文字くんがすごく眩しくて胸が締め付けられた。アメフトが好きだと心から思っているようだった。ここにいる十文字くんは、中学校までの十文字くんとは別人だ。同じ高校に行けなかったのは残念だったけど、十文字くんが泥門高校に入学して本当に良かった。キラキラしてて今までで一番カッコいい。


私、十文字くんのことは諦めたつもりだった。でもまだ、こんなにも・・・

「試合、私も観に行っていいかな!」

ありったけの勇気を振り絞って聞いた。十文字くんは一瞬目を見張って、それから小さく笑った。

「ああ。来いよ。楽しいぜ試合は」
「ありがとう!」
「あっでも来るときは事前に俺に言え。一人悪魔みたいな先輩がいて・・・まあ敵に回さなければ悪い人じゃない・・・とは口が裂けても言えねえ。今日もわざわざ遠くまで偵察に行かされてる帰りだしな」
「先輩?」
「何するか分かんねえ野郎だから一応お前だけは巻き込まねえようにしねえと・・・お前は昔っから不注意で間抜けだからよ。電車でもアホみたいに寝るしよ、降りる駅過ぎたらどうすんだ」
「えっ」
「中学じゃ不審者にターゲットに去れたり・・・塾帰りなんて、俺が見張って絞めてなきゃどうなってたか・・・」
「え・・・?」
「!!」

しまった!というように十文字くんは自分の口を塞いだ。い、今のはどういうこと・・・?

「電車乗った時は私って気付いてなかったんじゃ・・・」
「あ、えーっと」
「十文字くん、私が帰り遅い時見張ってくれてたの・・・?」
「いや、それは」
「守ってくれてたの・・・?」


十文字くんは口を手で覆ったまま答えない。爆発しそうな心臓。真っ赤な顔の十文字くん。私もきっと茹でたタコみたいに赤くなってる。何か言わなきゃ、何か言わなきゃと思うのに言葉にならない。


私たちの最寄り駅まであと三駅。降り立ったら、今までとは違う色の季節が始まる予感がした。




ソラトさんに捧げます!

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