僕が時坂愛と出会ったのは、確か入学して一ヶ月も経たない頃だったと記憶している。
その頃の僕は今までとは正反対の生活を送る事により毎日気疲れはしていたが、どこから奇妙な心地よさも覚えていた。コウやリョウタ、それにシオリちゃんといる時間は穏やかで、僕にとって唯一落ち着ける場所になり始めていたのだ。――そんなある日、


「――ぁ、」

移動教室の途中。僕のすぐ後ろを歩いていたシオリちゃんが小さく声を漏らした。その視線は僕よりももっと後ろに向けられている。シオリちゃんの隣にいたコウの顔が少しだけ強張った事に疑問を持ちながら、つられて彼らの視線の先に体を向けた。

そこにいたのは廊下の窓枠に頭を預け気だるげな様子でサイフォンを操作する女子生徒だった。どこかコウに似ている気がする。僕と同じように視線を移したリョウタがいつもより随分と小さな声で「コウの妹じゃん」と漏らした。通りで、似ているはずだ。―――けれど、何故コウはあんな表情を、

コウの妹はこちらに気付いたのかサイフォンから視線を上げ、そして僕やリョウタよりも後ろを見て眉を寄せた。それからすぐこちらに背を向け歩き始める。「愛ちゃん、」シオリちゃんが声をかけると、コウの妹は歩く速度を速めた。こちらを避けているみたいだ。

暗い表情で俯くシオリちゃんの背をコウが優しく叩く。リョウタが僕の耳にこそりと教えてくれた。「仲悪いんだよ。コウの妹と、コウたち」






時坂愛は授業には最低限しか出席せず、夜によく出歩いているのを見かけると噂が流れる所謂不良少女だった。学校でもまれに見かける事はあるが、常に一人だ。自宅にも帰らない事が多いらしく、コウもよく愚痴をこぼしていた。
コウと妹は、リョウタの言葉通り仲良くはなかった。どうやら幼い頃にシオリちゃんに関する事で大喧嘩して以来、まともに口も聞いていないらしい。けれど、どんなに仲が悪くても、それでも片割れの事が大切だから、彼女の事をいつも気にかけていた。
シオリちゃんもシオリちゃんで、いくら冷たくされても彼女に対して負の感情を抱いているといった様子がなく、コウと同じように彼女を見かける度に心配そうに眉を寄せていた。


一度だけ、僕ら4人が廊下で話している時に、廊下の隅から鋭い視線を感じたことがあった。視線を向けると、やはり彼女がいた。
彼女の射貫くような視線はシオリちゃんへまっすぐ向けられており、それからすぐに酷く悲しそうな表情をしながらどこかへと行ってしまった。

一体彼らの間に何があったのだろうか。リョウタも詳しい事は知らないらしく、コウやシオリちゃんも話す気はないだろうし、僕も聞こうとは思わない。ただ、たった一人、あんな悲しそうな顔をする彼女の事が、どうも引っかかってしまっていた。





梅雨の時期が訪れる頃だった。
昇降口で、黄緑とオレンジ色で編まれたミサンガを見つけた。随分と年季が入ったミサンガだ。誰かの落とし物だろうかと拾い上げると、「あ、」とすぐ近くで声がする。
そこにいたのは、時坂愛だった。彼女の視線は僕の手の中にある汚れたミサンガに注がれている。気まずそうに眉を寄せたところを見るに、僕がコウたちの友人であるという事は知っているのだろう。


「これ、君の?」
「、あ、―――うん」

綺麗な声だった。視線を彷徨わせていた彼女は、一瞬だけ目を瞑り、それからまっすぐに僕へ視線を向ける。コウとよく似ている、キラキラと輝く強い瞳だった。僕は彼女へミサンガを差し出す。彼女は無言で受け取ると、そのミサンガを大切そうに両手で包んだ。大切なものなのだろうか。


「とても、」彼女が囁くように話し始めた。
「大切なものだったから、――ありがとう」
「ううん、どういたしまして」

僕がそう言うと、彼女は気まずそうな表情をしながら一度だけ頭を下げ、そのまま廊下の奥へ駆けていった。

時坂愛、クールな雰囲気で誰も寄せ付けないのに、どこか寂しそうなコウの妹。彼女が僕にとってかけがえのない存在になるなんて、この時の僕は思ってもいなかった。


20170613



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