何はともあれ狭い狭い我が家。こじんまりとした和式のトイレはあるものの、お風呂がありません。ですが、聞くところによるとこの町には銭湯があるようで。名前は早速行ってみることにしました。

亀の湯と書かれた看板がかかった趣のある銭湯は、どこか懐かしい雰囲気で。ガラガラと音を立てて戸を開けると、小さな声で「らっしゃい」と聞こえました。声のした方を見ると、強面のお兄さんが番台に座っています。名前が少しだけビビりながらゼニを渡すと、お兄さんは「女湯はそっちだから」と言って頬杖をついてそっぽ向いてしまいました。機嫌が悪かったのかな、名前は気にしないように努めながら女湯ののれんをくぐりました。


とても気持ちのいいお湯をご馳走様でした。風邪をひかないようにきちんと身体を拭いてから、名前は再びのれんをくぐります。すると、番台の横にびん牛乳が入ったケースが置いてあるのが見えました。とても美味しそうに目に写ったそれに、名前はごくりと喉をならします。無愛想なお兄さんに代金を払い、牛乳を一口。風呂上がりの一杯、最高。

古いベンチに座ってごくごくと牛乳を飲んでいると、ぎしりとベンチが悲鳴をあげます。隣を見ると、いつの間にやってきたのだろうか。無愛想なお兄さんが座っていました。どうしたものか。とりあえず牛乳を飲み続けていると、「引っ越して来た子、だよな?」お兄さんから声をかけてくれた。


「はい、鶴亀三丁目二番地に引っ越してきた名前といいます」
「俺は富松作兵衛だ。見ての通り風呂屋をやってる。あと敬語はいらねぇよ」
「あ、うん。よろしく」
「こんな田舎に引っ越してくるなんて変わってるな。何かやりたいことでもあんのか?」
「うん、カフェを経営したいと思ってるの。でも色々と大変そうだなぁって」
「あ〜…まあ、な」


目を逸らし言葉を濁す富松さんに、名前は綾部さんの言っていたことは本当だったのだと確信し、小さくため息をつきました。
そんな名前の様子に目ざとく気付いた富松さんは、あ〜と長く言葉を漏らした後にぽんっと名前の頭に手を乗せます。最初の印象と違って、富松さんはとても面倒見のいいお兄さんのような人だと名前は心が温かくなっていくのを感じました。


「ま、なにかあったらいつでも来いよ。力になれそうなことがあれば、いつでも貸すからさ」
「ありがとう富松さん、これでひと安心だね」
「おいおい。…ところで、カフェ、開くんだよな?」
「うん、そうだよ。ケーキ焼いたの出したり、紅茶いれたり。ランチとかもやりたいなぁと」
「菓子作りとか、よくやるのか?」
「そうだね、結構好きだよ」
「…ほ〜」
「あ、そうだ富松さん。この辺で一杯やれる店ってある?」
「それなら駅前広場のはずれに良い酒を出す焼き鳥屋があるが…酒好きなのか?」
「まあ、結構、それなりに」




ふと外を見るともう真っ暗です。名前の視線につられて外を見た富松さんは大きく肩を震わせて立ち上がりました。額には汗が浮かんで、その表情はころころ変わります。どうやら顔色も悪いようです。そんな彼の様子を不思議に思いましたが、そろそろ帰らなくてはなりません。富松さんにそろそろ帰ると伝えると、彼は酷く焦った様子で名前の腕を掴みます。


「ど、どうしたの?」
「送る」
「え、大丈夫だよ?一人で帰れるよ?」
「駄目だ、危険だ。お前を引き留めてたのは俺の責任だ、きちんと送る」
「き、危険?」

富松さんの鼻息が荒いです。
危険、とは…一体どういう意味なのでしょうか。よく分かりませんが、富松さんの切羽詰まった様子に、名前は断ることができませんでした。
帰り道、やたらと周りを気にしていた富松さんでしたが、名前を家まで送り届ける頃には顔色も随分とよくなっていて一安心です。



「この町ではあんまり、夜中に一人で出歩かないほうが良いぞ」
「心配しすぎだよ」
「…いや、それもあるけど……いや、知らない方がいいか、」
「?」
「あ〜、なんでもない。…じゃあ俺は帰るけど、何かあったらいつでも来いよ」
「うん。ありがたく頼らせてもらいます」
「おう。…じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」


富松さんはとても面倒見のいい優しい方でした。ただ、少し心配性なのでしょうか。女性扱いをされるのは嬉しくもあり気恥ずかしさもあります。
今度送っていただいたお礼に、ケーキでも焼いて遊びに行きましょうか。ああ、富松さんは甘いものは得意かしら、聞いておけばよかったです。



20140716



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