紫宛の夜(幸村) | ナノ


※戦国時代設定



夜半、かすかな物音で浅い眠りから覚めた。寝惚け眼のまま廊下に出ると底無しの闇に青白い下弦の月がぽっかりと浮いていた。もう子の刻も過ぎたと思われる。晩夏の夜風がひゅうっと吹き込んで体が身震いした。


「・・・あれ?」
「、幸村」

ちょうど自室の側の曲がり角から現れたのは父に仕える幸村だった。先程の物音の正体は彼の足音だったらしい。簡素な着物に身を包み、足元は裸足だった。これでかんざしでも差せば一見背の高い女のようだが、ゆるい着流しのあわせから覗く幸村の肢体にはしなやかで強い男性の筋肉が備わっている。彼の白い肌は月光を受けて陶磁器のようになめらかに見えた。

「どうしたのですかこんな夜ふけに。姫はもう寝る時間ですよ」
「・・・よく言う。同い年のくせに」
「ああ、そうでした」

クスッと笑う幸村の顔はまだあどけない。昔からこの笑顔に弱い私は落ち着かなくなってちょっと目を伏せた。冷たい板張りの回廊に静けさが満ちた。

「幸村こそこんな時間まで何を?」
「殿と明日の話を少々。それより、女がそんな薄い夜着のまま室を出たりして。襲われても知りませんよ?」

妖艶に口角を上げる幸村ははだけた胸元と相まってとてもなまめかしい。いやに緊張してしまう。

「あ、貴方が私、だなんて気持ち悪い。昔みたいに俺って言いなよ。取ってつけた敬語だって」
「それを言うなら姫だって"俺"への呼び名が変わったようだけど?」
「・・・"精市"、うるさい」

ニッコリする精市を見ると幼い頃を思い出す。二人で山河を駆け回り、身体中に傷をつくっては父上に叱られたものだった。あの頃は私と精市の背丈はほとんど変わらなかったのに、今では彼は私より頭一つ二つほども大きくなっていた。


あっという間だった。あっという間に私は置いていかれてしまった。


それなのに精市は、私をさらに遠くに置き去りにしようというのだ。



「明日・・・の」

いけない。声が震える。


「明日の戦は、やっぱり」
「俺も行くよ」
「っ!」


分かっていた。分かっていたのにぐらりと視界が揺れた。どうにか踏み留まったけれど、立っているのがやっとだった。

「どうしても・・・?」
「俺ももう十五になるのに行かない方がおかしいだろう」
「でもっ」


ずっと父上の近くにいたから別れは数多く経験してきたつもりだ。「また遊びましょう」と頭を撫でてくれた家臣が帰って来なかったことは何べんもあった。皆太平の世のために怯むことなく命を散らしていった。


そしてこの美しい幼馴染みまでもが、今まさに私の手を離そうとしている。


「私が、」

キッと精市を見上げた。彼は相変わらず穏やかな目をしていた。

「私が言えば、父上だって貴方を連れて行かない」
「ご勘弁だね。そんな羽目になれば皆に臆病者と笑われてしまう」
「ばかっ!そんなことっ」
「それに」


精市はフッと微笑み、小首を傾げながら白魚のような人差し指を私の唇に乗せた。青みがかったゆるやかな髪が涼しい夜風に舞い踊る。


「俺は嬉しい。やっと、やっとこの手で貴女を守れるというのに、何を臆することがある?」
「っ・・・!」


言葉を失った私の唇をそのままなぞると、精市は自分の羽織りを脱いで私の肩にかけた。ほんのりと精市の温かさが残っている。

「さあ、よい子は眠らなくちゃ。今宵の月は一際美しいから名残惜しいけど、風邪を引かれては困るからね」


そっと私の背を押す精市に涙が零れた。見れば既に踵を返そうとしている精市の帯が揺れている。


「精市っ・・・!」

目一杯叫んだつもりが掠れた声しか出なかった。それでも精市は不思議そうな顔で振り向いた。


「私、これを直に貴方に返すから。絶対、絶対だからね!」

精市はちょっと目を丸くして、それから真剣な顔で一度頷いた。再び歩き出した彼の背中は今までにないくらい大きくも、儚くも見えた。


遠いどこかで鈴虫の鳴く声がした。闇に溶けそうなその音はしばらく空気を揺らした後、消えた。




Towtopの「禁断の恋」企画に提出しました。お題はまたシャッフル!難しかったです・・・!
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -