屋上が、好きだった。
あの何もない空間だからこそ好きだったのしれない。
灰色のコンクリートで塗り固められ、鉄の柵で囲われた場所。
だけど、一人になれるなら。
病院の屋上は本当に誰もいないし、柵は普通のものよりも高い。
鉄条網が張り巡らされたこの場所は、鳥籠みたいではじめて見たときは嫌いだった。
だけど、今は違う。
病室を抜け出して漫画を読む。
柵に寄り掛かって大きく伸びをした。
……やっと全巻読み終えた……長かった。
勝手に屋上を抜け出してきたので間違いなく後で叱られる。
でもいいじゃないか。このくらい。
真っ黒な髪が風に揺れてなびく。
外の匂いを実感する。
今まで、フツーの高校生でフツーに学校に行ってたのに急に外に出るなとか言われた。
……俺のせいだから仕方がないんだけどさ。
俺は、死ぬとしたらここで死にたい。
屋上から見る景色を目に焼き付けて死にたい。
そう思いながら、僕は柵を離れて横になった。
上を見上げた。青い青い空が見えた。
雲一つない。
そして、白いモノが俺の視界の片隅にチラリとうつった。
「……誰?」
寝転んだまま俺はそう言った。
白いモノは白衣かなんかだろう。
どうせ医者が俺を迎えにきたのだろう。
『浩くん、君は動いたらもっと症状がすすむから動かないように。というかただの怪我なんだからさっさと治して退院しなさい』
医者の言葉を思い出してムシャクシャする
――俺を動かしたくないなら、ベッドに縛りつけてしまえばいいのに。
それを言うと、本当にされそうなので言わなかった。
本当言うと、俺は屋上に来れなくなるのが一番怖い。それは嫌だ。
外の空気と遮断されるのがいやだから。
――とそこまでかんがえて俺はふと思う。
医者なら『浩くん、また抜け出したね』だのなんだの言ってすぐに俺は連れ戻されるだろう。
だけど、されなかった。
不思議に思って、起き上がる。
白いのは、白衣じゃなくて服だったと初めてわかった。
真っ黒なマフラー。白くて長い髪。
赤い目以外はモノトーンで。
綺麗だと思った。
現実離れしていた。
女かと思ったが、無駄にスッキリした体つきで男だとわかった。
そいつが俺をじっと見ていた。
無表情で。
……正直、気持ち悪いんだけど
「……おい、お前誰?」
俺の言葉に白い奴は反応したのか、寄ってきた。そして、しずかにわらう。
こいつ、表情あったのか、とも思った。
「僕はソウヤ。君は誰?」
「俺?俺は浩。……そのカッコ。お前入院患者じゃなさそうだけどどうしてこの場所知ってんだ?」
長くいないと、屋上の場所はわからないと思うし、ここは入院病棟の屋上だ。だからこそ人がめったにいないんだけど。
「小さい頃、入退院繰り返してたんだ。それでここはお気に入りの場所だったんだ。その名残で今もふとたまに来たくなるんだけど。君はなんでここに来たの?普段はここ誰もいなかったんだけど」
「……屋上気に入ってるからだ」
俺の答えに、へぇ、とソウヤは相槌をうつ。
同類様なのだろう。
「……じゃ、俺戻るから」
「え?なんで?」
「別に……一応、病室抜け出してきたからさ。そろそろ戻ろうと思っただけ」
「そう……」
ソウヤは俯いた。
寂しそうな顔をしている。
……まったく。
「――315」
「え……?」
俺の言葉を聞いて、ソウヤは目をぱちくりしていた。
そりゃあそうだろう。俺だって数字をぽつりと言われたらビビる。
「俺の病室。暇なら今度遊びにくれば?……俺だって、いつも屋上にいる訳じゃないし」
「え……?遊びに行ってもいいの」
「別に……気にしないから」
パァッとソウヤの顔が明るくなった。
俺がこんなことをするのは珍しい。
ということは、嫌いではないのだろう。こいつがのことが。
多分、第一印象。
見た目がよかった……だとかそういうのじゃなくて。
無表情なソウヤの目。
あれが、嫌に頭から離れなかったのかもしれないけど。
「ねぇ」
「ん?」
ソウヤは俺を呼び止めると笑った。
……こいつ、笑うとこういう顔するんだな。
俺もとりあえず笑い返した。
「……ありがとう、うれしい」
本当にうれしそうな顔で、言われる方が照れてしまう。
……こいつ、なんか不思議なやつだな。
ソウヤは、今まで俺が座っていた場所に座ると柵にもたれかかって手を振った。
俺も手を振りかえすと、また笑った。
さっきの無表情が嘘のような柔らかな笑顔だった。
「またな……いつでも遊びに来ていいからな?」
そういうと、俺は、屋上からドアをくぐって病室へと駆けだした。







「イテテテテテテッ!!せんせー手加減してくれよ」
「無理だよ。というか、浩くんが悪いんでしょ?」
屋上をでた俺は、すぐに病室へと向かったが、手遅れだった。
病室には医者が仁王立ちをして待ちかまえていたのだ。

……最悪だ。

おかげで、こいつの下手なテーピングとおつきあいすることになってしまった。
「だから痛いって!!」
「……我慢してよ」
俺はむすっとした声音を出した相手の顔をにらみつけた。マジで痛いんだって。
そもそも、なんでこんな不器用なやつが医者をやっているのか……。
ぼさっとした黒髪に小さな顔には大きすぎるめがねの中には切れ長の瞳。こいつ、きちんとすれば美青年なのに全く外見のことを考えないらしい。

……ほんっと、なんかムカツク。

わざと医者がテーピングしている足を動かしてみる。
「……そんなことしたら一生テーピング終わらないんだけど」
真剣そうな顔をした医者はさらりと言い放った。
確かに。終わらない。
医者の下手なテーピングにつきあわされながら俺は窓を見た。
夏の明るい日差しの中、ざわざわと葉が揺れている。
鳥が鳴いている……なんで俺はこんなむさい人と一緒に室内にいるのかと聞きたくなってしまう。
ああもう世間は後少しで夏休みなんですねー……と実感する。
あいつ、ソウヤのことを思い出す。
まだ夏休みには入っていないはずなのに、なんでこんなところにいるのかがわからなかった。
病院なんてサイアクなところ誰も好んで「来たい!!」なんて言うやつはいないだろう。いるとしても、よほどの変人か。
もしかしたら身内が入院でもしているのかもしれない、と勝手に納得したところで医者の手が止まった。
「はい、おわった」
「……サンキュ」
一応礼儀としてお礼を言うと律儀にもどういたしましてと微笑まれる。
美形の微笑みってのは無駄に効果があって、なんだかいらいらした。
そういえば、こいつが担当医になってから母さんが見舞いに来る数が増えた気がする。
ああもう、マジで不器用でも俺とこいつじゃえらい違いだ。
「そういえば、浩くん、僕が貸したマンガは全部読んだ?」
「んーまぁそこそこ」
医者に借りていた漫画を返す。
「ありがとう。意外と面白かった。まさかあそこで奴が飛ぶとは思わなかったし」
「でしょ?あとヒロインの女の子が無駄に最強ってところとかが僕は好きなんだけどね」
前、俺が退屈だとぼやいたら医者は漫画を貸してくれた。
正直ラッキーだとしか言いようがないが。
医者は、漫画が大好きらしく、しかも無駄に趣味がおれとかぶっていた。
「僕、浩くんほどに趣味かぶる子いなかったなぁ……退院しても病院に遊びに来てもいいからね」
「……善処します」
俺が気のない返事をすると医者は笑った。
誰が好きこのんで病院に来るものか。
「まぁいいや、また次の漫画も持ってくるから……おとなしくしてるようにね」
「はいはい」
適当に返事を返しておく。
というか、この医者、確信犯のような気がしてきた。ふつう、おとなしくしといてほしいなら病室の鍵をかけるなりなんなりできるのにさ。
「じゃあ僕は戻るから何かあったらナースコールするんだよ?しっかり僕が現れるからね」
「ナースコールじゃねーじゃん……。一回くらい美人な看護士さんつれてこいよ」
「いやだね。浩くんにはむさい僕がお似合いさ」
……ああ、そっちの方も確信犯ですか。というか、自分でむさいとか言って悲しくならないのかな、この人は。
看護士さんは食事の時にしか現れない。大抵はこの医者が現れて色々して出て行く。
そんだけこの医者が暇なのか、それとも看護士が忙しいのか、というかこの病院に人がいないだけなのか。
小さな病院ではないから人がいないはずは無いと思うんだけど。
「んじゃ、なんかあったらナースコールしてね?グッバイ」
片手を振って病室から出て行った医者を俺は視線だけで見送った。



医者がいなくなると、騒がしかった病室が一気に静かになる。
鳥のさえずり、うるさいほどの蝉の鳴き声、葉のこすれる音が響く。
こういうとき、何故か俺はいろんなことを考えてしまう。
医者うぜえ、から、ソウヤは綺麗だ。まで
他にも色々考える。そうでもしないと俺の頭の中がパンクしそうだからだ。
頭の中が寂しさとかむなしさとかで塗りつぶされてしまいそうで。
病室はガラリとしていて人がいない。
母さんは仕事、父さんも仕事。
友達なんて知らない。

友達、なんて。俺が入院してから一度も見舞いに来なかった奴らなんか。

電源を落とした携帯を手の中でもてあそぶ。
前、携帯の電源をつけたままにしておいたとき、医者に見つかってすごくしかられた。
だから。
……だからってわけじゃ、ないのかも、しれないけれど。
正直、自分の携帯の電源をつけるのが怖い。
だれから、何件、メールが来ているんだろうか。
本当に俺を心配してくれている奴などいるのだろうか。
――本当の、俺の、友達なんているんだろうか。
そういうことを考えると余計に携帯の電源をつけるのが怖くなってしまう。

この病院で同年代くらいの少年なんて、いないと思っていた。
ソウヤを思い出す。
白くて綺麗な髪やおそろしいくらい真っ赤な瞳は人間離れしていて、なんだか怖かったけど。だけど、この病院でたった一人、俺と同年代の人間だった。
だから、少し、じゃなくてかなり俺はうれしかった。
「ソウヤ」
名前をつぶやく。どこかで聞いたことのある気がする名前。
だけど、名前だけじゃわからない。それにもしかしたら俺の勘違いかもしれないし。
「ソウヤ……か」
一言つぶやく。

……仲良くなれたら、いいとか、考えてしまった。