「あっ・・・いた!先輩!」

校舎脇の水道で顔を洗っていた幸村先輩は私の声に気づいて視線を上げた。細い顎からポタポタと雫が落ちている。少しぽやんとした目付きがお人形さんのようでむぎゅっと抱きつきたい衝動に駆られた。ぐっと理性で押し込めた。

幸村先輩は本来私のような平々凡々な生徒が関われるようなお人ではない。だが幸運にも先輩と同じ美化委員になることができ、ぬくぬくと友情まがいの仲を育んできた私は、幸村先輩のファンの中でも一歩先をいく存在だった。

「やあ、どうしたんだい?そんなに慌てて走って来るなんて」
「今日先輩が騎馬戦にも出るって聞いて・・・!本当なんですか!」
「ああ本当だよ」
「なんで!?騎馬戦なんて野蛮な競技に・・・お体は」
「もう体はすっかり元気だよ。いつまでも病人扱いされるのはいい気分じゃないな」

口調は柔らかくも厳しい言葉にうっとつまる。

「でも危ないし・・・先生も渋い顔してたんですよね?」
「テニスだってしているんだから平気だよ。俺は白組のリーダーだ。目玉の騎馬戦に出ないなんて締まらないからね」
「だけど・・・」
「それに俺は騎馬戦では無敗なんだよ?」


それはよく知っている。幸村先輩が心胆寒からしめるような雄叫びをあげて次々と襲いかかってくる騎馬をちぎっては投げちぎっては投げるサマは、幸村先輩のファンの中ではもはや伝説である。その時の男気溢れる表情に惚れた女生徒も少なくない。私も写真を何枚か持っているし裏ルートで先輩が一年生の時のネガもゲットしている。墓まで持っていくつもりだ。

しかし騎馬戦と言えば運動会の競技の中でも怪我の多いもみくちゃになる種目だ。思春期の汗くさい男どもに幸村先輩のおみ足が踏まれたりなんやらしたりすると思うと、どうしても心臓が狂ったように暴れだす。


「いややっぱり騎馬戦なんて幸村先輩には・・・!」
「君は確か赤組だよね?もしかして牽制?」
「そんなわけないでしょう!」

先輩は濡れた顔を白いタオルにうずめてクスクス笑った。

「ごめんごめん。心配性なんだね。不安にならなくても君たち赤組は俺たちが一網打尽にしてあげるよ」
「いやそういう心配はしてな「ていうか」

幸村先輩はスッと屈んで腰を落とした。


「こんなに心配してくれるなんて君、俺のことどう思ってるの?」
「え゛」


恐ろしいくらいの笑顔で尋ねられ思わず後退りした。

「いやいや・・・私は先輩の一ファンですからそんな出過ぎたことは・・・!」
「でもファンってことは好意を持ってくれてるんでしょ?バレンタインにもわざわざ病室にチョコ持ってきてくれたくらいだし」
「えっあのそれは・・・好意っていうかゴニョゴニョ」
「ふふ、いつもはあんなに堂々としてるのに恥ずかしいの?」

優しく微笑みながら見つめられ、私はそわそわと手のひらを握ったり開いたりした。

「ファンっていうのはその、アイドルを見てるみたいな・・・」
「そうなの?俺と君は結構仲良しだと思ってたんだけどな」
「ええっ・・・!」

顔を拭き終わった先輩は、いつもヘアバンドを着けている場所にキュッと白いハチマキを巻いた。ひらひらと風に舞う末端がまるで生きているみたいだ。

「さてと、そろそろ騎馬戦の召集だから行ってくる」
「ダメですってば先輩!考えなおしてください」
「君、けっこう頑固だ」

幸村先輩は吹き出した。

「そうだな、もし君が応援してくれたら怪我しないかもしれないな」
「えっ」
「なんてね」


じゃ、と手を振った先輩が網膜から離れなかった。


先輩、今のどういう意味ですか。

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