碁盤を仕舞う(柳と双子) | ナノ




十九路の迷宮は人の心をさらけ出す。たった一回のぬるい手から何十手先の未来を読まれてしまうことなんて常だ。特に、毎日のように打ち合いをしてきた相手には。


だいぶへこみが目立つようになってきた碁盤の向こうで対峙する蓮二は、いつものように眉一つ動かずにいる。そのすました顔を崩したくて私はさっきから足掻いているのだけど、ダメだ。もうこの対局は勝敗が見えている。私の敗けだ。


序盤から私の見え見えの狙いは蓮二にかわされてばかりだった。小ゲイマで両ガカリにした時も冷静にツケられて私の白は分断されてしまった。その一方で黒を撹乱しようと切り違えたときも、蓮二はきっちり基本通りアテてツギを打ってきた。今日は本当に調子が悪い。気持ちばかりがざわついた急ぎ足の戦法で蓮二に勝てるわけがないのだ。


そんなこと、私が一番分かってるのに。


「今日は絶対勝つんじゃなかったのか、姉さん」


俯いて白石を握りしめている私に蓮二の声が降ってきた。


「・・・性格悪っ」
「負け惜しみか?最も俺との対局での姉さんの勝率は約三割七分。その宣言が本当になる確率は低かったが」
「それが何よ!」
「十年間かけて積み上げられたデータはそうそう裏切らないということだ」
「・・・・・・」


蓮二の言う通り、私たちは五歳ごろに父から囲碁を教わって以来、毎日のように碁を打ってきた。毎朝毎朝、蓮二が部活の朝練に行き始めてからは毎晩毎晩。対局は楽しかったけれど、蓮二は双子の私から見てもずば抜けて頭が良くて、私の戦績は決して褒められたものではなかった。

それでもたまに蓮二でも驚くような手で勝てることもあったから、めげずにこうやって蓮二と毎日向かい合ってきた。だけど、それも今日で終わりだ。


明日、私は関西の高校に入学するために家を出る。





盤面はもう大ヨセに入るところだった。荒らされた白模様を虚しい気持ちで眺めながら石を連絡させていく。パチッパチッという物寂しい音の粒が鳴っては消え、鳴っては消える。


ねえ蓮二、蓮二には全部分かってるんだよね。私の心細くて落ち着かない気持ちも、この一局を終わらせたくなくて無理に長引かせていたことも。それでもいつも通り無慈悲なんだから、本当蓮二には敵わないなあ。だけど、私は蓮二のそういうところが好きだよ。

蓮二は何を考えているのかな。昔は蓮二の方から「勝った方がおやつを多く食べられるんだ」なんて言い出してたけど、今はめっきりそんな話もしないし。蓮二は大人になったんだ。私を置いて一人で。


ねえ蓮二、私が向こうで進学とか就職とかしたら、もしかしたらこれ、最後の対局かもしれないよ。分かってる?蓮二に分かんないことなんて無いのかもしれないけど―――・・・



「迷っているのか」
「へ?」

顔を上げると蓮二は真っ直ぐ私を見ていた。


「関西へ進学すること、今でも迷っているのかと聞いている」
「・・・迷ってなんかないよ、出発は明日だよ。迷う時間なんかあったら関西弁の練習でもするよ」
「では未練か」


蓮二は伏し目がちになり、碁笥から黒石をひとつまみ掬ったかと思うと、そのまま落とした。チャラッという軽い音が和室を満たした。


「最近の姉さんの打ち方には迷いばかりが見える。石の生き死にに関わる大事な選択をした後で、狼狽える。そして攻められて正しい道を間違える」
「・・・・・・」
「俺は、」
「え?」


蓮二の声が刹那震えた。

「・・・迷うくらいなら、家を出るなんて言ってほしくなかった」


言葉を失った。蓮二の瞳の奥に微かな揺らぎを見てしまった。まるで今まで押し込めてきた感情を吐露しているみたいだった。蓮二が塞き止めていた悲痛な感情が、空気に滲み出てビリビリと痛い。



置いていかれると思ったのは、俺の方。



「でも、姉さんは流されやすいから」

蓮二が続けた。

「気持ちが未練がましくふらふらしているだけだろうと思った。心を落ち着けてみれば分かるはずだ。あっちでやりたいことに挑戦すると決めたのだろう?」
「・・・うん・・・」
「ならば俺が口出しする義理はない。自分が信じた通りやればいい」
「・・・っ」

涙が後から後から頬を流れて、前も見れない。


小ヨセも終わる。終局への一途を辿る私と蓮二。これまでは二人で一つの道を進んでたけれど、もう、違うんだね。蓮二の行き先どころか私の将来もぼんやりとしか見えないけど、進むしかないんだ。


「姉さんが『今日は絶対勝つ』と言ったから、絶対に負けるわけにはいかないと思ったよ」
「・・・・・・」
「姉さんが勝って、俺たちの対局にケリをつけたつもりで出ていかれたら困るからな」
「・・・蓮二、」
「これで負けず嫌いな姉さんは必ずリベンジしに来るだろう?」
「どうして分かるの」
「データ・・・と言いたいところだが」


双子だからかな、と蓮二は優しく笑った。


「・・・負けました・・・」
「ありがとうございました」


私の失態のわりに美しい終局だった。蓮二は肩が震えて手に力が入らない私の分まで石を集めてくれた。


蓮二、ありがとう。寂しいけど、蓮二が背中押してくれたから頑張れるよ。今は涙が止まらないけど、明日になったらきっと笑顔で出発出来るから、その時は蓮二にも笑って手を振ってほしいな。


蓮二は碁盤を丁寧に拭ったあと、襖の奥にそっと仕舞った。次にここを開けるときは私たちはどうなっているんだろう。そんなことに思いを馳せながら、静かに更けていく最後の夜を迎えた。





双子企画twins.さまに提出しました。素敵な企画に参加させていただきありがとうございました!
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -